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親友に結婚を応援してもらえない。

親友になったらずっと親友でいれるのだろうか。
学生の頃は、ずっと親友でいられると信じていた。でも、今はそう思えない。

最近実感しているのは、ライフステージによって友だちも変わるし親友も親友じゃなくなるんじゃないかってこと。
だから、「親友」が「親友だった人」に変わることも珍しくないんだろうな。

かく言う私も、今同じ問題に直面している。
同棲している彼氏と結婚の話が出ていて、それを親友に話した時に言われたのは「もったいない」「まあ、個人の人生だから反対はしないけど」という言葉だった。

地元が好きでUターンした私が地元で結婚しようとしていることを地元が嫌いで出ていった彼女は受け入れられないのだと思う。

都会に戻ってくる方法も時間もまだあるのに「もったいない」と。
田舎の企業の給料はとても低いから、都会に転職するというのはそこまで変な話ではないけれど。

彼氏と親友が根本的に合わないと直感的に感じているのも、理由の一つだと思う。
家族関係で苦労をして未だに親との関係に苦しんでいる親友と、家族関係にも友達関係にも恵まれずっと日向の道を歩いてきたような我が彼氏。
彼と付き合ったばかりの頃、そんなタイプの人と付き合うとは思わなかった、と言われたことを思い出す。
もっといい人(親友的に?)に出会えるのに、「もったいない」と思っているのかもしれない。これは推測に過ぎないが。

そりゃ、都会に転職してキャリアを積んでみたいって思うよ。給料もアップしたいし。
でも、それって結局ないものねだりなんじゃないかとも思うんだ。都会に転職したって不満はできるだろうしね。
給料低いのは不満だけど、それ以外には特に不満もないし。彼氏に対しては本当に不満すらないし。
なにより、不満だからって変えていたら、仕事も恋愛もないものねだりで全部が中途半端になる気がして。
ないものねだりで生きるのは、もうやめにしようかなって思うんだ。

社会人になって、選択した道も違って、過ごしている世界も違う。
自分が選んだ道を正しいと思いたいから、相手が選んだ道が自分と違うことを認められないこともある。
「親友」として、誰よりも価値観が近いと信じて過ごしてきたからこそ、相手が自分と違う道を選ぼうとしていることが許せない。

でもたぶん、根幹にある気持ちは「嫉妬」なんじゃないか。
自分とは違う場所に行こうとしている。それがなんだか羨ましい、みたいな。または、離れようとしているのが嫌だとか。

でもそれも現段階での話であって、相手のライフステージが変わればまた感情も変わってくるんじゃないか。
だからこそ、相手の反応や言葉に一喜一憂するのではなく、そんなこともあるよね、みたいな感じで自分の道を貫き通すべきなのかもしれない。

結婚を応援してもらえなくても、私の意思は変わらない。
だからどうか応援してほしいって思うのは、ワガママだろうか。

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