人生リミット配分
人生は限られた時間しかない。当たり前のことだけど、割と大切なことな気がする。世界中にある映画の時間を全部合わせたら、80年なんてもんじゃ消費しきれない時間が必要で、全部見ることは絶対にできない。
私は映画を見たり、本を読んだり、漫画を読んだり、YouTubeをみたり、 TikTokをみたり、詩を読んだり、どんな媒体であれ、他人の作ったものを鑑賞することが好きだ。だけど、同時に鑑賞はあくまでも他人の人生をなぞるだけで、自分の人生にはならないことを知っている。同じ経験をするなら、百聞は一見にしかず、自分が経験した方がいいに決まってる。
それでも芸術は廃れないし、愛される。本当に羨ましい。
自分に与えられた、制限のあるとわかっている時間を、なににどうやって配分するかを決めることが、自分の考えや価値観を形成すると私は思う。私は、暇があれば漫才見るし、4コマ読むし、猫の動画を見る。そうやって勝手に築き上がってきたユーモアとかが合う人と合うんだと思う。
意味のないYouTubeとかみてて、あーいま無駄な時間過ごしてるなって、思う時もあるけど、その無駄な時間こそが人間の本来過ごすべき時間な気もするから。
とか思ってたんだけど、今思うと、好んでみる作品自体、自分が好きな感覚を持つ人が出てこないと見ないよね。特にYouTubeとかは。じゃあ結局どうやって価値観ってつくられるんだろ。やっぱ親かな、結局親かな。
あとは、自分が実際に経験することかな。この人の価値観が良いなって思える人に出会うことの大切さみたいなのをこの頃感じるようになった。今まで、友人を尊敬するという感覚を完全に持ち合わせずに生きてきた私にとって、結構大きい衝撃だった気がする。その人に出会ったことで、それ以外の人のことも尊敬することができるようにもなった。
あんまり良くないと世間では言われそうだけど、私は、相手が自分より上の存在なのか、下の存在なのかを意識することって大事な気がしている。それを本人とか、まずまず他人に見せることはナンセンスだとは思うが、自分の中で意識することは大切な工程。ビッグになりたい人は、自分より上の存在をいずれ無くさないといけないんだから、自分がどの位置にいるのかを客観的に見なきゃいけない。ここでの意味のビッグは精神的に大人ってことね。
客観的な視点は、ずっと持ってると達観している人間になってしまって、気持ち悪いからやめようね。でも家に帰って1人で自分を客観視することは、病むことに繋がりやすいからダメだよ。一番いいのは、人に相談しながら、自分の状況や立場を客観的に説明することだよ。嘘をつかずに、自分の非を伝える勇気を持つことで、自分のどこが悪いのかに自分の言葉で気づくことができる。ポイントは、相談相手はちゃんと選ぶこと、それこそ自分の尊敬できる人にした方がいい。
尊敬できる人が多すぎることは、自分の未熟さを意味している。皮肉だけど、人を尊敬できないほど上に立つ人は、大人なんだと思う。(ただただ人を尊敬できていない人は別だよ!)けどそういう人って、人を尊敬するふりが上手いし、あまり人に感情を動かされない。本当にかっこいい大人って感じ。
ずっと早くそれになりたいとずっと思ってたけど、話し合う人いなくなりそうだからやめようと思う。今くらいがちょうどいい。自分より上の存在から馬鹿にされていたい。
精神的な成長って、不幸から生まれるものだと思っている。ちょっと違う気もするけど、夜のお店で働いてる人の方がバイトしたことない大学生なんかより世界を知っている、みたいな。とにかく、辛い思いすることが、大人になる過程で必要になる。けどそれは必ずしも精神的な苦しみじゃなくてもいいと、私は感じている。去年、忙しすぎて大変だったけど、私はその場所に進んでいくくらいには精神が安定していたし、逆に苦しみに自分から行ってたような気もする。私は、人から怒られることだけは避けて生きているけど、他人から迷惑をかけられることは苦じゃない。
私に迷惑かけたやつには、幸せになってほしくないとか言ってたけど、私が幸せにしてあげただけで、正直逃げても良かったと思ってる。長女だから、おせっかいで、やってあげただけで、別に幸せになってほしくないほど恨んではない。何も失ってないから。
でもこれは、やってきた活動が全て利益の出ないものだったから、ってだけであって。今後、私が幸せと感じるものを、そいつが取っていったら、許せなくなっているかもしれない。これからまだ成長するのかー。もういいのに、苦しいやつ。
Twitter見て、寝よ。
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