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文通

ある詩の雑誌に投稿し続け
その雑誌も休刊になってしまった
しかしそれから
休刊は寂しいですねと手紙が来た
誰だかわからずにいると
追って、なんで返事くれへんの!とまた手紙
切手代くらいジュースより安いやん?
この人いったい何者だろう?
それから、ジュース代どころか
週に四通も手紙の往復をする生活が始まった
さすがにこの多さだと、内容もほとんどない
そして、相手の受け取り拒否によって
突然この文通は終わった
こういう人は少し用心したほうがいい

 どこぞの誰だか、と言う人。
 どういう関係のどういう立場の人か、そう言ったことは、さまざま憶測はあるのだが、どんな人であれ、たとえどれ程の人なのかであれ、「この人はいったい誰だろう?」と言う疑問は、いつまでもついて回るものである。
 信じてしまったがために、見事にだまされて「信じたあなたがバカなのよ」と言うものなのか、それとも「本当に私は、どこぞの何氏なのよ」なのか。
 「ああして欲しい、こうして欲しい」「こうしなくていい」「こんなことはしてはいけない」「信じて、お願い」「一人にしないで」いろんなこと。
 要求が、すごーーーーく多くて。一体あなたは何者だろう。
 顔も見たことはない、声も聴いたことはない。そんな人が「信じて」と頼み込んできて、様々な要求を突きつける。
 そりゃ、そんな要求を受け入れる人が、いったい世界中のどこにいるんでしょう。あなたを信じたい。そういう思いはあっても、望みどおりにしたからと言って、では何かが起きるのかと言えば、遂に何も起こることはない。
 いつまでも、こんなことを続けてはいられない。本当に望むことがあるのなら、自分の声で言いなさい。自分の姿を隠した形で、要求するばかりの姿は、まるで映画のようだ。
 お化けみたい。

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