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私の復讐①

私には、ずっと許せない人がいる。しかもそれは1人ではなく、2人。その子たちとは高校時代からの友人だった。

ここ数年、苦しんでいた。許せないならば、もう関わらなければいいのにSNSで近況を追ってしまう。しかも彼女らが不幸でいることを知ると良かったと安心し、彼女らの人生がうまくいっていることを知ると勝手に焦り、あろうことか上手くいかなくなればいいのにと願う。許せなくて、もう他人とも呼べないくらいの遠い関係に成り果てているのに、ずっと固執して不幸を願っている。全く、不健全で建設的でないこんな私の脳みそが大嫌いだ。

仮にも友達であったので、楽しい時間を過ごしてきたし助けられたことも助けたこともいっぱいあった。嫌な思い出の方が少ないくらいだ。
それでもどうしても許せなくなった。そして今も私は許せなくなった時のまま、暗い穴の底で恨んでいる。どうか私よりは不幸であれ、と。間違いなく、そんなことをしている私がいちばん不幸に違いないのに。

1人目の友人。高校の部活仲間である彼女とは別々の大学に通っていたが、大学生になっても交流は続いていた。ただ、高校時代から彼女に対してモヤモヤしている部分があった。それは「自分がその集団の中で1番に愛され、注目される存在でいたい」という気持ちが彼女の行動の端々から見え隠れしていたことである。そして、彼女の意に染まない人物は冷たく対応されるか、(彼女的には意図せずして)貶められるかのどちらか。
でもそれは一部の私のような人間に不快なだけであって、罪でもないし悪いことでもない。そんなふうに行動していた彼女は彼女自身の魅力や努力も相まって、人気者であった。私はなぜあそこまで彼女の「集団の中でいちばんチヤホヤされている人間になりたい欲求」に嫌悪感を抱いていたのか。

思えば、私自身もそのような欲求をずっと抱いていたのではないかと思う。今でこそ人前で目立つことはしたくないと常々思っている私だが、そう思うようになる前は目立つことが大好きな子どもだった。小学校低学年の頃は授業で積極的に手を上げ、テレビの取材があれば映りたがり、運動会の応援団に入れる学年になれば即立候補する。小学校3年生の頃の私は、男子を差し置いて応援団の端っこで応援旗を一生懸命振っていたのだ。(今はどうかわからないが、当時は応援団と言ったら男子がやるもの、という風潮だった)
そんな私が「目立つことはしたくない」という考えに変わったのは、小学校4年生の文化祭で劇のヒロインを務めたことがきっかけである。小学校高学年に差し掛かり、思春期特有の自意識が育ち始めて来た頃だった。ヒロインをやってもいいと思う女子数名でじゃんけんをし、見事に負けた私はヒロインを演じることになった。そのヒロインはクラスの女子にいじめられていて、いじめっ子に展望台に閉じ込められていたところを主人公に助けられるというストーリー。私の出演シーンはストーリーの核となるシーンなので当然みんなが自分に注目している。しかもいじめられている役なので泣くシーン(当然小学生の文化祭なので泣きまねだったが)もあり、もうこんなふうに目立つ役は二度とやりたくないと思ったのだった。

それ以来、なるべく目立つことはしないようにと注意して生きてきた私だったが、生来の「集団の中で目立つ存在でありたい」という欲求は消えたわけではない。ただ、思春期を女子の集団の中で過ごし、自身も成長していくにつれて「他人を差し置いて、集団の中でいちばんに目立とうとすると周りの人間に嫌われる」ということに気づいた。日本の悪しき風習ともいえるかもしれないが、自分が優れている点では謙虚に振る舞い、他人の優れている点は大げさに褒める。これが現代の日本社会の中で良好な人間関係を築く上での基本であり、これさえ守っていれば嫌われることはなかった。集団の中で嫌われることは、特に学生時代においては致命的なダメージになることもあり、むしろ「集団の中では他人を差し置いて目立たないようにする」ことは生きていく上で当然のこととまで思っていた。

そんな私の前に現れた彼女は、ある意味私のいままでを否定するような異質な存在だった。「集団の中で他人を差し置いて目立とうとする」という危険行為をしているのに彼女は先輩にも同級生にも後輩にも好かれており、圧倒的に人気者だった。もちろん、私のようにそんな彼女に嫌悪感を感じている人も少なからずいたが、そんなことは彼女は気にも留めずに過ごしているように見えた。そう、彼女はずっと前に私が諦めたもの、そもそも持ってすらいなかったかもしれないものを全て持っていたのだ。多くの人にとって誰よりもいちばんの存在であり、人気者であり、目立っていた。

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