【Lo-Fi音楽部#006】いま、カッコいいはどこに在るのか[邦楽ロック編]
子供のころのカッコいいは仮面ライダーであり、ウルトラマンであった。それをいつ卒業したのか記憶が定かではないが、どこかでぬるっと抜け出した先にあったカッコいいが何か、でその後の人生が決まるとおもう。
もちろん仮面ライダーやウルトラマンがカッコいい存在のまま、成長していくことも充分に考えられる。その頂点に立っているのは庵野秀明カントクだろう。たぶん。
しかしやはり多くの男児は、どこかで脱皮する。
あたらしいカッコいいなぁ、に出会うのである。
それは野球選手かもしれない。ぼくの子どもの頃はさほどいなかったがサッカー選手という人もいるだろう。プロレスに心乱されるヤツもいるはずだ。もちろん話が面白くて手先が器用な近所のにいちゃん、という素朴なパターンだって甘酸っぱくて、いい。
おすもうさん、がカッコいいの対象になる人はかなりレアかもしれない。しかしいないと断言はできない。突押一本の漢らしい取り口に惚れる少年少女がいてもおかしくはない。
ぼくの小学校時代の友人に小川くんというインテリがいて、彼は放送部のことをタス通信と呼んだり小学生なのに文藝春秋を愛読するシブい子どもだったのだが、彼ならきっと政治家の名前をあげることだろう。
そんななか、ぼくの新しいカッコいいはミュージシャンだった。
小学校6年生の春、テレビではじめてYellow Magic Orchestraを見た瞬間に、それまで夢中になっていた銀河鉄道999や宇宙戦艦ヤマトの諸君、ならびにR2-D2、C‐3POといった空想科学のカッコいいが急に野暮ったいに変わってしまった。
赤い腕章、ほとんど喋らないインタビュー、ステージ上に積み上げられたタンスのようなシンセサイザー、宇宙の音がするシンセドラム。化粧をする男性をジュリー以外ではじめてみた。地方在住の洟垂れ小僧はあっという間にそれらの魅力にとりつかれることになる。
それ以来、明けても暮れても音楽漬け。ぼくのカッコいいの羅針盤はミュージシャンに置かれてしまったのだ。
YMOでスタートした新たなカッコいい、は高校時代にさらなる展開を見せる。
BOØWYの登場だ。
それまでそっち系の音楽はほとんど聴いていなかった。教授つながりでRCサクセションぐらい。ロックってちょっと、どうもなあ、うるさいし、という価値観であった。
しかし高3の夏、学園祭の出し物でバンドやるんだけど一緒にどう?と誘ってきた男にウオークマンで聴かされた『BAD FEELING』のカッティングとサビのロートタム回しにやられた。
さらにドラムで参加した学園祭バンドを経た晩秋、進路の決まっていないぼくは東京の大学を受験するという同級生と一緒に意味もなく上京し、上野のOIOIの2階オーディオ売り場に並べてあった何十台というモニターに映し出された彼らのライブ映像をはじめて目にして、何これカッコいい…とヨダレを垂らしたのである。
今にして思えば彼らの最初の映像作品『BOØWY VIDEO』であった。
あのとき、よくOIOIの店員も声をかけたり止めたりしなかったな、と思うぐらい長時間にわたってモニターに釘付けだった。こういう時によく引用される比喩として有名なショーウインドーの中のトランペットをうらめしそうに眺める黒人少年、それは紛れもなくぼくであった。
BOØWYカッコいいなぁ、と思いつつ再び上京。新宿駅構内にあったアパマン館の大柄できれいなおねえさんにアパートを紹介してもらう道すがら。
「ハヤカワくんは趣味は何?」
「あ、えと…音楽を」
「えーっ!私も」
「あ、そうなんすか」
「何聴くの?好きなアーティストは?」
「BOØWY」
「え?」
「BOØWY」
「きゃーッ!私も好きよ」
「そうなんだ!一番好きなのドリーミ…」
「シブいじゃん、デビッド・ボウイ」
「え?」
「ん?」
「ああ、デビッド・ボウイね、いいよね」
「ねー!」
名古屋で流通するBOØWYのイントネーションは、東京ではデビッド・ボウイのそれらしいということをその時知った。ぼくはこの時、坂本龍一のサウンドストリートを聴いていて本当によかった、と心の底から思ったものだ。
そして春からはじまった東京生活。BOØWYと同じ空気を吸っているんだ…と悦に入っているとその年の暮れには解散宣言。翌年の春、出来たばかりの東京ドームでさっくりと解散してしまう。
カッコいいを見失ってしまったぼくは、じゃあバクチクでいいじゃん、とかデランジェ方面、あるいはちょっとひねって筋肉少女帯には向かわなかった。ぼくのカッコいいはしばらく空白だった。
社会人二年目のある日、一つ年上のデザイナーが「チケットが当たったから一緒にいこう」と誘ってくれた横浜アリーナで待っていたのは、次のカッコいいであった。
UNICORNである。ライブでの奥田民生は短パンである。その他メンバーも思い思いの格好でステージに立っている。カッコつけていないのである。それまでのカッコいい、がガラガラと音を立てて崩れていった。
短パンにTシャツでステージに立つ。これはいまではまったくおかしくない光景だが、当時は単なるキワモノかどうかギリギリの線であった。むしろ明らかなキワモノバンド(爆風とか米米とか)はビシッとスーツをキメていた。
もうひとバンド、カッコいいの座標軸をズラした存在がいた。
LÄ-PPISCHである。彼らは宣材写真などではズートスーツなどでキメていたがライブになると短パン、上半身裸が定番であった。特にフロントマンのMAGUMIや上田現はスーツを着て登場してもすぐに脱いでいた。ときどきパンツも脱いでいたらしい。まさにポコチンロックの体現者。
しかしパフォーマンスは本当にカッコよかった。杉本恭一のリフは布袋のそれともいまみちともたかのそれとも違う、独特の味があった。
おそらく90年代の邦楽ロックシーンは「態度はふざけつつ、やることはハイレベル」という時代だったのだろう。それがカッコいいを規定するひとつの基準になっていたのだとおもう。
ビシッとキメキメにするのは逆にカッコわるい。だからといってスキルがないのはダメ。斜に構えつつ、押さえるところは押さえる。そういうハズシの美学がカッコいい空気を作っていたのだ。
この邦楽ロックのカッコいい、はいま、どうなっているのか。
ぼくはレピッシュやユニコーンに対するカッコいいをある時ぬるっと卒業してしまい、洋楽漬けになった。それ以来、邦楽ロックはきちんと聴いていない。
いや正確には聴いてはいる。イエモンやバンアパ、アジカン、事変あたりはうんと年下の友人たちと組むバンドのレパートリーなので、ひと通りは耳にしている。なんせコピーしなくちゃならないからね、必死ですよ。
しかし、いずれも若かりし頃のようにカッコいいなぁ!と沼っていかない。どこか醒めているのだ。
イエモンはどちらかというとおしゃれだ。バンアパはリラックスした練馬っぽい雰囲気。アジカンもやはり肩の力が抜けた90年代のトンマナを踏襲している。東京事変は椎名林檎の世界観の延長だろう。
じゃあACIDMANは?ハイスタは?10FEETは?という方向から話をする人もいればYOASOBIは?adoは?ずとまよは?Vaundyは?という軸に振る人もいるだろう。おいおいPUNPEEのカッコよさに気づいてないのかよ、とか、PUNPEEの弟のSlackをfeaturingしたiri痺れるぜ、という意見も決して無視できない。Lab-Sivaなんて知らないだろ?って言われても反論できない。サンボマスターだって見方を変えればカッコいいといえなくもない。
昔に比べてチャンネルが多すぎる。
スタイルが多種多様すぎるのだ。
それぞれのローカルでのカッコよさがあることを認めると、これだ、という結論めいたものは出せなくなるばかり。
果たしていま、ロック系邦楽のカッコいい、の最大公約数はどのあたりにあるのだろうか。
こういうのも価値観の多様化という括りで考えられるものなのだろうか。雑誌が売れない、みたいな社会現象と紐づけて語られるべきイシューなのだろうか。それともどうでもいい話なのだろうか。
なんだかどうでもいい話のような気がしてきてならない。
たぶんどうでもいい話なのかもしれません。
次回[洋楽編]に続く
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