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AIとベーシックインカムについて、覚書

今回は、AIの発展と世の中の行く末について、日頃自分がぼんやり考えていることを少しくまとめておきたい(以下の記述は、社会の解像度を上げ、見通しを良くする目的で、意図的な単純化や誇張、戯画化を含みます)。

新たな生権力

ベーシックインカム(BI)社会では、何もしなくてもお金が勝手に振り込まれる。BIに依存した生活様式が一般化する。

これは、ちょっと中世的な匂いがする。

中世や近世までは、人々は農民として、太陽光と降水に他力本願していた。農業は、自然力に他力本願するシステムなのだ。

翻ってBIは、AIに他力本願するシステムである。

だから、巷の「AIが人間を超えて神になる」的な話もあながち間違ってはいない。

雨乞いならぬ、「AI乞い」の時代に。

AIが稼いで、その「配当」で国民が暮らすと。

日本でいえば「一億総乞食」の時代。国家がAIに生産させて国民を「飼う」。

かくして、AIとBIによる新型の生権力体制が誕生する。


他力本願と乞食

人々の他力本願的ありようにおいて、農業社会とBI社会との間にはある種のアナロジーが発見される。

対して、現代社会はサービス業社会として特徴づけることができる。

農業社会だと、土地の生産力(太陽光と降水込みで)に半ば頼れていたわけだが、このサービス業社会、第三次産業社会になると、資産家を除けば、自分自身の精神的・肉体的な生産力に頼るしかないので、みんな辛い。病む人も増える。

とはいえ、現代人はなにも己の労働力だけをたのみにして、新自由主義的に、いわば自力本願で生きているわけではない。

現代人は、サービス業従事者として、消費者という存在に他力本願している。

消費者は「お客様」とも「クレーマー」とも言い換えられる。

今日のようなサービス業主体の社会は、人間を消費者にし、ずっと消費者のままで居させる(居てほしいという祈願も含む)という「暴力」によって成り立っている。この暴力の上に、サービス業に従事する我々の生計は成り立っているのだ。

そもそもサービス業自体、「別に自分でもできるけど、代わりにやってもらうとちょっとラクになる」たぐいの仕事である。他人の自助自活を骨抜きにすることでかろうじて食えている。「それ私にやらせてください!(じゃないと食えません🥺)」というのは、本質的には乞食なのだ。

とりわけ、資本主義が高度に発展して、モノから情報、金融、体験へと経済活動の軸足が移っていくにつれ、社会全体としての需要も飽和気味になり、特段やるべきこともなくなり、どちらかというと、自分の仕事の存在意義を維持するという利害関心が先行して、なんとか人々に人間ではなく消費者であってもらわないと困るという感覚で日々の仕事が正当化されているように見える。

そんな調子だから、現在、多くの人が病み、あるいは出世もしたがらないのかもしれない。

本来、サービス業とは文字通り「人の役に立つ」仕事である。

だが、需要が飽和すると、自分の仕事を正当化するために、人間を無理やり「消費者へと引きずり出している」かのような感覚を否定できなくなる

「余計なお世話」なサービスが増える。

80点を90点に上げるようなセコい仕事ばかりになる。

消費者に「バカでいてほしい」という力学も賦活される。

だが、そうでもしないと自分が食えない、と。

ここで現象しているのは消費者あるいは消費に他力本願する労働者の姿である。我々は「消費者を乞食する」ことでなんとか食わせてもらっている。


その一方で、国の補助金や税金投入で成り立つ商売も増えている。

全体としてサービス業が行き詰まり(実際、経済成長もしなくなっている)、消費乞食から公金乞食へと商売の様式が変容していく。


ベーシックインカムへと至る道

AIとBIによる生権力体制が乞食としての国民を飼う未来図は、十分にその現実的な根拠と背景をもっている。現代のサービス業社会の行き詰まりが下地となって、社会経済の下部構造に存する根源的「乞食性」が、本質的に保存されつつも新たなモダリティにおいてアップデートされる。

需要が停滞し、公金への依存を高めていくサービス業社会の限界と、めざましい技術革新(汎用AIなど)とが推進力となって、人類において普遍的な乞食性と他力本願性にも支えられつつ、ある種の必然的で強制的な力学によってBI社会に突入する(※仮説です)。

AIの発展により、失業が深刻化して、生活保護申請が急増し、対応業務が膨大になり、いっそシンプルにBIでも導入しないとまわせないでしょうという合意がうっすら形成される…こんな風景もリアルだ。

AIの発展による人間の側の「劣化」も見過ごせない。我々は労働者である以前に、消費者としてAIのスムーズでシームレスな挙動に慣れきってしまい、気づいたらノイズやストレスの多い労働に能力的に従事できなくなるかもしれない。働きたくても、「労働者としては使いものにならない」と跳ね返されるわけだ。

また、視点を変えて、別に今までも会社が社員の生活を保障していたのだから、国家ではなく民間企業がすすんでBIを導入する展開もありうる。BI支給をめぐって競争が生じるし、企業の商品を購入する動機づけも形成されやすいから、経済にも良い影響がありそうだ。


「AIに仕事が奪われる」という懸念は根強い。別に仕事そのものはなくならないだろうが、AIの効率性を考えたら、さすがに会社も正社員を置いてはおけなくなる。業務委託とかギグワークみたいなかたちでしか雇用を用意できなくなるだろう。

「AIに仕事が奪われる」というとき、人々が無意識に「仕事」というものを「一日8時間、週40時間働けるだけの仕事を用意してくれて、月給20万は堅い」みたいな感じにイメージしているのだとすれば、AIは明らかに仕事を奪うだろう。


正社員的、サラリーマン的に生存することを許されなくなった世界で、人々は果たして幸福に暮らしていけるのか。

BIに期待できるのは、幸福にしてくれるというよりは、「とりあえず不幸は減らしてくれそう」といったあたりな気がしている。


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