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誰もが誰かに必要とされてる世界

小学生のときに見た、忘れられない光景がある。

お正月、父の実家に親戚一同が集まった帰り道。
公園で寝ている人たちを見た。
初めてホームレスの存在を知った。

いとこたちと遊び、ご馳走を食べ、お年玉をもらってウキウキしていた私の気持ちは寒空に吹っ飛んだ。

 なんでこの人達は外で寝てるの?
 お正月、一緒に祝う家族はいないの?
 誰かに心配されたり、心配したりしないの?

自分の信じていた100%の幸福、信じていた世界にヒビが入った瞬間だった。

ナイーブな子どもの心に衝撃を与える事件・事実は、けっこう世の中にあふれている。
はじめて「虐待」を受けている子の存在を知った時。
紛争地域から避難してきた友人の体験談を聞いた時。
原発が爆発し、放射能が雲に乗って流れた時。

大人になるということは、こういう出来事に慣れていくことなのだろうと思った。
いちいち傷ついたり、ショックを受けていたら自分の身が持たない。

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子どもを産んでしばらくの間、TVのニュースを見ないようにしていた。
流れてくるニュースはアンハッピーな内容が圧倒的に多いし、映像つきでインプットしてしまっては、あとあと寝れなくなるような事件も頻繁に起こるからだ。

一度、記憶されてしまったものはなかなか消えない。

世界は当たり前のように不平等で、理不尽で、残酷だという事実を、知らなかった頃には戻れない。

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私は今、なんの不自由もない暮らしをしている。
電気もガスも水道も、日々の食べるものにも困らない。

寒ければ暖房を、暑ければクーラーをつけ、ちょっとした労力を惜しむための出費だってする。

だけど、100%幸せだった頃の世界には、戻れない。

ホームレスの人たちを見たときの衝撃は、いま言語化すると、「この世に自分を必要としている人が誰もいない」状態がある、という絶望感だと思う。

猫1匹でも、自分を頼りにし、慕ってくれたら。

誰かから必要とされたい。
それって人間の本質的な願いかな、と思う。

すべての人が、誰かを必要とし、必要とされている。
そう信じられる世界に住みたいんだ、と気がついている。


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