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【Lo-Fi音楽部#008】10年に一度やってくるおかしな歌

人生の節目に…と書きかけて大げさな感じがしてやめたのですが、ぼくの生まれてからを振り返ると、だいたい10年に一度の単位でやってくるものがあります。

それはなにか。

コミックソングです。

いや、コミックソングというと粒度が大きい。コミックソングの中にも名曲と言われる作品がありますからね。もうちょっと砕いてみると…

おかしな歌。

そう、なんだかヘンテコリンな歌が10年周期とはいえないものの、だいたいそれぐらいのサイクルでぼくの目の前にあらわれるのです。

今回はそのあたりの話でお茶を濁させてください。年の瀬ですし。

1970年代

ぼくは1968年生まれなので、生まれてすぐのタイミングですね。2歳にして「おっ!これは」と思った…と書ければ世の中の伝記作家は苦労しないでしょう。

もちろんこの歌を意識しはじめたのは5歳ぐらいの頃。だけど5歳ですよ、おくさん。立派なもんじゃないですか。

5歳のぼくの耳に入ってきて、なんだかこれは?と思ったその歌は、こちら!

老人と子供のポルカ 左卜全とひまわりキティーズ(1970年)

いまとなっては名曲の貫禄すら漂う『老人と子供のポルカ』です。この歌はかあちゃんが良く口ずさんでいて、確かレコードも買ってもらったような記憶があります。

歌っているおじいちゃんは『どん底』のお遍路さん役で有名な左卜全。この「卜全」を「ぼくぜん」と読むのだと知ったのは高校生の頃でした。ずっと「ひだりとぜん」と誤読してはばからなかった。

日テレの女子アナとして水卜麻美が出てきたとき「みずぼくあさみ?」と読んでしまったのはぼくだけではないでしょう。「ト」のバリエーション侮りがたし!

歌詞はいま聞くと「ゲバ」「ジコ(事故)」「スト」とまあまあ重めの社会問題を扱っていて、などと分別っぽいことを言えるのですが、当時はその響きが楽しくって口ずさんでいただけでしたね。あとズビズバーね。

1980年代

すっかり物心がついた、というか我が青春の80年代ですよ。日本がバブルでウハウハやっとる時代にもおかしな歌はあらわれました。

それは単身上京し、食うや食わずの生活の中で60キロあった体重が50キロまで落ちた頃。バイト先の北海道出身の男がやたら唄っていた。

あまりにもしつこいので一時期、北海道のことがきらいになったほどです。

あんなに大好きだった北海道をきらいにさせるほどネガティブなパワーある歌はこちら!

ヤーレンソーラン北海道 赤坂東児(1988年)

フルコーラスでは3番まであって、1番は牛乳、2番はバター、3番はヨーグルトについて唄ってます。この構造、期せずして老人と子供のポルカとおんなじですね。ま、ゲバ・ジコ・ストに比べれば平和なんですけど。

全編北海道のなまりで語られる日本語ラップの走り(うそ)です。うそでないって言われるかもしれないけど。

テレビ番組のコーナーから生まれたらしいのですが当時ぼくはテレビを持っていないハタチだったのでそういう背景も知らず、ただただバイト先の男の歌を聞かされてはイライラしていたわけさ。うっそでない、うそでない。

1990年代

コピーライターの仕事からドロップアウトして、って書くとかっこいいけど要は挫折して池袋の居酒屋店長として西池袋一番街でブイブイいわせていた頃。

職場のアルバイト学生がやたらと空気を読まない発言でみんなから愛されていて、さて次はどんなことを言って寒がらせてくれるんだろう、とぼくらの期待を一身に背負っていました。

彼は中途半端な知識でぼくら共通の話題である「麻雀」「競馬」「パチンコ」に食い込んできて、知ったかぶりを披露しては失笑を買う、というスタイルを貫いていました。

そんな彼の趣味のひとつがパチンコ屋の開店に並ぶこと。開店が夕方の日などはバイトを休んで並ぶのですがわざわざ仕込み中の店に顔を出してこの歌を口ずさんでいました。

PACHINCO MAN ブギー・マン(1994年)

レゲエですね。特有のエコーがかかったピアノを聴いてるだけでなんかもうなにもかもめんどくさくなるのは何故なんだぜ。

この歌を唄っていたブギー・マンはその後どうなったんでしょう。残念ながらレゲエはあまり聴かない(ボブ・マーリィを除く)のといまではすっかりパチンコもやらなくなったので、ぼくの中では存在が消えておりました。今回のこの記事を書くにあたって思い出した。

でもこれ、歌詞を見るとパチンコ否定派のメッセージ・ソング(ライム?)なんですよね。仕事しろ、とか、女房子供が泣いているとか。

これを口ずさみながら「じゃ、今日も開店の行列に並んできまーす!」と軽やかにバイト先の店を出ていったあいつ、歌詞の意味わかってなかったんじゃないか。

それにしても奴はジャンジャンバリバリうるさかったな。ちゃんと就職したかな。まっとうにいけば子供も成人してるだろうに。

2000年代

2000年からはネット求人ベンチャーに仕事の場を移したぼく。入社時は15人ぐらいしかいなくて、毎日毎日来る日も来る日も終電か徹夜というハードワークでした。なんせ金がない、人がいない、ノウハウがないの三重苦。

あの頃は一滴もお酒を飲まなかった、というか飲むゆとりがなかったです。サイトリニューアル前日の午前3時、当時の上司と「いつかうすーいグラスに冷たいビール注いで乾杯したいっすね、どっかその辺のよさげな寿司屋で」と夢を語り合うぐらい、仕事仕事仕事漬け。

当然、テレビも音楽もなにもない日々。そんなぼくなのに、なぜかおかしな歌は自然とやってくるのでした。

恋のマイアヒ O-Zone(2005年)

これは最初に新卒採用をしたとき、いちばんネガティブだった男性社員がブツブツつぶやいていたおかしな歌です。

もともとはO-Zoneというルーマニアの音楽グループの曲で、そのルーマニア語の響きが日本語に空耳する、といういま考えるとタモリ倶楽部に投稿しなはれ、といいたくなるようなムーブメントが巻き起こったと。

「のまのまイェイ♪のまのまのまイェイ♪」
「え?なにそれ?」
「知らないんですかあハヤカワさん(ニヤリ」

ああいま思い出してもイラッとするわ。

こっちは身を削って飲めない状態で仕事に打ち込んでいるのに、きっちり定時になったら帰る(そんなことはなかったか)新卒の立場でのまのまイェイイェイとはなにごとぞ!と激昂したとかしなかったとか。

2010年代

さあ、入社したとき小さなベンチャーだった会社もいい加減膨張してビッグバンはもうそこまで!って感じになってきた2010年。

うすはりグラスで乾杯!の誓いを立てた上司とはその後毎晩飲み歩くようになり、テレビもゴルフ(やんないけど)もなんでもござれ、な人生の一丁あがり状態を謳歌していたとき。

なんかつまんないなー。

そんな風におもっていたぼくの前に強烈におかしな歌が現れます。これです。

ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴー あやまんJAPAN(2010年)

まあひどい。音符というものを開発した人もまさかこんな下ネタを乗せられるとは思っていなかったはず。

いまこのnoteからうっかりクリックしちゃったけど1番の歌詞の途中で耐えられなくなり思わずPCの電源ごと落として布団に飛び込み「うわーっ!」って足をバタバタさせている紳士淑女も少なくないと思われます。

でもこれがテレビや街なかで流れていた時代だったんですよ。着うたとかDLしている子いっぱいいたわけですよ。いま考えても変な世の中になっちまったなあ、と思ったものです。

なんなん?ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴーって。

2020年代

そして2020年代。

ぼくの目の前におかしな歌はまだ、現れていません。

振り返るとおかしな歌には共通項があります。まず意味のわからない擬音。そしてしつこいリフレイン。この二つが小学生のハートを鷲掴みにすること。

たったこれだけのぬるい条件なのに、2020年代を代表するおかしな歌に出会えていない。

これはぼくのアンテナがサビてきたからなのか?

それとも?

【答え】
まだ2年しか経ってないから

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