わたしを離さないで

ネタバレ、注意。

久しぶりに小説を読んだ。
少しだけ過去に知人が増えたような感覚。

小説も、いいね。






淡々とした語り口調で始まり、これは挫折するなと思っていたものの、
軸となるテーマは知らずに読んだものなので、色々想像しながら読めて、結果没入できた。
ネタばれをせずに教えてくれた同僚に感謝。

印象的な台詞として、

例えば、あなた方二人。わたしはとても誇りに思いますよ。わたしたちが与えたものの上に人生を築いてくれています。 by エミリ先生
助けてあげられればと思いますが、あなたたち二人だけでやっていただくしかありません。 by マダム

失望がそうさせたのか。
外の世界を知ってからも、あくまでも与えられたものの上で、活動を続けていく二人…。
それとも幼少期からの教育によるものなのか。


知らぬは罪だ。
世界は広くて深いから、マトリョーシカのように無知は存在してる。
無知の知(知らない世界があることを知っている)、この意識を持ちつつ、無知部分を明瞭にする行動をとれるか。

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さて、自分の小さな世界に当てはめてみると、、

組織の文化・やり方、それが当たり前、正しいかのように盲目的に従い、「社畜」となる。

すごくしっくり来てしまう。大企業あるある。
そして、まだこの第2階層くらいしか知らなそう。
例えば、Web業界とかコンテナ実装がしごく当たり前になってるとか、もう信じられないスピード感で物事が進んでいってそう。

転職活動は、この無知の知状態には引っ張りあげることができる。
そういう面で誰でも必要な活動と感じる。

むやみやたらと不安を煽ったり、過度な情報を与えるのもスマートではないけど、別の世界があるって教え合うことを、お互いの利益関係なくやっていきたいな。

最近、意図的に行動、「演じてる」といってもいいかもしれない、してる部分があるな、と思い返す。


アホを適度に見せる

もちろん、かっこつけたい。
かっこつけられるところは、ピシっと決める。

でも、ちょっと待てよ、と。

自分はいいかもしれないが、チームを中期的に見て、どうだろうか?
萎縮してしまわないだろうか?そして、チーム内のどの立場であっても、社内であれば、親近感や人間らしさを"演出"するのは必要ではないか?
特に対面コミュニケーションを取らない場では、特にそう感じる。
「ちょっと大げさかな?」くらいでないと伝わらない。

ので、選んだ演出方法は「アホになる」、だ。

アホを見せることで副次的な効果も含めて上げると、

・チームに心理的な安全を与えらえる。
・話しかけられやすくなり、情報が集まるようになる。
・自分の仕事が楽しくなる。解放感みたいなもの?

一方で、これをやりすぎると、

自分に甘くなり、多発するようになる。
本物のアホになってくる。
付いていきたいと思われなくなる

などなど弊害もあるので、これもまたバランスなり。時と場合による。

なお、演じるっていってるけど、リアルに理解してない部分は多々あり、「演じてなくて、素なんじゃね?」っていう反論も、心のわりと手前の方から、ちらほらと聞こえてくる。


無知な自分を、無知な知にしてくださーい!よろしくお願いしまーす!




あわあわ…どうしよう