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わたしたちは、つながりあって強くなる

はぐママ設立前夜

それは、町の中のとあるカフェで起きた。
長男の就職にまつわる、さまざまな心配事。発達障がい、という個性を認識するまで、たくさんの無理を重ねたことによる二次障害。行き着くところまで行ってしまった、と後に回想するほどの状況に直面し、一人でずっと戦ってきた母が、はじめて弱音を吐けた場所

同じカフェの客として来ていたYさんのひとこと『わかるよ』が、張り詰めてきたココロを一瞬にして溶かした。

はぐママ代表・龍至雅子は、たったこの4文字に救われた、と語る。
それから数カ月後、生きづらさを感じている子のお母さんたちがつながり、ともに泣いて笑って、理解を深めよう、というネットワーク「はぐママ」が生まれる。

※以下、はぐママ代表・龍至雅子へのインタビューをフルで掲載します。

◎インタビュアー(以下、略)
 ー「はぐママを立ち上げたきっかけ、ということで、カフェでの体験を詳しく伺います」

◎龍至雅子代表(以下、雅)
ー「当時、長男が進路のことでつまづいて、本人の生きづらさも、どこまでわかってあげられてるのか、と思い悩んでいた時、友人の紹介で会ったYさんに話を聞いてもらいました。
その時の『わかるよ』の一言で、“ここにわかってくれる人がいたんだ ”と。

それまで、自分の中で勝手に“人前で泣かない”という取り決めをしていて、踏ん張っていたのだけど、自分の中のなにかが緩んで、泣かせてもらえたんですね。」

ー「その体験から、他のお母さんたちも緩んで、泣いてもいい場をつくろうと思った?」
◎雅
ー「最終的にはそこにいきつくんだけれど、その前にたまたま友人のやっているカフェで、発達障がいを持つ子の進路のことで悩んでいるお母さんの話を聞く機会があって。
自分の子育てを思い返しながら話をしたら、相手にとても伝わったみたいで、自分の子育ても人の役に立ったんだな、と。
自分自身も思い返すことができたな、という思いでその時は終わったんです。
ところが数日後、朝起きて急に『これやりたい❢』と思ったんですね。」

ー「啓示が降りてきた。同時に、はぐママという言葉も降りてきたんですか?」
◎雅
ー「なぜかわたし、これやりたいんだよね、って。でもどうやって形にしたらいいかわからないから、手始めに茶話会をやろう、となって、なにか題名をつけたいと思った時にパッと『はぐママ』という言葉を思いついたんです。」

ー「自分のしてきた苦労が報われる、とか、過去の体験が昇華されるような感覚はありましたか?」
◎雅
ー「そこはあんまり考えてなかったですね。自分の子育ての経験が役に立てばいいな〜、自分のように悩んでるおかあさんの気持ちが軽くなって、ラクになってくれたら、という思いでした」

安心して泣ける場


ー「以前、知的障がいのある子のお母さんに話を聞いたことがあって、みんな自分の子どもや自分を守りたいという思いから、子どもの困りごとや悩みを隠そうとする、見えないシールドが、お母さん同士をつなげるのを邪魔してる、そんな傾向があるように思うのですが、はぐママはそんなシールドがなくなる場?」
◎雅
ー「はぐママはお母さんにとって安心して泣ける場、抑えてた感情を出してもいい場になれればいいなあ、と思っています。
まだまだ子育ては、楽しむ、っていうより大変なことの方が多いと感じてるお母さんが多いんじゃないかって気がするんですよね。
うちの子だけ?と悩むこともたくさんある。それをはぐママの中でどんどん出してもらって、そんなお母さんを否定せず、受け容れる場所って思ってもらえるといいし、そういう場作りを心がけてきたつもりです」

ー「自分ひとりで抱えなくていい、ということだけで軽くなりますよね。
”言えない”という状況が、辛さをさらに倍増させると思いますし、心のガードを外せる安心感プラス、現実を共有してもらえるっていうところも嬉しいのかな、と思います。家族内でも、子どもに関する情報が共有できないってことは起こりますから」
◎雅
ー「悩んでいると、人に言えないですしね。言ったところで、相手の反応も気になってしまうので、結局バリアを張ってしまう、ということになりますよね」

ずっと、苦しかった

ー「子育てで一番苦しかった時期はいつですか?」
◎雅
ー「ずっとかな。子どもが高学年になるにつれて、今まで受け入れてくれていた周りの子が変化していき、受け入れてくれなくなった。人が大好きな子なのに、孤立していく姿を目の当たりにして辛かった。
それが次男のときで、長男の場合は、障がいに気づいたのが高校の時、と遅かった。環境の変化に順応できなくて、人間関係や勉強など、二次障害もでてしまって『わたしの人生終わった 』というくらい絶望感に苛まれました。」

ー「その絶望感の中で、切実に求めていたものはなんでした?」
◎雅
ー「・・・早くラクになりたい。早くこの辛さから脱出したい。」
ー「終わりが見えることを求めていた?」
◎雅
ー「誰かに『助けて』と言う発想はなかったですね。この子たちには自分しかいない。自分が動かないと誰も助けてくれない、と。
ずっと戦っている感覚でした。
周りを見渡せば助けてくれる人もいただろうけど、それに気がつける自分の余裕がなくて。
絶望と背中合わせで戦っているとき、いまのはぐママのようなコミュニティがあって、他のお母さんとつながれたら、素直に泣けただろう、と思うけれど、素直に泣く、ということを自分に許していなかったんです。
自分の親にも弱みを見せず、ずっと緊張の中で戦っていたので。

家族内でも、夫はなかなか理解してくれなかったから、父親の力を借りたい、という場面で自分が父親の役もやらねばならない。子どもたちの味方は自分しかいない、と思っていました。」

親も時代の価値観に縛られている


ー「なんでそこまで戦わせちゃったんだろう、と思うと切なくなります。」
◎雅
ー「そういうお母さんがいっぱいいたと思うな。当時まだ、発達障がいという言葉を耳にする機会はあまりなかったし。

なぜうちの子はみんなと仲良くできないんだろう?
みんなが楽しそうにしてるところに、うちの子もいてほしい。
どこかで、子どもの幸せ=みんなと仲良くいること、という願いがあったんですね。」
ー「わたしたち、昭和世代はそういう価値観がバチっと固定されていましたしね。」

メンバーがエンパワメントされた瞬間


ー「いまメンバーになっているおかあさんたちに、なにか変化を期待する、または、変化を感じる場面はありますか?」
◎雅
ー「茶話会からはじまり、回を重ねるごとに" あれやってみたい " " これやってみたい "という声が聞こえるようになって。変化を感じたのは、一緒になにかをやる(具体的には講演会の主催)という体験を通じて、かな。
自分ひとりじゃできない、みんなの力を借りないといけない状況になったんですね。できる範囲でいいから、手伝ってほしい、と。」

ー「頼るつもりできたおかあさん達が、逆に頼られることによってエンパワメントにつながった(力をひきだされた)。出会いはじめは、“ それどころじゃないんだ ”と、自分の子どものことで精一杯だったおかあさん達も、“ できる範囲でいいから ”とお願いされることによって、自分にもできることを探すようになった?」
◎雅
ー「だって、本当にひとりじゃできないんだもん笑
講演会みたいな、わりと大きなイベントをやる時は、ひとりじゃ限界がある。
そういう時、“あのお母さんに声かけてみようかな”って。
ただそこにいくまでには、茶話会などで、ちょっとずつちょっとずつ距離を縮めていって、“ ここなら大丈夫かなあ”ってガードをゆるめてもらって。
ちょっとずつお母さんたちの心も元気になってきて、という月日が必要でした。」

わたしがいるから、はぐママなんだ


ー「通常、なにかグループに入って活動する時、誰か中心になる人がいて、みんなを引っ張っていく、というスタイルが多いけれど、はぐママはそうではない?」
◎雅「できることでいいから、手伝ってくれないかな🙏?ってお願いするのがまずスタート。
ー「そうやってなにかひとつでも、やってみることでメンバーのあり方が変わったような気がします。わたしの存在がはぐママを作ってるんだ、みたいな」
◎雅
ー「“ わたしがいるから、はぐママなんだ ”とみんなに思ってほしい。
実際、メンバーひとりひとりが、自分の力を発揮する場面が、必ずまわってくるんですよね」

ー「やりたいことがあるメンバーがいて、いろんな人の力を借りてそれを叶えようとする、そんなコミュニティ?」
◎雅
ー「みんな優しいんですよね。メンバーの誰かが 『やりたい』と声をあげると、みんな応援してくれる。応援の連鎖が働く。」
ー「最初はみんな受け身だったと思うんですよね。自ら『やりたい』と声をあげるようになることが、まずひとつ目の変化だなと思います。そして、雅子さんに話すことで、一人目の応援団をゲットしたことになる」
◎雅
ー「お母さんたちが色んな話をしてくれるんですよ。そのうちにやりたいことへの思い・熱量が伝わってくるから
“ やりたいんだな ” から “ はぐママでやっちゃえばいいじゃん ”って笑」
ー「ほかにもサポーター連れてくるよ、と笑」
◎雅
ー「みんながそれぞれお互いの応援団の役目を担っている、と思うんですね。誰かがやりたい、と言ったらそれを他のみんなが応援する、という、とてもよい連鎖が起こっていると思います。」

“ココロごとハグする”をベースに化学変化を起こす


ー「今後、コミュニティをどんな風に育てていきたいですか?」
◎雅
ー「育てる・・逆に育ててもらってるんだけどね
自分だけの価値観ではここまでこれなかったですよね。
自分以外の年代の、いろんな人の価値観に触れて、びっくりすることがたくさんあって。
だからこそ、とり入れると面白い変化が起こる。
自分の信じてた“ こういうものだ ”をみんなが覆してくれる。
これからも、みんなと化学変化を起こして
ひとりひとりが" 自分らしさ "を前面に出してイキイキしてるようなコミュニティでありたいですね。」

ー「代表だから自分が舵取りをしよう、とか方向づけよう、という感じではないわけですね。」
◎雅
ー「ベースになるものはあります。それがキャッチコピーにもなってる
" ココロごとハグする "
ベースがあるからこそ、どんどん変化していけるのかな。
いろんな人の力を借りて元気になったお母さんが、次はほかのお母さんの、誰かの、助けになれる。
そんなやさしさの連鎖が起こるような、つながって支えあえるコミュニティになればいい、と思っています。」

ー「つまり、いつでも新しいメンバーウェルカム、ってことですね。
この会に入るのに、" こういう価値観じゃなきゃいけない "というのは一切ない」
◎雅
ー「(大きく頷く)ないですね」

(以上)


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