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そうしたいのなら、私はいつだって自由になれる

大学生のころ、とあるインターンプログラムに参加するためにベトナムのホイアンという街に二週間滞在したことがある。
私たちの移動手段はもっぱら自転車で、ホテルが貸してくれるボロボロの自転車(一応カギはついている)でホイアンの街中を駆け回っていた。

ベトナムに着いたばかりの頃は、ジーンズにTシャツというごく普通の格好をしていた私たちだが、3日くらい経ったあたりからホイアンのあちらこちらで売っている「タイパン」が仲間うちで流行り始めた。
ホイアンの街はとてもカラフルで、家々の壁は黄色く塗られ、軒先には色とりどりのランタンが吊るされて街中が色で溢れていた。
そんな街の色をまるまる写し取ったみたいに、ホイアンで売られているタイパンは派手派手だった。バナナ、象、猫の柄、色とりどりのタイパンを私たちは競って購入し、結局ホイアン滞在中ずっと履いていた。量産型ファッションを着ていた子も、ミニスカを履いていた子も、気がついたらタイパンを履いていた。

ボロボロの自転車で、カラフルなタイパンを履いて、排気ガスと騒音に溢れたホイアンの街を疾走する。ホイアンは、交通ルールも日本に比べればめちゃくちゃで、何回も車に轢かれかけた。けたたましく鳴らされるクラクションは、ホイアンでは当たり前の光景で、もはや「今から通るで〜」というような感じでクラクションを鳴らし、自転車のベルを鳴らしていた。

そんな、日本ではまず間違いなく遭遇しないそのシチュエーションが、すごく心地よかった。危ないし騒々しいけれど、どこか寛容で活気に満ちた世界だった。

ホイアンでなら、ガニ股で自転車に乗ってても周りの目を気にしないでいられた。自転車に乗る時にガニ股なのは、私がO脚ということ以外にも、カバンがひったくられる恐れがあるのでショルダーバッグを足の間に入れていたからという理由もあるが。

ただ、私は「素の自分」で走り回れるのがすごく楽しかった。ここでなら、誰も私のことを「こうあるべき」という視点で見ていないんじゃないかという気がした。

日本では、電車の中や街を歩く時に服装が変じゃないか、立ち振る舞いが変じゃないかということをいつも気にしていた。日本には、「女の子ならこうあるべき」「若者はこうあるべき」など様々な「べき」が存在しているんじゃないかと思う。そして、それを少しでも外れると「変な人」として弾かれる。日本ではタイパンを履いて街中を歩くことなんてできない。
日本という島国は、何世紀もほかの民族を受け入れることなく日本人だけで暮らし、文化を形成してきた。だからこそ、他者と違うということが簡単には受け入れられない。周りと同じであること、周りから浮かないことをいつも気にしていたということに、ホイアンでタイパンを履いてなにかから開放された自分に出会って、初めて気づいた。

タイパンは今も私の大切な宝物で、部屋着兼パジャマとして活躍している。さすがに外で着ることはもうないけれど。
それでも、タイパンを履けばあの時の「開放された素の自分」を思い出し、これを履いていればどこまでだって走ってゆけるような気がするのだ。

電車の中や街中で、青年誌の扇情的な写真や、「太るな」「老けるな」「ムダ毛を生やすな」、そんな風にあらゆるNGを突きつけてくる広告を目にした。そしてそれらを見ているだけで、体で騒音を感じていた。

西加奈子「くもをさがす」

今だって、私は世の中に溢れるさまざまなNGに翻弄されて生きている。なるべく太りたくないし、ムダ毛だってこまめに処理している。
ただ、この突きつけられたNGは、私にとっての絶対的なNGではないのだということを忘れずにいたい。そうしたいのなら、私はいつだってタイパンを履いて自転車を漕いで出かけられるはずなのだから。

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