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わたしを誰よりも大切にする〜「性教育」が意味するところ

先日、地元のおかあさんグループで「性教育座談会」を開きました。

「性について親子で話す」ということにハードルや、恥ずかしさを感じてしまうおかあさん・おとうさん。わたしもその一人です。

いきなりストレートな質問をされてドギマギしたり、正しい知識を自分も持っていないことに気がついて答えを濁したり・・

そんな親たちにちょうどいいボードゲームがあります。
一般社団法人sowledgeの「ブレイクすごろく」(※1)

このすごろく、スタートの『誕生』からゴールの『成人』まで、マス目にいろいろな質問が書かれています。
たとえば、「幼稚園で好きな子にキスをして泣かれてしまった」「子どもの検索履歴にセックスという言葉が出てきた」など。

そのマスに止まったプレイヤーは、質問に対し自分で考えて答え、さらにセットでついてくる「ブックレット」の解答例を読みます。そこには正しい知識や、適切な返答の例が出ていて、「なるほど、こういう答え方するのもありか〜」と気付かせてくれます。

子どもと性の話をすると、どうしても親が自分の知っていることを「教える」形になりがちですが、同じプレイヤーとしてゲームに参加していると、対等に「学ぶ」やり方で知識を共有できます。
個人的には、「解答例を読む」というスタイルがとてもやりやすかったです。正しい知識だったとしても、なんか「言いづらい」「恥ずかしい」という気持ちがあるので、「これはわたしが言っているんじゃない。こう書かれているだけよ」と第三者的な感じで喋ることができるのは、精神的にラクでした。


集まったおかあさんおとうさんと、その後ざっくばらんに話す時間があり、みなそれぞれモヤモヤしていることがあるんだなー、とわかり話は尽きませんでした。

今回ゲストとして、性教育学生団体(※2)を立ち上げた教育大学生にファシリテーションをお願いしたのですが、彼女の段取り・進行がすばらしく、卒業後も性教育を柱に仕事をしていく、という情熱にも感銘を受けました。

持参してくれた大量の本に子どもたちも食いつき、興味なさそうな顔をしていた子が夢中で読んでいる。こういう情報が家庭でも学校でも足りなさ過ぎるね。


年に1回程度、「いのちの授業」や保健体育で教わっただけの知識で、生涯にわたって子どもたちのカラダと心を守ることができるのか。
友だちやネットからの不確かな情報に振り回されて、傷ついたり遠回りしたり、何を信じたらいいかわからなくなる前に、一番身近な人間が伝えていかないと。

残念なことに、この分野の教育はすっぽりと抜け落ちているのが日本の現状です。国際的には、5歳から18歳まで各年代ごとに身につけたい性の知識(包括的性教育と呼ばれています)がガイダンスとしてマニュアル化され、漏れのないようにカリキュラムを提供できるようになっているのですが・・
(もちろん日本語訳もあります)。

教師を育成する機関である教育大学でも、この分野に関しては一切学ぶ機会がない、というのを聞いて愕然としました。先生が学校で教えるべき範囲にそもそも入っていないのですね。

今回心に刻まれたのは、「自分が自分を誰よりも大切にすること」を小さいうちから繰り返し伝えることの重要性です。

大人になってから、自尊感情が低くて常に誰かから承認されないと生きていけない、となってしまうのは、この性教育の欠如も関係あるな、と自分を振り返っても思います。
誰がなんと言おうと、自分のカラダ・心のことは自分で決める。
そう決めて良いんだ、というメッセージを親が、大人が、社会全体が発信していかなきゃ、と強く感じた座談会でした。

※1 現在「ブレイクすごろく」はsowledgeでは取扱していません。
※2 性教育学生団体Palette


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