見出し画像

天文学史4『古代インドの天文学』

中1の時のやつの続きだけどもしかしたら中2だったかもしんないですわ


  インドにおける天文学の歴史は恐らく古代文明の一つであるインダス文明の時代の暦の作成などに遡ると思われるが、インダス文字が未解読であるため、その詳しい内容はわからない。しかし、インダス文字にも座を表すだろう文字が、確認できるので、星に個別の名前が付けられる程に発展していたと思われる。

現在、内容が分かる中で最古の天文学の記録は、インダス文明が衰退した後にやってきて、その文化を吸収したインド・アーリア人がインドに広がったヴェーダ時代と呼ばれる時代に、多く作られた、というか時代の由来になった古代インド人の信仰したバラモン教の経典ヴェーダの一つである、Vedanga Jyotishaという文書で、ヴェーダンガ・ジョティシャはラガダ(Lagadha)という人物により書かれたとされ、儀式において重要な太陽と月の動きを把握するための法則が記録されている。

 前2世紀初期、ヤヴァナことアレクサンドロスの時代にやってきたギリシア人との戦いの中で、インド統一を世界で初めて成し遂げた帝国マウリヤ朝が衰退、仏教を保護したカリスマ的な王アショーカの死後、軍人プシャミトラのクーデターでマウリヤ朝が崩壊して生まれたシュンガ朝というインド東部の国で、天文学が大きく発展し、多くの星座早見盤が作成され、惑星の運動や位置の計算が発達し、このシュンガ時代はインド天文学の黄金期となった。

その後、中世初期のインド数学の巨匠で円周率の計算や類型方程式・代数学・無限小・微分方程式の解で知られるアーリヤバタは、その著書「アーリヤバティーヤ」の中で、地球が自転している事、地球の惑星の回転が太陽の影響である事、日食と月食の時間、月の運動などを計算、ニュートンよりも千年も早くに万有引力を発見し惑星は楕円軌道で太陽を回ることなども発見、このアーリヤバタの宇宙モデルは現在から見てもかなり正確で、インドを代表する占星術師及び天文学者で、三角法やギリシア文化の紹介で有名なヴァラーハミヒラや、代数や0とマイナスの数、ブラーマグプタの公式、ブラーマグプタの定理、ブラーマグプタの二平方恒等式、などで有名で、イスラム数学やヨーロッパ数学に多大な影響を残したブラフマグプタ、ピタゴラスの定理証明、二次方程式・三次方程式・四次方程式の解、導関数とロルの定理、正の数の平方根が二つある事の発見などで知られる、バースカラ2世など当時の大都市ウッジャイン周辺の大科学者などに支持された。

 ブラフマグプラなどが存在した6世紀頃のインドの天文学者は、彗星も法則性を持って現れる天体の一つだと考えており、これは占星術師ヴァラーハミハラによって唱えられた説が元となっているとされ、ある人物はその法則性を計算したが、もちろん、彗星は何処かから、何の法則性も無く飛んでくる物であるためこの数字が何なのか、どうやって導き出されたのかは分からない。

また、ブラフマグプタの数学的な伝統を受け継いでいた12世紀頃のバースカラ2世は、著書の中で地球が太陽の周りを回る公転にかかる時間を非常に高い精度で導き出していた。

他にもインドにはライプニッツの公式の発見、円周率の超精密計算、ケーララ学派の創始などで知られるマーダヴァ、太陽が地球の周りを周りその太陽の周りを他の惑星が回るという説を唱えたニーラカンタ・ソーマヤージなどがおり、このソーマヤージによってアーリヤバタが唱えた者より正確ではない太陽系がインドで広まった。

このようにインドで長く天文学が栄えた理由としては、当時のナーランダ僧院などの学問所では天文学が教えられていたためであろう。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?