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自分のプールで泳ぐ

ほとんどの人は何者になることもできないまま人生を終える。そこには世間の注目を浴びるような華やかさや成功はない。たぶん、自分の人生はそんなに大したものではないのだ、と気づいてからが始まりなのだと最近思う。

華やかさや成功は私の人生が幸せであるためには必須ではなく、大したことない人生=幸せではないという方程式は成立しない。
人生は運が8割、という。だからといって諦めて生きろという訳ではなくて、自分がどうにか操縦できる残り2割の部分で、どのようにして舵を取るかにかかっている。

そこで必要なのは努力ではない。努力はしなければいけないものではなくて、いつの間にかしてしまうものであってほしい。ただ辛いことをすることだけが努力であるなら、それはただただ辛い人生になってしまうから。

そんなことを考えながら、思うことがある。

ただ「生きる」ということだけなのに、なぜこんなにもしがらみがあるのだろう。なぜ、ほかの生物は生まれ、子をうみ繁殖し、死ぬだけの生なのに、人間は、人間という生き物は「生きる意味」を欲しがるのだろう。

人間は頭でっかちになりすぎたのではないか。頭で考えすぎて、自分が「生き物」であることを忘れてしまって、いつの間にかこの世界のことを何もかもわかった気になって。自分がここに存在することにはなにか意味があるはずだ、と傲慢にも世界に自分の存在理由を求めてしまう。

「あなたが会社を辞めても、あなたの代わりはいる」転職を迷う人にかけられることが多い言葉だけれど、これぞ真理と思う。ある意味人間は社会的には代替可能な交換部品であり、私は私の人生の中でだけ、代替がきかない存在なのだ。私の存在理由は私の中にしか存在しない。

大したことない私の人生。それは「こんなもんでいいか」ではなく、「これがいいんだよね」と私が思えるものであってほしい。

ZINEを作る。

今まで、他人からどう思われるかを気にして「役に立つこと」「意味があること」をしようとしてきた。英語や経済、お金の勉強や社会貢献活動をしたり、副業を始めてみたり。自分の本当に好きなものは役に立たないから、いや、今まで役に立たなかったから時間の無駄なんだなんて思ったりしていた。

そして、私の人生の脇役でしかないはずの人たちが「そんなの意味あるの?」と言ってくるのではないかと怯えていた。事実、今でも言われるんじゃないかと思うし、時々そんな声が頭の中ですることもある。
そんな時はポッドキャスト「となりの雑談」のプール理論を思い出すようにしている。私は他人のプール=他人の評価の中で泳ぐのではなく、自分のプールで泳ぐのだと言い聞かせる。つまり、自分のやりたいことにだけは誠実であり続けるという覚悟を持つのだと。

私はZINEを作ってみたい。

ただ、ZINEを作ろうと思ったら、テーマはどうするとか、売れたらどうするとか、売れたいとか、人気になりたいとか考え始めてしまい、どうせそんなに売れないし、妄想したみたいに上手くいかないだろうからやめようという気持ちになった。なぜなら、そんな簡単に上手くいくことばかりじゃないことをもう知っている。思ったより読んでもらえず、売れず、飽きて辞める未来が見える。
でも、せっかくやってみたいと思ったから、売れたいとか上手くやりたいとか深く考えず、とりあえずやってみようと思う。1回で辞めてもいいじゃないか。

やってみることは自由だし、辞めることさえも私の自由なのだから。

私は人間に生まれてしまったのだ。生きる意味を考え続けるしかない、悲しい性を背負った人間にという生き物に。

それは案外幸せなことなのかもしれない、と思える日が来ますように。


ポッドキャスト「となりの雑談」プール理論の回

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