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ツヤ髪のナスと粋なサハラのお兄さん

レストランは料理がおいしくても、ウエイターさんが残念だと、割り切れない気持ちになります。口に入れて舌で感じる風味と取り込む栄養分は変わらないのだから、素晴らしい料理が味わえるならウエイターは関係ないじゃないか、とはならず、やはり自分は感情的な生き物なので、全体的な体験として記憶に残ってしまいます。

飲食店の店員さんには、心が氷点下になっているのかなという人もいれば、善意でがんばってるのだろうけど何か噛み合っていなくて、空回りしているような人もいます。もちろん、私の貧困な想像力を上回る素晴らしい人もいます。

知り合いに近所のおすすめ店を教えてもらい、行った時のこと。そこは、“キロメートル・ゼロ”という地産地消をうたう地元料理のお店です。いつも賑わっていて、外国人客も多いし、雰囲気的に高そうに見えるのもあり、行ったことがありませんでした。

その日もテラス席はすでに満席、店内をのぞくと、中央のテーブルひとつだけ空いているように見えますが、予約席の可能性もあります。忙しそうに働くウェイターに、相方が聞きに行きました。ウエイターさんはテーブルを確認して、真剣そうな、でも少し笑顔で、相方に返事をしました。

いっぱいだ、予約なしでは無理だよ、と追い返されるのを想定して、私は入り口のコートかけと同化して待っていたのですが、相方が戻ってきて、「あいてるって」と笑いながら席へ促します。

「あのテーブルあいてますか?って聞いたら、『あのテーブルには、あなたの名前がありますよ』って言われたよ」と笑顔の相方。

よく飲食店では、予約した人の名前と人数と時間が書かれたメモ紙が、予約席のテーブルに置かれています。しかし、その日、私たちは予約なしでふらりと立ち寄りました。

何事も理解するのに少々時間を要する私は、え、どういうこと?と困惑しながら席に向かい、あぁ、冗談か、と数分遅れで意味を飲み込めました。

『あのテーブルには、あなたの名前がありますよ』は「どうぞ、あいてますよ」という、ウエイターさんの粋な返しだったわけです。来客の質問に対し、なんて素敵な回答でしょう。

私たちは前菜を二品とメインにナスの肉詰めを頼みました。注文時にウエイターさんは「初めてですか、どこから来たの?」と私たちにききました。我々はいつも、致し方ないですが、旅行客だと思われます。

ウエイターさんは「ぼくはサハラの人だ」と言うので、モロッコかエジプトか、チュニジアかわかりませんが、サハラの人だそうです。サハラのお兄さんは、すごく堂々と確信を持った話し方をします。でも好意的で堅苦しさはなく、愛想の良い青年です。

前菜を食べ終えた私たちのところに来たサハラのお兄さんは、「お口に合いましたか?レイナ?」と皿をさげます。レイナとはクイーン、スペイン語で女王を意味します。

私のことを女王と呼んでくれるのか。前菜はおいしかったので、「レイナは気に入りました」と私は答えました。サハラのお兄さんと、私の相方は笑っていました。

前にも言いましたが、私は理解するのに時間を要する人間でして、後日考えていて気づいたのですが、おそらく、レイナ(女王)とは、英語で言う「Ma’am(Madam)」のような、女性客に向けていう名前代わりの丁寧な呼び名で、自分自身で言うものではありません。「余は満足じゃ」と言うような、まるでバカ殿のような響きだったのかと想像します。

さて、前菜を食べ終えてからしばらく待っても、メインのナスの肉詰めが出てきません。店は満席ですし仕方ないと、バカ殿と相方はビールをお代りして待っていました。

しかしながら、他のテーブルにいろいろな料理が運ばれているのを見ていると、もしかして忘れられてるのかな?と不安になってきたので、忙しく動き回るサハラのお兄さんを呼び止めて「もう一品まだきてないんですけど、ナス、忘れられてませんか」と相方が聞きました。

サハラのお兄さんは「大丈夫、今、髪をといてます」と返事しました。

鏡に向かい、長いツヤツヤした黒髪をブラシでとく、ナスの後ろ姿を想像しました。パタパタと、おしろいなんてはたいてるかもしれません。口紅を引いて、「ん〜まっ」と両くちびるを擦り合わせているかもしれません。なかなか艶っぽい趣がありますね。

間もなくして、サハラのお兄さんは大きなナスの肉詰めを乗せた皿を持ってきました。ちゃんとナスはお出かけする身支度をしていたようです。

待つ、という行為は、稀に好きな人もいるのかもしれませんが、多くの場合は、人を不安にさせ、苛立ちをもたらし、おそらく実際よりも長い時間に感じるものだと思います。

「まだですか?」という、不満の込められた言葉に対し、「今髪をといています」という返しは、客の脳内の苛立ちの回線を切断して、「誰がブラッシングしてるって?」と想像力の方に回線が差し替えられ、笑うしかなくなります。

サハラのお兄さんが、この地元料理のレストランでどのような立場の人なのか、私は知らないのですが、機敏に動き回り、各テーブルのお客さんと軽く言葉を交わし、たまにいる死んだ目をして営業時間が終わるのを待つばかりというウエイターさんとはずいぶん違うなと思いました。

絡まりひとつないツヤ髪を肩に垂らして、糸のように細いきゃしゃなゴールドのネックレスを首元に光らせ、ゆっくりとヒールのサンダルのストラップを足首でとめようとしているナスに向かって、「そんなんええから、はよう、便所下駄でも引っ掛けて走ってこい!」と怒鳴るのは無粋にも程があります。

バカ殿は単純ですから、待っていたことはすっかり忘れて、美味しくナスをいただきました。気前よくチップを置いていけたら、バカ殿も粋なのかもしれませんが、懐具合は庶民なもので、少しばかり小銭を置いて帰りました。

サハラのお兄さんは、どうか、旅行客からたくさんチップをもらっていますように。

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