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【Lo‐Fi音楽部#012】How Crazy Are You?

コピーライターという仕事から足をあらって西池袋の居酒屋にアルバイトとして潜り込んだのは25歳の夏だった。

学生援護会のアルバイトニュースによれば時給は950円、勤務時間は15時から23時半で30分間食事休憩があるから実働は8時間である。

つまり一日7600円の稼ぎ。週一休みだから単純計算で26日勤務として月に197,600円。それまでの俺は月40日働いても110,000円だったのでかなりマシだ。

なにより22時半になったらどんなことがあっても仕事が終わる。俺にとってはそのことのほうが素晴らしくステキなサムシングだった。

きちんと決まった時間に仕事が終わる。仕事が終われば一日が終わる。こう書くと当たり前のことのようだが、コピーライター時代はそうではなかった。事務所のボスからOKが出ないかぎり永遠に仕事は続くのだ。

いつ終わりがきて、無事に家に帰ることができるか、まったく予測できない。この状況はかなりラフでタフな頭と心を持っていた俺にとっても相当シビアであった。

それがどうだ、居酒屋の仕事は一日8時間と決まっている。それ以上でもそれ以下でもない。自分の予定が自分で立てられる。

最高じゃないか。

しかも仕事は仕込みの時間は野菜を剥いたり洗い物をしたり。下ごしらえが終われば開店準備だ。そして営業開始。実家が手芸屋で幼いころから店に出ていた俺からすれば酔客相手のサービスは誰から教わることなくいきなりできた。

最高ではないか。

難があるとすればその店はオーダーを取る時に伝票を使わず全て記憶して厨房に通す、というしきたりがあったことと、レジに計算機能がないので暗算でお釣りの金額をはじかなければならないことぐらいだ。しかしそんなものは慣れれば屁でもない。

最高じゃんね。

俺は光の速さで店に馴染み、仕事をマスターし、仲間たちからの信頼を得るようになった。

俺の能力が10あるとして、それまでの広告の仕事が20から30求められていたのに対して、居酒屋の仕事は3から5で処理できる。

つまり余裕が違うのだ。

余裕ができるとどうなるか。自分でも信じられなかったが仕事の質を高める工夫をはじめるようになる。

俺はサービスコンセプトを考え、新人にマニュアルを与え、メニューの冊数や置き方を変え、それまでの上から目線気味な接客を180度違うトーンにした。

厨房の連中が嫌がるマスコミ対応も積極的に行なった。雑誌やムック本にも取り上げられた。おかげで師走に入ると店の外に数メートルにもおよぶ行列ができるようになった。

いつの間にかアルバイトの給料では申し訳ないということになり、正社員になった。そして肩書は店長になった。

俺は西池袋に天職を見つけたのだった。


翌年の夏。すっかり仲良くなった調理場のメンバーたちとキャンプに行くことになった。

キャンプなんて何年ぶりだろう。いや、それよりも夏休みがきちんとあって、レジャーを楽しめるなんて久しく経験していなかった。

何も知らなかった俺はキャンプに誘われたとき、大きなリュックに飯盒をひっかけてあずさ2号で南アルプスを目指して…というイメージしか浮かばなかった。

ところが時代は変わっていたのである。なんと移動手段はクルマだという。しかもテントもヘキサゴンだのツールームタイプだの快適そのもの。

コールマンというメーカーのツーバーナーは、厨房と同じクオリティの料理を作るのにうってつけだ。

おまけにタープだ、シュラフだ、ランタンだとキャンプ用品が俺の知っているものから何段も洗練されていた。

そのキャンプには厨房のメンバー数名と、その友人と家族などが集まって総勢15名という大掛かりなものだった。テキパキと設営する厨房の仲間たちの脇で俺はすることもなくただ呆然と様子をうかがっていた。

そんなに標高は高くないはずだが、森を駆ける風が気持ちいい。

そうこうするうちに晩ごはんである。ここだけは昔のままで、定番であるカレーライスだ。

しかしカレーに至るまでのBBQがさすが居酒屋軍団と参加者から喜ばれるだけあって肉あり海鮮あり餃子や変わり種の具まで揃う、なんとも贅沢なメニューだった。

当然、酒もお店でもっとも美味しい日本酒とワインをラインナップ。ビールもガッチリ冷えている。高揚感からかどれだけ飲んでも酔わない。ただただひたすら楽しい。

その晩は焚き火を囲んで夜遅くまで同年輩の仲間でとりとめなく語り合った。そんな経験もはじめてに近い俺は寝るなんてもったいないとばかりに最後までバーボンを手放すことなく、顔を赤く染めていた。


翌日も快晴で午前中にその晩の食材の買い出しに行ってしまえばあとは自由時間であった。

サイトの近くに浅いが幅の広い川が流れていて子連れの参加者たちはこぞって水遊びに向かった。

「ヨネもいこうぜ」

店ではヨネと呼ばれていた俺は、厨房の仲間に誘われて海パン一枚になって川に飛び込んだ。浅瀬で子どもたちとひとしきり戯れた後に、背泳ぎの要領でプカプカと浮かんでいた。

流れもほとんどないような小川である。目を閉じるとまぶた越しにまぶしい陽の光を感じる。

楽しいな。

すごく楽しいな。

人生ってこんな楽しいんだっけ?

気づくとなぜか涙があふれていた。仲間がビールを持って寄ってきたのだが「あれ?ヨネどうしたの?なに泣いてんの?」とびっくりしていた。

楽しくて泣けることがある、あるいは泣けるほど楽しいことがある、ということを俺は初めて知ったのだった。

いや、楽しさだけではないかもしれない。感謝という言葉が近い。こんなに素晴らしい遊びに誘ってくれた仲間に。オートキャンプというレジャーを開発した誰かに。居酒屋の店長という天職を授けてくれた神様に。

感謝の気持ちが頬を伝って流れ落ちたのだ、と思った。

そのキャンプの帰り、カーオーディオでかかっていたのがこの曲でした。

スウェーデンの歌姫、Maja(メイヤ)の『How Crazy Are You?』です。当時、FMでかなりヘビロテされたことから大ヒットとなりました。

ウィスパーからはじまる印象的なイントロ、当時の洋楽では珍しいアコギのリフ、そして何よりアッパーなコード進行とメロディ展開。インパクトのあるホワイトノイズのジェットサウンドも華を添えます。

そしてなんといってもMajaの爽やかなボーカル。とびきりの北欧美人であることに加えて艶のある歌声は、まさに天が二物を与えた感じですね。

ぼくはこの『How Crazy Are You?』を聴くたびに、あの居酒屋店長初年度の夏を思い出します。

そしてMajaにとってシンガーが天職であるように、ぼくにとって居酒屋の店長職はつくづく天職だったなと懐かしい気持ちに浸るのでした。

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