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【試し読み】『イエローストーンのオオカミ』1995年、14頭のオオカミが自然に放たれた。

 みなさんはオオカミについてどれくらい知っているでしょうか?
 かつて日本では田畑の作物を食い荒らすシカやイノシシを追い払う存在として、オオカミは信仰の対象となっているほどでした。
 一方、西洋の昔話や童話では赤ずきんを襲ったり、子ブタたちのお家を壊す悪者として描かれています。当時の人の目には、群れパックを形成して狩りを行なうオオカミは恐怖の対象としてうつっていたのでしょう。

 アメリカでは盛んにオオカミ狩りが行なわれ、その結果、20世紀初頭に最期の一頭がパークレンジャーによって撃ち殺されてから、イエローストーン国立公園からオオカミは姿を消してしまいました。
 その結果、イエローストーンでは最上位捕食者であるオオカミがいなくなったことで草食動物が大繁殖し、植物を食べつくしてしまったことで自然は荒れ果ててしまいました。
 こうした壊れた生態系をもとに戻すためには、「元々生息していたオオカミを野に放ち、あるべき自然の姿を元に戻すしかないのでは?」そう考えるようになりました。
 それから半世紀以上が経ち、保護運動が高まりオオカミ再導入計画に対する社会の理解が進んだすえ、1995年から1996年にかけて、計31頭のオオカミがイエローストーンに放たれることになりました。
 本書はそんな、カナダから移送されてきた31頭のうち、最初の14頭がやってきた1995年から2000年までの出来事を描いています。

 俳優・映画監督としても有名なロバート・レッドフォードによる序文と、本書の主人公とも言えるオオカミ「ナンバー8」がリーダーとしての資質を開花させていく「小さなオオカミと大きなハイイログマ」の章をお届けします。

イエローストーンのオオカミ:放たれた14頭の奇跡の物語

■ ■ ■

序文 ロバート・レッドフォード

 アメリカの自然は、常に人々の心を豊かにし、夢を掻き立ててきた。そしてオオカミは、多くの人にとって、自然や自立、自由のまぎれもない象徴である。しかし一方で、オオカミを家畜や自分の家族、そして家族の将来を脅かす存在だと考える人々もいる。

 生物学者でもある著者のリック・マッキンタイアが語る物語には、読む者を魅了する力がある。物語は、1926年に、イエローストーンの最上位捕食者であるオオカミの最後の一頭をパークレンジャーが射殺したところからはじまる。当時、オオカミがいなくなったことを悼む者はほとんどいなかった。
 しかし、その後オオカミの個体数がアメリカ各地で急激に減少し続けると(ついには絶滅危惧種に指定されてしまう)オオカミ保護運動が起こり、1990年代中頃に、イエローストーン国立公園に31頭のオオカミが再導入されることになった。それから数十年が過ぎた今、イエローストーンでのこの果敢な試みは、これまででもっとも成功した野生生物保護活動だと考えられている。

 著者マッキンタイアがこの再導入の逸話を語る本書からは、オオカミの群れが大自然に復帰する様子を観察し続けた彼自身の情熱と献身、不屈の意志と冒険がありありと伝わってくる。再導入からの数十年間、著者は徒歩で自然の奥深くに分け入り、何千ページにもわたる詳細な記録をつけ、さらには、オオカミをその目で見てもっとよく知りたいと考えて世界中からやってくる旅行者のために、道路脇にフィールド・スコープを設置する作業も続けてきた。
 とくに著者が興味を惹かれ、心を奪われたのは、最初に放たれたオオカミのうちの一頭であるナンバー8で、8はやがて本書の主人公となっていく。
 マッキンタイアの目を通して見るオオカミの姿からは、一頭一頭が、力強く生きている個性豊かな存在であることが伝わってくる――そして彼らの互いへの忠誠心や高い知性、生きる意志の強さに、畏敬の念を抱かずにはいられなくなる。

 オオカミについてのこの詳細な記録を読み、オオカミをめぐる論議が依然として続いていることを考えたとき、オオカミが生態系で担っている重要な役割と、彼らが公園という保護区から足を踏み出したときに日常生活に被害を被る人々の利益を、どう両立させればいいのだろうと考えあぐねてしまう。
 答えは簡単には出ないが、本気で解決策を探そうとすれば、人類の知力に不可能はないはずだ。情報やデータは重要だが、人々がオオカミに共感するための物語も同じように重要だ。その両方が、未来のための決断を生み出す力となりうる。このすばらしい本は、その両方を同時に提示して、わたしたち読者に自ら決断する機会を与えてくれる……それこそが侵されざるべきアメリカの自由なのだ。

ユタ州サンダンスにて

小さなオオカミと大きなハイイログマ

本書に登場する主なオオカミ

 クリスタル・クリーク・パックを観察する機会が増えるにつれて、わたしは一頭一頭の個性を知ることに力を注ぐようになった。とくに興味をもったのは四頭の子オオカミたちで、彼らが大の遊び好きであることはすぐにわかった。ある夕方、仕留めたばかりの死骸のそばにいる三頭の黒毛の子オオカミを観察していると、そのうちの一頭が別の一頭に近づいてプレイバウ〔犬などが前足を伸ばし、胸を地面につけたままお尻を高くあげて遊びに誘う仕草〕をするのを目撃した。どうやら、追いかけっこに誘っているようだった。この誘いは通じたようで、誘われた子オオカミが、誘った子を追いかけはじめた。しばらくすると、片方の子オオカミが古びたエルクの枝角を拾い上げた。そこへ三頭目の黒毛の子がやってきて、その角を奪い取ったが、すぐに戻ってきて二頭で角を使った綱引きをはじめた。両親がその場から立ち去ろうとしているのに気づくと、三頭はそのあとを追ったが、遊びはまだ続いていた。歩きながら、一頭が振り向いて後ろの子の前で跳ね回って見せる。するとまた追っかけっこがはじまる。その後二頭は、役割を交代しながら追いつ追われつの遊びに熱中した。

 それから数日後、わたしは二頭の黒毛の子オオカミが別の死骸のそばにいるのを見つけた。一頭が死骸から肉を嚙みちぎり、空中に放り投げたかと思うと、跳び上がって口でキャッチした。それから肉を地面に落とすと、まるで肉が生きていて逃げだそうとしているかのように、それに襲いかかった。そのあとまた肉をくわえて駆けだし、再び空中に放り上げて、走りながらキャッチした。のちにわたしは、オオカミの子どもの遊びのリストを作り、この遊びを「肉投げゲーム」と名づけた。

 そこへもう一頭の黒毛の子オオカミが走ってきて、最初に肉で遊びはじめた黒毛の子を追いかけた。前を走る黒毛の子が肉を落とし、後ろの黒毛がそれを口にくわえる。そのまま肉をかっさらって逃げると、肉を奪われた子オオカミがそのあとを追いかけた。追いかけっこは途中で逆転し、追われていた黒毛が追っていた黒毛を追いかける。と思うと、先を走っていた黒毛の子オオカミがふいに動きを止めて、生い茂る丈の高い草の中で身を伏せた。追ってきたもう一頭の黒毛の子がすぐそばまで近づくと、草の茂みに隠れていた子オオカミがふいに跳び上がり、追っ手を地面に押し倒した。わたしはこれを「待ち伏せゲーム」と名づけた。

 その後、並んで立っていた二頭の子オオカミのうちの一頭が突然走ってその場を離れた。まるで、ここまでおいで、ともう一頭を誘っているかのようだった。誘いに乗った黒毛の子が全速力であとを追いかけた。二頭はその後、役割を交代しながら、ときには一直線に、またときにはジグザグに走って追いつ追われつの追いかけっこを繰り広げた。二頭はお互いの前で駆け回り、跳ね回り、くるくる回って見せた。どちらがどちらを追いかけているかはどうでもいいことで、重要なのは、勝つことではなく楽しむことだった。この子オオカミたちの行動を一言で形容するなら、喜びに満ち溢れていた。彼らを観察しながら、「この子たちはオオカミであることが嬉しくてしかたがないんだな」とわたしは考えていた。

 そして子オオカミたちの遊びはすべて、実生活に役立っていた。のちに、わたしはメスのエルクが、クリスタル・クリークの子オオカミの一頭を追いかけているのを目撃した。直線距離なら、エルクはオオカミより速く走れるが、子オオカミが敏捷な動きでジグザグに行ったり来たりするので、メスエルクはうんざりして追うのをやめてしまった。あの元気いっぱいの追いかけっこで鍛えられたおかげで、子オオカミはメスエルクを出し抜く術を身につけたのだ。ときには、子オオカミのほうからエルクを誘って追いかけさせることがあった。エルクの群れの前でプレイバウをして追いかけてくるように仕向けた子オオカミが、遊びで習得した技を駆使してやすやすと逃げ切るのを見たことがある。まるで自分の力を見せつけるかのようだった。

 この年の春、じゃれ合う子オオカミの姿を観察しながら、わたしはイエローストーンがクリスタル・クリークのオオカミたちにとって天国のような土地となった理由について考えていた。彼らの新たな縄張りに、オオカミを銃で撃ったり、罠を仕掛けて捕らえたりしようとする人間はいなかった。彼らはただ、野生のオオカミとして暮らせばいいだけだったのだ。

 ある朝、8がラマー・バレーをひとりで歩いているのを見かけた。それに気づいた五頭のメスエルクがあとを追ってきた。8は走って逃げ、不安そうに後ろを振り返ると、エルクたちが追ってきたのを見てさらにスピードを上げようとした。すると追っ手も同じように速度を速めた。しかしエルクの集団は、8まであと一メートルほどの距離に迫ったところで急に関心を失い、別の方向へ走り去った。そのまましばらく進んだ8は、大きなオスのバイソンが草原に寝そべっているのを見つけた。8は身を低くかがめ、バイソンの背後からこっそり近づいていった。すぐに、バイソンのお尻まであと1メートルもないところまできたが、どうやらそのあとどうすればいいのかわからない様子だった。体重900キロはありそうなバイソンは何気なく後ろを振り返り、すぐ後ろにいるちっぽけなオオカミをちらりと見た。しかし何事もなかったかのように前を向き、再び食物の反芻はんすうに取りかかった。灰色の8は、ますますどうしていいかわからなくなってしまった。とそのとき、バイソンが蚊か何かを追い払おうとして尾をすばやく動かした。8は大慌てで後ろを向いて逃げだした。このとき8が、バイソンは餌動物として適切かどうかを見極めようとしていたのだとしたら、この動物は大きすぎて手に負えない、という結論に達したのは明らかだった。

 その朝の灰色の8に取り立てて印象に残る点はなかったが、同じ日の夕方、わたしは彼の新たな一面を知ることになった。灰色の8と彼の黒毛の兄弟たちのうちの二頭がじゃれ合ったり追いかけっこをしたりして遊んでいた。ところが、その三頭が一斉に動きを止めて西の方角を見つめたかと思うと、視線の先にある針葉樹の木立に飛び込んだ。しばらくは、林の中を行ったり来たりして駆け回る三頭の姿がちらちら見えていたが、一瞬姿を見失ってしまった。と、そのとき、黒毛の子の一頭がエルクの子どもの死骸をくわえて林から飛び出してきた。さらにもう一頭の黒毛の子、ややあって小柄な灰色の8も姿を現して最初の黒毛と同じ方向へ走っていく。そのすぐあとに現れたのはハイイログマで、クマは8のすぐ後ろに迫っていた。クマは8とは比べものにならないほど大きい。まるで、映画『ジュラシック・パーク』の、人間の子どもが恐竜に追いかけられるシーンを見ているかのようだった。

 ハイイログマがコニファー〔針葉樹の総称〕の林の中でエルクの子どもを殺したのは明らかだった。最初に飛び出してきた黒毛の子が、他の兄弟たちがクマの気を引いている隙に獲物をかっさらって逃げたに違いなく、そのクマが今、小さな灰色の子オオカミに迫っていた。クマが前足の鉤爪を子オオカミに向かって振りかざし、殴り倒して殺す様子が目に浮かんだ。これから起ころうとしていることを思って緊張が高まった。8についてわたしが知っていること、そして体格のいい黒毛の兄弟たちにいじめられてきた彼の過去を考えると、次に起きたことは驚き以外のなにものでもなかった。

 8は立ち止まり、振り返ってハイイログマに正面から向き合ったのだ。この行動に驚いて、クマも唐突に動きを止めた。二頭の動物は、ほんの1メートルほどの距離で対峙した。まるで、旧約聖書に登場する巨大なペリシテ人ゴリアトに立ち向かう少年ダビデを見ているようだった。子オオカミに反抗的にめつけられて、ハイイログマはどうすべきかわからなくなってしまったように見えた。

 灰色の8が思いがけない英雄的勇敢さを示してクマに立ち向かっている間に、子エルクの死骸をくわえた黒毛の子オオカミは、すぐ後ろをついて来たもう一頭の黒毛の子と一緒にまんまと逃げおおせた。二頭は森の奥へ消えた。わたしは、小さな8とハイイログマのほうに目をやった。二頭は至近距離で睨み合ったままだ。そのとき、灰色の8がクマに背を向けて、何事もなかったかのようにその場から去っていった。クマはもう追いかけてこない、と強く確信しているかのようだった。

 クマは鼻をヒクヒクさせて地面とその周辺の匂いを嗅いだ。しかし、オオカミたちが獲物と一緒にどちらへ消えたのかわからなかったようで、逆の方向へ行ってしまった。しばらくして三頭が森の中から出てくるのを見た。エルクの子どもの死骸をくわえた黒毛の子が寝そべって獲物を食べている間、もう一頭の黒毛の子と8は彼の所有権を尊重し、すぐそばで伏せていた。

 わたしはこの出来事によって、8は思っていたよりずっと見どころのあるオオカミだと気づいた。兄弟の中で一番小柄で、体の大きな他の兄弟たちにいじめられていた彼だが、見上げるほど大きなハイイログマに立ち向かい、何とか切り抜けるだけの度胸の持ち主でもあったのだ。しかし考えてみれば、クリスタル・クリーク・パックのだれも、他の兄弟たちも、両親も、彼がクマのほうに向き直り、立ち向かう姿を見ていないのだ。わたしは、8の勇気ある行動の唯一の目撃者だった。それから数年後、ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンがこの日の小さな子オオカミにぴったりの名言を述べた。「ヒーローとは、だれも見ていなくても正しい行ないをする者のことだ」と。この出来事から数日後、8が群れを率いてメスのムースを追う姿を見かけた。これもまた、8の著しい成長を感じさせる出来事だった。

 7月5日の早朝にラマー・バレーに出かけたわたしは、8が二頭の黒毛の子オオカミたちと一緒にいるのを見つけた。三頭は相手を変えながら取っ組み合いを楽しんでいたが、灰色の8も決して負けてはいなかった。その後、黒毛の子の一頭が、小柄な8を追いかけながら何度もつまずいたり、倒れたり、転がったりを繰り返した。黒毛の子が地面に転がっているのを見ると、8は駆け戻り、じゃれ合うように跳びかかっていった。そのまま二頭は互いを嚙み合って遊んでいたが、やがて黒毛の子が身を捩らせて灰色の8の下から這い出してきた。8はそのあとをしばらく追ってから、黒毛の子たちを先導して歩き出し、やがて森の中に消えてしまった。

 この日を境に、クリスタル・クリーク・パックは数か月間姿を見せなくなった。エルクの群れが、食糧を求めてより高地に移動したため、彼らもそのあとを追ったのだ。オオカミの姿が見えなくなったこの数週間に追跡飛行を行なったマイクとダグは、クリスタル・クリーク・パックが広範囲にわたって移動していることを確認した。ラマー・バレーから南に32キロ離れた、イエローストーン湖のすぐ北側に位置するペリカン・バレーで確認されることもたびたびあった。8はどうしているだろう、とわたしは考えた。8は家族のなかで最下位のオオカミだったが、よいパートナーと、だれの縄張りでもない土地を見つけさえすれば、群れのすぐれたリーダーとなれる資質を示していた。彼の三頭の黒毛の兄弟たちのことも気がかかりだった。これからやってくる次の一年は、この四頭の一歳児たちにとって、命運を分ける重要な年になるだろうと思われた。

■ ■ ■

本書の目次

序文 ロバート・レッドフォード
プロローグ
第1章 オオカミ解説者になる
第2章 オオカミがイエローストーンにやってきた
第3章 はじめて見たオオカミ
第4章 小さなオオカミと大きなハイイログマ
第5章 二つの囲い地
第6章 ローズクリーク・パックの新たなオスリーダー
第7章 ドルイド・ピーク・パックがやってきた
第8章 新たな群れの誕生
第9章 8の新しい家族
第10章 スルー・クリークの戦い
第11章 子オオカミたちの遊び
第12章 オオカミの共感力
第13章 オオカミの子育て
第14章 イエローストーンのロミオとジュリエット
第15章 21と42の出会い
第16章 イエローストーンの新たな時代
第17章 オオカミの性格
第18章 チーフ・ジョセフ・パック
第19章 オオカミの家庭
第20章 一九九九年の春
第21章 オオカミの巣穴の日常
第22章 オオカミとハイイログマ
第23章 頑固な子オオカミ
第24章 ドルイドの一歳児の旅立ち
第25章 イエローストーンで過ごすはじめての冬
第26章 イエローストーンの一二月
第27章 スペシメン・リッジの戦い
エピローグ

著訳者紹介

著者 リック・マッキンタイア(Rick McIntyre)
40年以上にわたり国立公園局に勤務し、オオカミの行動観察研究を行なう。そのかたわら、オオカミに関する講演会や、公園を訪れた観光客への解説を行ない、一般の人々を啓蒙してきた。2018年に公園局を退職し、「イエローストーンのオオカミ」シリーズの執筆に専念しているが、雨の日も晴れの日も、日々イエローストーンでオオカミの観察を続けている。モンタナ州シルバー・ゲート在住。

訳者 大沢章子(おおさわ・あきこ)
翻訳家。訳書に、R・M・サポルスキー『サルなりに思い出す事など』(みすず書房)、パトリック・スヴェンソン『ウナギが故郷に帰るとき』(新潮社)、ロジャー・パルバース『ぼくがアメリカ人をやめたワケ』(集英社インターナショナル)、スティーブン・レ『食と健康の一億年史』(亜紀書房)などがある。

『イエローストーンのオオカミ』紹介ページ

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