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Fever PitchとわたくしのJリーグライフ

2002年。わたくしは英国に居た。週末になるとロンドンからちょっと電車に揺られて,なんてことない小さな街のスタジアムにフットボール(英国のサッカーはあくまで「フットボール」だ)を観にいくのが好きだった。特に誰を誘う事もなくふらふらと出向いてはキックオフまでの時間を駅前のパブで潰し,レモネードを啜りながらぼんやりと他の客(恐らくこのあとスタジアムに向かうのであろう)を眺めるのも好きだった。きっとこの小さな街に生まれて,そこには当たり前のようにクラブチームがあって,子供の頃からチームキットを着せられてスタジアムに通ってクラブと一緒に大きくなって,おいしくないミルクティーを飲んで暖を取りながらゲームを観て,やがて家族を持って子供が生まれて今度は子供と一緒にスタジアムに通って,でもお父さんお酒飲むから子供一緒に来てくれなくて…みたいな物語があったりするのだろう。今じゃお父さんパブでビール飲んでクダ巻きながら仲間とSKYのマッチプレビュー眺めてるよ。たのしそうだね。

わたくしはずっと,あの人達になりたかったのだと思う。

祭りには乗るしローカリズムにも憧れる

2002年に何があったのかというと,皆様ご存知日韓ワールドカップである。新潟にもその熱狂の一片がやってきたワールドカップである。何の因果かその熱狂っぷりを時差8時間の英国から眺めていた。新潟のホテルのエントランスで,デイヴィッド・ベッカムにファンの女子が群がるのをどういう訳かロンドンからTVで観ていた。ご存知のとおりで英国,というかイングランドでもワールドカップは注目の的(下手すれば日本よりも常軌を逸した騒ぎ)であり,イングランド代表の試合がある日は朝7時からパブがオープンするとか言ってるし頭おかしいなこの国…と思っていた。しかし当方,昔から祭りにはとりあえず乗るタイプだったので存分に時差8時間の国のワールドカップ・フィーバーを楽しんだ。

それまで実は日本のサッカーにも殆ど詳しくなかった(いくらなんでも中田英寿ぐらいは知ってます程度)。20代はほぼバンドの追っかけに費やしており,更に恥ずかしながら家にはまともに映るTVがなかったというのが主な理由だが,端的に言って興味がなかった。なのでワールドカップで初めて触れたサッカーはとても目新しいものに思えたのだ。日韓大会でサッカーカルチャーに触れた人は少なくないと思うが,何故かイングランドでその啓示を受けていた人間もこのように居ることは居る。

日本とイングランドと世界を巻き込んだ初夏の狂宴が終わりを告げて,まずわたくしが試みたのはローカルのフットボールの現場に足を運ぶことだった。幸いここはロンドン,8月にプレミアリーグが始まれば週末には市内どこかしらのスタジアムで試合を観ることができる。BBCにもITVにもSKYにも映らない,ローカルの現場ならではの不思議で魅力的な光景がそこにはあった。柄もよろしくないし口を開けば4文字単語だしという人々が駅からぞろぞろとスタジアムに向かい,スタンド下の軽食コーナーでビールを煽り,ゲームが始まれば自然発生的にチャントを歌いはじめ,ゴールなど決まろうものなら子供の様に大騒ぎだ。わたくしが今まで観たことのない光景だった。タブロイド紙を騒がせる選手のゴシップや国内外のスタープレイヤーの動向なども含め,目新しいカルチャーに早速わたくしは夢中になる。面白がって当時作っていた自らのホームページ上でフットボールの話ばかりをしていたところ,BBSで当時の読者さんからこんなニュアンスのコメントを頂く。「ハルミルさんはすっかりサッカーに夢中ですね。帰国されたらアルビレックス新潟にも注目してみてください,今年はJ1昇格を逃したけど頑張ってるみたいですよ!」へーそうなんだ!じゃあ帰国したらわたくし亀田製菓って書いてあるユニフォーム買ってアルビレックス応援しますね地元だから! あまりにも軽すぎるモチベーションで「サポーターになる」ことを確約してしまった。だってあの人々…ロンドンやその周囲の小さな街で見かけた愛すべきフットボールフリーク達が生まれながらに持っていたのと同じ環境が新潟にあるんでしょう?なるしかないでしょサポーター?

何事も形から入りたい

ここで突然書籍紹介が入る。アフィリエイトコード忘れてしまってわたくしには一銭も入らない仕組みなので安心してクリックしてほしい。

2000年代前半,英国のフットボールカルチャーを知りたかったら必読と言われていた一冊だ。どれどれと入手して読み始めたのだけど,英国の冬の空のようにひたすら陰鬱に過去の観戦経験と自らの半生を語るという構成(※当時の印象です)で,あんま面白くないな…と半分弱読んだ時点で挫折してしまった(まあ音楽にしろ映画にしろ,英国文化とは基本鉛色の空の様に陰鬱なものだと思っているフシはある。嫌いじゃないのだけど)。

さて2003年春,帰国して新潟に戻ったわたくしは同僚からアルビレックスのホームゲーム招待券を手に入れ,生活が落ち着いた6月になって初めてビッグスワンスタジアムに足を踏み入れることになる。イングランドで観たのと似てるようでちょっと違うスタジアム周りの光景,でもユニフォームに身を包んだたくさんの人がキックオフを前にしてぞろぞろと集まってくるそれはきっと世界共通だ。試合は確かサガン鳥栖戦で見事な勝利で(ディテールはあまり覚えていない。船越優蔵のゴールがあったはず),日本に戻ったけどわたくしはフットボールファンを続けていける!と浮いた足取りで帰路についたのを覚えている。その年のアルビレックスはクラブ史上初のJ1昇格がいよいよ現実味を帯びてきてホームゲームには決まって4万人(4万人!)近くのファンが押しかけ,試合前後にはあの何もなかった鳥屋野潟周辺にたいそうな交通渋滞が起きるという局地的な社会現象となり,祭りには乗るタイプことわたくしも自腹でチケットを購入して行けるホームゲームには行ったし友人達も誘った。秋には初めてアウェイゲームも観に行き(昇格争いの相手だった川崎フロンターレにこてんぱんに負けた。あれ以来等々力とは相性がすこぶる悪いのだと刷り込まれている),これは今後絶対要るじゃろと腹を括ってレプリカユニフォームも入手した。最後までもつれた昇格争いはホーム最終戦で上野優作のコロコロシュートがゴールに吸い込まれ,逆転昇格そしてJ2優勝を果たした。スタンドでは歓声があがり,ピッチ上では選手達が思い思いに喜びを爆発させ,当時気鋭の青年監督だった反町康治が「男になりました!」と宣言した。それはこれまでもこれからも新潟で観れることのないような美しい光景に思えた。わたくしは友人達と涙を流して喜びあい,まるで何年も前からこのチームを応援してきたかのように誇らしさを感じていた。1年ちょっと前に英国でフットボールのカルチャーを体験したばかりのわたくしは,こうして日本でサッカーファンの一番おいしい上澄みだけを味わってサポーターになるという宣言を実行に移すことを決めたのだ。

あまりにも現実,あまりにも身近

さて2004シーズンからアルビレックスのJ1での冒険が始まり,わたくしのサポーターライフも本格的に始まることになる。覚えている人は覚えていると思うが,2004年当時のアルビレックスといえばまず4万人の観客,それまでサッカー熱の薄かった場所に突如訪れたブーム,ニイガタ現象なんて言われたりもして全国のサッカーファンから注目を浴びていた。前年からのちゃっかりフリーライダーであるわたくしとしてもやはり栄えある4万人の一員になりたいという気持ちが勝っていた(祭りにはとりあえず乗るタイプですし)。ホームゲームの日には朝早くからNスタンドの抽選列に並ぶためにスタジアムに到着してそれはそれで楽しんでいたし,やはりJ1は甘くなくて序盤なかなかホームで勝てなかったりもしたけれど,その勝てないっぷりすらも楽しんでいた気がする。連勝なんかしてしまった日には2週間たっぷり余韻に浸るし鹿島アントラーズに勝ったりもしてまさかの4連勝もあって本当にいい気になっていた。中越地震の影響でホームゲームが開催できなかった時期はなんともいえず辛かったし,ビッグスワンにサッカーが戻ってきた日のじんわりとした感動は今も忘れていない。J1初年度はこんな感じでおおむねサッカーカルチャーの上澄みを啜って楽しく過ごしていた。あまり勝てないこと自体はそんなに苦にならず,新しい休日の楽しみ方を完全に手に入れたことにただただ浮かれていた記憶がある。

毎週末をサッカー観戦に費やす生活を何年か続けるうちに,サポーター人生そんなに美味しいところばかりではないな…という事にじわじわ気がついてきた。まず選手が抜ける。移籍だったり戦力外だったりしてとにかく抜ける。あんなに共に闘った(つもりになっていた)仲間が1年単位であっさりと去っていくのである,これはモチベーションの維持が難しい。度重なってくると選手の去就に対して無の感情で向き合わないとやってられない気持ちにもなるのである(降格もしていないのに主力だったセンターバックが2人まとめて引き抜かれたのは2013シーズンだったか。あれもたいがい無になったしアルビレックスはそういうクラブなんだなという諦念が湧いてきた)。この感情とは10年以上経ってもなかなか折り合いがつかないし,選手のキャリアアップとかプレイヤーズファーストとかいった概念の外にあるものだと思っている。あと同じチームのサポーターならみんな仲間なんてことは全くなく,試合中聞くに堪えない野次を飛ばし続ける客と睨み合いになって友人達に宥められたこともある。英国で隣の客が4文字単語を連発してチームに呪詛を吐いていた時はゲラゲラ笑って眺めていられたが,意味がストレートに分かる母国語で何かを罵り続ける人を見るのはやはり気分の良いものではない。それと,負けが込んでくるとやはり人心が荒む。サッカーカルチャーが身近になったら楽しいだろうなと思っていたけれど,身近になりすぎてもそれはそれで楽しくない事象に行き当たることもあるのだ。憧れのフットボールウィークエンド,旅人のつもりでふらりとスタジアムに来て眺めるのと当事者になるのとでは大違いだなということを数年かけて学んだ時期でもあったが,いいことばかりじゃなくてもスタジアムには行くし毎年のように知らない選手が入ってきてもそれはそれで応援する。だってサポーターをやっていくって決めたから。

勿論いいことだってたくさんあった。当時サッカーに関するブログを書いていたことが切欠でサポ仲間が増え,普通に生きてたら多分知り合っていないなという方々とアルビレックスを媒介にいろいろな話をするのがとても楽しかった。後年アウェイに一緒に出掛ける友人もできたし,なんならサッカー以外の現場(※アイドルなど)でご一緒する関係になるまである。サポーター同士のご結婚なんていい話も周りではたくさん見てきたけれど,大きなライフイベントがなかったとしてもサッカーが人生に及ぼす影響はわたくしにも少なからずあったのだと思う。

2002年にフットボールと出会った時から今でも答えが出ていないのだけど,善きサッカーファン・善きサポーターとはなんなのだろうと考え続けていた16年間だった気がする。チームがふがいない試合を続けたらブーイングはするのかしないのか。審判の判定に不満は抱くべきか否か。我々の意に反して移籍してしまった選手は憎むべき対象なのかどうなのか。スタンドでボールを前に出せ前に出せと叫び続ける人を分かってないなと軽蔑するのは簡単だけど,果たしていつでも自分のサッカー観が正しいといえるのか。ファンとサポーター,何が違ってどっちが偉いのか偉くないのか。16年観ているので分かることとして,この手のトピックはインターネット上では数年おきに浮上してはこれといって結論も出ないまま沈静化していくといった印象がある。そしてわたくしが考え続けた末の落としどころは「どうでもええがな」である(いつもの突然投げるスタイルそして唐突な関西弁)。考えたって仕方ないがなその時その時で自分が一番しっくりくる最適解をみつけたらよろしいがな。わたくしの中の架空の関西人がそう言っている。

禍福は糾える縄の如し(サポーターも然り)

ところで先に紹介した「ぼくのプレミア・ライフ」という本。1年ちょっと前に手持ちの本を大量処分した際に手放したのだけど,最近思うところがあってアマゾンでものすごい安値で買い直した。読んだ。16年前あんなに陰惨で退屈で読み進めるのが苦痛ですらあったはずなのに,読み進めるうちに「わかる~。全部分かる~」と思えてどんどん先へ先へと読めてしまった。文庫裏の紹介文からして分かりすぎてどうしようと思ったぐらいだ。

「なぜなんだ、アーセナル!」と頭を抱えて四半世紀。熱病にとりつかれたサポーターの人生はかくも辛い。すべてのスケジュールは試合日程次第。頭のなかでは自分とチームとがこんがらがっている。人生設計なんて立てられたもんじゃない。そんなひどい生活だったけど、ぼくには見えてきたことがあった―。

すべてのスケジュールは試合日程次第(当たり前では)。頭のなかでは自分とチームとがこんがらがっている(なるよね)。人生設計なんて立てられたもんじゃない(そういう人たくさん知ってる)。素晴らしかったゲームの記憶も数の上ではそれをはるかに上回る退屈で悲惨なゲームの記憶も全てが並列で筆者ニック・ホーンビィの人生を形成している。もう大体分かったと思うがそれは筆者の物語であると同時にわたくしの,もっと言えばなんらかのクラブのサポーターを称する人々の物語と相似形である。

「ぼくのプレミア・ライフ」で一番リアルだなと思ったのは,爽快な勝ち試合の数日後にクソみたいな負け試合に居合わせてしまい,世の中を呪って帰路につく…そんな不毛なスパイラルが何度も,何度も繰り返されているところである。サッカークラブを追い続けるというのはそういうことだ。例えば応援しているクラブがリーグチャンピオンに輝いた素晴らしいシーズンがあったとして,その高揚感だけで数年間生きていけるかというとそんなことは全くない。ただでさえ固定された強豪チームのいない,上位と下位の入れ替わりが頻繁に起こるJリーグである以上チャンピオンのファンだからといって油断はできない。ACL出場という栄誉を手にしたと思ったら同じシーズンにJ2降格なんて話もあるだろう(割と最近あったね)。週末にリーグ戦で見事な勝利を見届けたと思ったらミッドウィークのカップ戦ではどうしようもない負けっぷりを披露したりすることもあるだろう(何度もあったね)。こうしてハッピーエンドのない不毛な物語を何度も何度も繰り返す。1週間単位の死と再生を飽きることなく繰り返す。何故なら我々はサポーターだから。

(閑話休題。「ぼくのプレミア・ライフ」でもうひとつ共感せざるを得なかったのが10年以上前の試合の日時と展開とディテールをやたら詳しく憶えていることで,この筆者なら恐らくこれまでのベストゲームとワーストゲームを資料すら当たらずにすらすらと語れるだろう。わたくしだってベストをしいて挙げるなら2013シーズン終盤の横浜Fマリノス戦アウェイだしワーストはどう考えても2006シーズンのジュビロ磐田アウェイ0-7だ)

前章のトピックを再度蒸し返すが,16年ひとつのチーム,ひとつのクラブを見続けてきて分かったことといえば「良いことも悪いことも巡り合わせで起こりうる」もそのひとつである。アルビレックスで言うなら例えば2012年の死に物狂いの残留劇からの2013年の快進撃(からの年末にCB2人ぶっこ抜かれ)。かと思えば翌年は平気でいいところなく下位に沈んでみたり。サイクルの長さはそれぞれだと思うけれど,Jリーグのいろいろなクラブを観ていると悪い時期だけが延々と続くってクラブもなかなかないしその逆もない。よく言われることとして,2003年に昇格を争っていたフロンターレやサンフレッチェが優勝争いに絡む強豪になってるのにウチはどうなってるんだ情けないって話があるけれど,わたくしは楽天家なので10年も待てば我々もそのうちいい目が見れるんじゃないかな(具体的に言うとカップ戦なんかしら獲れるんじゃないかな)と思っている。根拠はないけど単にそう考えていると楽しいじゃないですか。物事の悪い面だけをピックアップしてウチはもうだめだと毎日嘆いている人それ楽しいですかって話である。

そんな楽天家をもってしても,2018シーズン特に夏頃のアルビレックスは観ていてシンプルに辛かった。前年のJ2降格自体はまあ仕方ないかなと受け入れられたけれど,チーム自体に改善の兆しがなく選手たちも自信を持てずにプレイして負けを重ねて監督も3年連続で途中解任,あれっこれってどちらかというとクラブの戦略が間違い続けてるんじゃない?と気づいてしまってからのドンヨリ感は凄かった,ドンヨリしすぎて無に陥った。ローカルのスポーツニュースも出来るだけ目に入らないようにしていたし,各種SNSで怨嗟の声があがっているのを読むのも怖いので薄目でやりすごしていた。あとヤケスイーツと称して敗戦後にひたすら甘いものを食べて現実から目を逸らし続けた(ヤケスイーツは数年単位でやっていたので見事にリバウンドした)。当時サポ仲間とアルビレックスの現状を嘆いていた時に不意に口をついて出た「もうこの状況を面白がるしかないよ!」ってのはなかなかの限界サポでないと出てこない台詞だなと自画自賛している。わたくしとてそんなにドMではないし,こんな見返りのない娯楽にサポーター未満の友人知人を誘う訳にもいかない,でも一か月後か一年後か,はたまたずっと先の事か分からないけれどこの辛い時期のことをいつか笑い話にできる日がやってくる。荒唐無稽だが限界サポーターの思考回路なぞ荒唐無稽で当たり前。そのあと9月になってフロントスタッフの刷新があり,足並みを合わせるかのようにチームはその後2ヶ月負けなし。わたくしは笑いが止まらなかったし辛かった時期の事は都合よく忘れることができた(さながらニック・ホーンビィが88/89シーズン最終戦の出来事を「それまでの18年間なんて一秒で忘れられた」と綴ったように)。意地でサポーターを自称し続けていると時にはこんなささやかなご褒美もあるのだ。順位はアレだったけど面白いシーズンだったなと今にして思っている。

ハッピーエンドのないたった一つの物語を紡げ

つい先日Jリーグの歴史を振り返る的なTV番組があり,ほほうと思いながら楽しく観ていた。多くのサッカーファンが共有できる大きな物語(Jリーグや日本代表の戦歴など)があればそれぞれのクラブの物語もあるし,無数のサポーターが一人一人持っている物語もあるだろう。よく言われる「新潟のおとぎ話第一章」は一旦ピリオドを打ったものと思っているし第二章が賑々しく始まるのかどうかは未来の話なので誰にも分からない,それでもアルビレックスの冒険は続いていく。16年前に始まったわたくしのサポーター人生においても,ハッピーエンドもバッドエンドもない不毛で最高な物語はきっとまだまだ続いていく。

2002年の英国で,小さな街で見かけた名も知らぬローカルファンの人達に憧れて始まったわたくしのサッカーライフだが,実はとっくにあの人達と同じ立ち位置に居たのではないかと思ってもいる。サポーターとは「なりたい」と思ってなるものではなく,気がついたら「なっている」ものなのだ。ひとつのサッカークラブと向き合って見つけた誰とも共有しえない物語,それはサポーターの数だけあるものだと思う。70年代のニック・ホーンビィにあった物語と相似形の物語がきっと貴方の中にもある。わたくしはそれをできるだけ長く紡ぎたい(あと要所要所で言語化して数年後に読み返して悦に入ったり恥ずかしい思いをしてみたい)。


2019年2月。新しいシーズンが始まる。皆様今年もどこかのスタジアムでお会いしましょう。

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