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【やっちまった!!】マドリーしくじりの歴史~🇧🇷編~

今をときめくヴィニシウスとミリタオ、そして超新星エンドリックなどブラジル人選手とマドリーの縁は深い。

もちろん、中盤に安定をもたらしてくれるナルシストアンカーのことを忘れているわけではありません。

ロベルト・カルロスとマルセロはマドリーの左サイドバックとして一時代を築き、1996年~2019年という約23年間をこの2人で支えてくれた。
悪魔の左足と呼ばれたロベルト・カルロスは1996年にインテルから加入し2007年の夏まで在籍。
2006-2007シーズンCL決勝トーナメントにてバイエルンに敗北し敗退した戦犯として槍玉にあげられた中での退団発表となったのはもはや15年前というのが時の流れを感じる。

後継者となったのが当時まだ18歳、現在はモジャモジャの髪は"短いボウズ"だったヴィエイラ・ダ・シウバ・ジュニオールだが、11年在籍した先輩よりもいつの間にか追い越し在籍期間15年というレジェンドの仲間入りを果たしている。

2019-2020からはメンディが加入の為、事実上ポジションを明け渡した形となった。

そんなブラジル代表選手達に支えられてきたマドリーだが、残念ながらしくじり選手が存在するのは紛れもない事実だ。

今回は知名度と期待値を大きく下振れた、そのしくじり度合い低い順からランキング形式で紹介していきたいと思う。


セビージャからやってきた野獣

★第5位
ジュリオ・バチスタ

05-06シーズンにセビージャから主力2人を引き抜いた形での所属となった。

時系列的にはセルヒオ・ラモスは移籍期限ギリギリ、オーウェン放出での移籍金で契約を勝ち取っており、バチスタは夏の移籍市場早々の加入であった。

ロビーニョの加入と、セビージャ時代の活躍を期待されたが不慣れな左サイドでの起用などもあり結果はともわなかった。

06-07シーズンはアーセナルへレンタル移籍で放出され、代わりにトレードという形でレジェスがマドリーにレンタルで加入となり両者の明暗はここで分かれることになる。

リーグ戦24試合3ゴール、カーリングカップでは準々決勝リバプール戦、準決勝スパーズ戦では活躍したが、決勝のチェルシー戦ではいいところがなく敗北した。

逆にレジェスは最終節までもつれたリーガ優勝の立役者となる。

07-08シーズンはマドリーに復帰し、カンプノウでのクラシコではファン・ニステルローイとの連携で決勝点をもぎ取る活躍を見せ、4年振りのカタルーニャでの勝利に貢献した。
序盤こそ好調でグティをベンチに追いやる程であったが、終盤に失速し逆にグティにポジションを譲ることとなる。

結局グティはアシストランキングでトップに立った。

2008年8月14日、ASローマと4年契約を行いマドリーを去ることとなる。

セビージャ時代の活躍をマドリディスタが見ることは叶わなかったのだ。

No.11を背負わされし者(2代目)

★第4位
シシーニョ

2006年1月1日、ミチェル・サルガドの負傷もあり冬のマーケットでやってきた右サイドバック。守備の脆さもあったがドリブルのキレもスピードは抜群にあった。

ハートさんが好きな選手だったらしい。

しかし、運命の悪戯とは皮肉なもので彼自身もこれからという06-07シーズン序盤で怪我により長期離脱となってしまう。
そのポジションはセルヒオ・ラモスが埋めることとなり、いつしか彼は忘れ去られてしまった。
復帰後も出場機会がなく、2007年夏にASローマへと移籍することとなる。

 TOYOTA Cup Japan 2005でリバプールを下して獲得した優勝トロフィーを置き土産をマドリーにやってきたが、彼もまたマドリーで成功することはなかった。

ちなみにNo.11の呪いはオーウェンから彼に受け継がれてから本格的に効果を発揮し始めた。

2002年W杯得点王

★第3位
ロナウド

ロナウドと言ってもCR7ではない。
ブラジルの怪物ロナウド・ルイス・ナザーリオ・デ・リマであり、現在のバジャドリード会長のことだ。

W杯2002得点王を引っ提げ移籍期限ギリギリにインテルからドン・フロレンティノが引き抜いた。

FAXはこの日はしっかり稼働していたようだ。

当時のインテル会長モレッティはコレクターとしても名高く、そんな会長から好きな選手を譲り受けることに成功したフロレンティーノはビジネスマンとして優秀すぎるとしか言いようがない。

W杯後、かつ移籍期限ギリギリでの加入、そして怪我の影響もあり、3ヶ月ほどデビューが遅れたロナウドだったがアラベス戦で2得点といきなり結果を残す。

CL準々決勝オールド・トラフォードでのユナイテッド戦でトリプレッタを記録しスタンディングオベーションの喝采を浴びた。

ソシエダの猛追もあり最後まで優勝争いがもつれたリーガ最終節ベルナベウでのビルバオ戦でも2得点をあげマドリーを29回目の優勝に導いた。

またブラジルを5度目のジュール・リメ杯獲得に貢献したことも評価され、2度目のバロンドールも受賞している。

裏に抜けるスピードは凄まじく、ゴール前で3人に囲まれてもフィニッシュへ持っていき決めきるというのはまさしく"超常現象"である。

これが出来たらバロンドールなのでベイルも見習ってほしい。

また03-04シーズン、当時は相手にすらならなかったお隣さんを相手にベルナベウでラウルと連携し13秒70という驚異的なスピードでゴールを決めたこともあった。

ちなみにマークに付いていたのはシメオネでGKは長年の相方だったブルゴスである。赤いベースボールキャップがトレードマークでガリガリだったブルゴスの変わり様はアトレティの弟ですら驚愕したものだ。

しかし、ロナウドがタイトルに貢献したのは結局のところマドリー所属初年度のリーガ優勝のみで彼の夢であったビッグイヤーを掲げることは叶わなかった。

また晩年は怪我も多く、06-07シーズンはファン・ニステルローイの加入もあり構想から外され出場機会が激減したこともあり、2007年1月30日にシェフチェンコの後釜としてACミランへと加入する。

最後になるがベンゼマのアイドルであり、ロナウドが背負っていた9番を崇高なものに昇華するまで成長したのはマドリディスタにとっては嬉しくもある。

イグアインが移籍した時は、ベンゼマがここまで成長するとは想像も出来なかったし、これだけの数のビッグイヤーを掲げるチームなるとも思っていなかった。
本人の意思とはいえ、ピピータが変貌する前に放出をOKしたフロレンティーノはさすがとも言える。

これからもフロレンティーノの仲良く、マドリーのカンテラーノを成長する舞台を提供してもらいたいものである。

余談だが、ボビー・ロブソン監督時代に1シーズンだけバルサに所属していたことがあり、そこで生まれたのがかの有名な「私の戦術はロナウドだ」である。
また監督に就任に際し、モウリーニョのアシスタントコーチ起用を条件に挙げ、スポルティングCP、FCポルトと続き師弟コンビを実現させている。

フェイントデザイナー

★第2位
ロビーニョ

彼のデビュー戦は衝撃的だった。
05-06シーズン開幕戦。舞台は"彼の地"、ラモン・デ・カランサ。

途中出場で欧州、いや世界にお披露目されたロビーニョは創造性に富んだ魔法の連続だった。トラップ、タッチ、フェイント、すべてがファンタジアに溢れていた。

1:11:20~当時ご覧になっていた方は是非コメント戴きたいので、お待ちしております。

フィーゴの10番を受け継ぎ、その実力の片鱗をまざまざと見せつけた瞬間であった。

初得点はデビューから少し時間を要したが、ベルナベウの大観衆の中で豪快に決めたミドルシュートは鮮やかだったし、彼はグティとの相性も抜群だった。(むしろグティが使っていたとも言えるが)

しかし、ロビーニョはリーガ2連覇を達成した2008年に旅立つことになる。
元弁護士とは思えない当時の会長なんちゃらカルデロンがCR7と契約したかのような発言に腹を立てて移籍してしまったのだ。

ロビーニョとマドリーの船出はここで終わりを迎えることとなる。

06-07シーズンにガナーズからレンタルで加入したセビージャが生んだ天才ドリブラーのレジェスや翌年にはロッベンの加入などもあり危機感もあったのかもしれない。

成績としては在籍3シーズンで101試合、25得点。タイトルはリーガ2連覇とまずまずの結果だ。

しかし、彼の転落はシティ移籍後からジワジワと始まるのであった。
08-09シーズンは14得点あげたが、翌シーズンは結果がともわず、挙げ句の果てに2009年1月に18歳の女性から婦女暴行で訴えられる。一時は警察に拘束されたが、証拠不十分で無罪となった。

2010年W杯後にはACミランに移籍。その後は各クラブを転々とする渡り鳥となった。

彼が思い描いた30歳で引退したいという願いは、成功を掴むことなく30歳以降も現役を続けるという現実が待っていたのだ。

しかし、現実にはまだ続きがあった。

先日、1月19日にイタリア最高裁がロビーニョに禁固9年と罰金6万ユーロ(約780万円)有罪を下した。最終判決で実刑、及び執行猶予は無い。

ACミラン在籍時、2013年1月21日深夜から翌日未明にかけて発生した婦女暴行事件である。
この容疑の為に2020年10月サントスとの契約を行ったが、わずか6日で契約凍結となる。

将来を嘱望されて21歳でマドリーへやってきた超新星は重力の井戸の底へと堕ちたのであった。

サンパウロ生まれの名手

★第1位
カカ

リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ。彼の存在を覚えているマドリディスタがはたしてどれだかいるのだろうか?

正直、自分自身書いている途中までロビーニョが1位だと思っていた。
それほどまでに記憶の彼方へ忘れ去られていたのだ。このランキング唯一のバロンドール受賞者であってもだ。

故に期待ハズレだった結果も含めダントツの1位となった。

第二次ペレス政権発足の目玉としてCR7、シャビ・アロンソ、ベンゼマ、アルベロアらと共に加入。
当時のマドリディスタの注目度はもちろんCR7の次、もしくは同等くらいであった。

2009-2013 まで所属し、85試合23得点。
怪我の影響やフィットネスの問題を抱えた関係でACミラン在籍時と比較すると物足りない結果となった。

そんな理由もあり、2013年夏にモウリーニョの後任として"恩師"であるアンチェロッティが監督として就任するが、ベイルの加入などもありカカは放出候補となり古巣ACミランへの復帰となったのは、なんとも皮肉な話である。

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P.S. フラビオ・コンセイソンを忘れてるって?
誰もマケレレの相方だなんて覚えている人おらんやろ。

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