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【Lo-Fi音楽部#010】 Gonna Get You

とにかく高校を卒業したら東京に行く、と決めていたぼくは、それであれば遊べるうちに遊んでおこうと腹をくくった。

つまり単身、東京に乗り込むということはそれなりにヘビーな世界が待っていると直感でわかっていたのである。カツオかマグロ漁船に乗るのと同じぐらいの覚悟はあったのだ。

そんなぼくの遊びはふたつ。

ひとつは深夜から明け方までのドライブ。当然のことながら東京でクルマを持てるわけがない。となると実家のマークⅡGrandeを乗り回せるのもあとわずか。文字通り寝る間を惜しんで友人たちと愛知県一周に勤しんだ。

そしてもうひとつは踊りに行くことだった。

当時、ぼくのまわりの大人がハマっていたお店にKENTO'Sというオールディズのライブハウスがあった。月に一度、仕事終わりに一杯やってから繁華街である栄にタクシーで繰り出すのだ。

KENTO'Sにはレギュラーバンドが毎日出演しており、オールディーズの生演奏をバックに踊れるのが魅力で、ぼくもたちまちハマった。地元名古屋の有名人である“はーさん”が出演する夜はフロアの盛り上がりも最高潮。みんなアホかというぐらい汗をかきながらツイストを踊っていた。

特に「HOUND DOG」「Johnny・B・Good」「Venus」あたりはイントロが流れた瞬間に我先に、と狭いスペースに客が殺到するのがお約束。ほとんど唄っているボーカルの目の前で踊るので、店に通う頻度が上がるにつれバンドメンバーとも顔見知りになる。

♫ ♫ ♫

レギュラーバンドの女性ボーカル、まゆみちゃんと仲良くなったのはお屠蘇気分も抜けきらぬまま2週連続で踊りにいった一月の夜。比較的空いていたからか、休憩中にぼくらのテーブルに挨拶に来てくれた。

いつもありがとうございます、と頭を下げるまゆみちゃん。話す度にポニーテールが小さく揺れる姿が可憐である。みなさんどういう集まりなんですか?と聞かれてレコード屋の若女将が地元の商店の仲間だよ、と答える。

話が進むうちにまゆみちゃんとぼくは同い年ということがわかった。迫力ある歌いっぷりと大人っぽいメイクからは想像できなかったが、確かに近くで見ると年相応の幼さが残っている。

そのうち若女将は次々と質問を繰り出していく。出身は新潟で、高校中退して歌の世界に入った。KENTO'Sは初めてのレギュラーのハコで、最初は地元の店だったのが3ヶ月前から名古屋に異動になったらしい。

そして、春からは神戸のKENTO’Sに移ることが決まっていた。

「そうなんだ、寂しくなるねぇ」
「そうですね、やっと名古屋にも慣れたのに」
「でも、このヒロくんも春から東京なんだよ」
「えっ、そうなんですか?」

そうなんです、とぼくは少し鼻の穴を広げ気味にうなづいた。名古屋にいて近いうちに東京に行く、というのは謎にステータスだったからだ。

「東京かぁ…お互いがんばろうね!」

笑顔で握手を求めてくるまゆみちゃんのことがしっかり好きになってしまった。

それからというもの、月1回を2回にペースアップ。最後の3月は週1でKENTO’Sに通った。まゆみちゃんがステージに立つ最終日は記念写真を撮った。もちろんツーショットだ。

まゆみちゃんは「ちょっと待って」と店の奥に引っ込んで、やがて小さなKENTO'Sオリジナルのキーホルダーを持って戻ってきた。

「これ、お守りにして東京でがんばってネ」

そこには「Hiroくんへ Mayumi」と18歳の女の子らしい丸っこい文字でサインがしてあった。ぼくはまゆみちゃんにあげるものを何も持っていないことを後悔した。ごめんね、でも今日のことは忘れないよ。

「ありがとう、さようなら」
「さようなら」
「さようなら」

♬ ♬ ♬

そして今回ご紹介するナンバーがまゆみちゃんの十八番であったショッキング・ブルーのVenus……ではないのですが一応貼っておきます。

このVenusですが、ぼくが18歳だった1986年にバナナラマがカバーしてリバイバルヒットとなりました。プロデューサーはユーロビートの牽引者であるプロデュース集団、ストック・エイトキン・ウォーターマン(以下SAW)です。

そう、今回ご紹介するのはそのSAWがプロデュースした……わけではないのですが(ややこしくてすみません)同じくユーロビートの金看板を背負っていたこちらの方のこのナンバー。

Give Me Upでメガヒットを記録したマイケル・フォーチュナティのファーストアルバムに収録されている『Gonna Get You』でござるよ。イントロのギターリフがグッとくる佳曲です。

なぜにこの話の流れでこの曲を…というと

実はKENTO'Sに通っていた頃、いわゆるディスコにも狂っていたんです。

ホームは栄のRAJAH COUAT(ラジャコート)。マハラジャの姉妹店でドレスコードが若干ゆるかった気がします。

高3の夏から秋にかけては商店街の遊び仲間の間でKENTO'S派とRAJAH COUAT派がどっちに行くかで一歩も譲らず…というほどのことはありませんでしたが、とにかくどちらも名古屋市南区の大人たちを魅了してやまないイカす店でした。

ここでよく流れていたのが先述のSAW銘柄の曲。デッド・オア・アライブのYou Spin Me Round、キャロル・ヒッチコックのGet Ready、そしてバナナラマのVenusなどの定番ナンバーはタイトルを聞いただけでメロディが浮かび腰が動く、という50代男女も少なくないでしょう。

そんななか、SAWに影響を与えたとすらいわれているのがマイケル・フォーチュナティです。マイケルの出世曲であるGive Me Upのテープを聴いて触発されて生まれた曲がバナナラマ最大のヒットI Heard A Rumourだそうです。そういえば似てますね、曲調。

ユーロビートというと音楽通からやたら迫害されているというか、イロモノ扱いされがちなジャンル。確かにそこには音楽的な深み侘び寂びといったものは微塵もありません。

しかし808っぽい乾いたハンドクラップを効かせたリズム、踊れるBPM、アタック強めのハイエナジーサウンド、グッとくるコード展開、そしてなにより明日への希望が無条件に湧いてくる音圧がバブルで底抜けに明るい時代にマッチしていたとぼくは思うんです。

中でもマイケル・フォーチュナティは個人的に「俺にとってのマイケルは寂尊じゃない。フォーチュナティだ。そして寂尊は瀬戸内一択だ」と公言してはばからないほど重要な存在。好き過ぎてアルバムを買ったほどです。

あとザッツ・ユーロビートのノンストップ・ミックスもいい。永遠に聴いていられます。

あれから35年。ずっと日本経済は沈みっぱなしですね。もしかしたらユーロビートみたいな音楽が流行るのは景気がいいときなのかもしれません。で、あれば夢よもう一度って感じでリバイバルヒット…しないですかね。

♭♯♮

ちなみに、その後のまゆみちゃんだが、神戸のケントスで歌姫として元気いっぱいに活躍していたそうだ。

なぜそんなことをぼくが知っているかというと…

30歳で転職した会社の上司が神戸出身の同い年でやたらと気が合ったのだが、行きつけのバーで若い頃の遊び方というネタで盛り上がり、いつしかKENTO'Sの話に。

「18の頃は栄のKENTO'Sで踊ってました」
「ぼく神戸のKENTO'Sで働いてましたわ」
「マジすか?まゆみちゃんって知ってます?」
「まゆみちゃん?ボーカルの子ですか?」
「そうですそうです!」
「かわいい子でしたねぇ、まゆみちゃん」
「はい、とっても」
「でも店辞めたあと確かギターのヤツと…」
「あ、それ以上は結構です」

『Gonna Get You』の邦題は確か「恋のラストチャンス」でした。

カモン!イエーィ!

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