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コミュニティって「生き物」のようです◎

このnote記事は、コミュカレ🍎アドベントカレンダー企画で機会をもらって書きました。お題は「コミュニティとわたし」というもの。今年一年の締めくくりのタイミングで、素敵な機会をいただけたなあと感謝しています✨


コミュニティのカレッジは、コミュニティについて問いたい・考えたい人が集まる場です。

最初はコミュニティマネージャーしか入れない・話せないような感じなのかなあと勝手なイメージがありましたが、全然そんなことはなく。そこに集ったメンバーで、それこそ「コミュニティを楽しむ・育み合う」みたいな場だなと感じています。

シンプルに対話できること、学び合えることが楽しいなと感じながら、第一期生から所属しております◎

コミュニティのカレッジ (community-college.jp)

アドベントカレンダーも今まで名前は知っていたのですが、いざ自分たちでこうやって実際に回しながら取り組むの、楽しいですね^^

わたしは小学生くらいのとき?
おばあちゃんが毎年Morozoffのアドベントカレンダーっていうチョコレートを買ってきてくれていて、クリスマス当日🎄まで毎日ドアをあけてお菓子を食べるのがお楽しみなキッズでした(笑)

数字を探すのも楽しみのひとつ♫


もしアドベントカレンダーの企画が来年もあるなら、扉をクリックするとお菓子の香りとかお菓子が郵送で届く、みたいな仕組みにしてみたいものですね(笑) 

むしろわたしが手作りお菓子と一緒にそのメンバーのお家のドアを開けに行く(お伺いする)、とかやってみたいなあ・・🍫🧁

妄想膨らみますね、一旦止めときます(笑) では本編いってみます。



コミュカレに入るときに申込フォームに書いた言葉で、今もしっくりきている言葉があります。

コミュニティってこれからの社会を生きる「土台・基盤」になると思う。そういう確信があります。っていうもの。

今までそれが「会社」「家族」「友達」「一部地域」というものに集約されていたような気がするのですが、その境界線が溶け始めている傾向なのかなと感じています。

めっちゃ生き物やなあ~

タイトルに込めた想いは、わたしがまさに2019年頃から今にかけて感じていることです。
複数のコミュニティに属しているわたしが、いちばんおもしろいなあと感じることがここでして。
MTGとかしていても、「めっちゃ生き物やなあーーー!」という言葉を何度パソコンに向かって発したかなあと思います。笑

まず。
・思い通り、計画どおり、全スムーズにはいかない
・カオスも秩序も両方行き来する
・進んでいないようでめっちゃ進んでいる対話のじかん
・人は出入りする
・人の気持ちにも上下の波がちゃんとある
・人の体調やコンディションがそのまま反映される
・じぶんの気持ちを真ん中にそれぞれが持ってきて成り立つ
・しかるべきタイミングで必ず物事は進み、形になる

「起こるべくして起こる」ICHI FESという音楽フェスでお世話になっているどりちゃんから教えてもらった、とっても好きな考え方です。

失敗するときはちゃんと失敗する。
準備が足りなかったらその分ハプニングはきっと起こる。

でもそういったその場で出くわした出来事たち、感情たちに「いかに素直にどう向き合うか」をここ2年くらいずっと鍛錬していきている自負があるので、「なんとかなる、なんとでもなる、なんとかする、なんとかできる」っていうような謎の自信?確信?がめきめきと育っているのも事実です。

だってそっちの方がおもしろいやん?楽しいやん?って思っている自分がいるのです。

コミュニティって生き物なので、毎回各々の人(各細胞)の状況は違うし、その時々の体温や反応だってちがいます。その場に集った人たちの間で交わされる言葉・熱量・気持ちによって成果やその時間がきまっていき、つくられていく。この営みが尊いなあとなっています。

少なくとも会社員時代にはあまり起こり得なかった化学反応だなと思っています。
まず会社員では「起こるべくして起こる」をストレートに体現できる人っているかな、中々いないのではないかなと直感で思います。ありとあらゆるリスクを排除し、考え抜き、最善を尽くせと。そうでないビジネスマンは仕事ができないやつだと。ちょっと極論かもしれませんが。
わたしはそこまで厳しくせんでも、起こっちゃったこれくらいのミスならみんなで笑いとばしてしまおうぜ、みたいなのを最後らへん心の中で思っていたなあと。

・人が集まっているんやから、それぞれの「人柄」が発揮されていい。
・そしてそこに至るまでのプロセスも一本道やなくていい。
・いろんな遠回りもダッシュも昼寝もしていい。
わたしは、最終的にたどり着くゴールへのプロセスを一緒に味わいたい、楽しみたい、が勝つようです。

仕事はよく「俗人化してはいけない」って言われていました。というかその言葉をよく色んなシーンで聞いていました。でも自分にとっては、正確には右から左だったかもしれないです。

コミュニティは「俗人化」していいと思うのです。というかコミュニティで生きる人は、ですかね。というかこれからの社会は、って思います。

だいすきなICHI FES 2022メンバー🌎


コミュカレ🍎オンライン対話会^^


友達をつくり続けたい

私は会社員を卒業した身だからかもしれませんが、最近仕事の「あの感じ」にものすごい違和感を感じています。もはや演技?どういう役設定?となっています。一緒に働くメンバーとはそんなことなかったかもしれませんが、外部のお客さんと、となると発令されるあのモードのことです。漏れなく自分自身もそうでした。

そしてその役設定は人を「仲良くしないように」「友達にならないように」設定されている気がしてならないのです。そらそんなねえ、警戒モードというかなんというか、ぴりり・ぴっしりって休まる気もやすまらんですよね。。

仲良くなる糸口である「相手個人への興味」を持ちにくい設計?設定になっていると思っており。例えば会社の外の人と、ひと仕事を終えて、その後ごはんとか行けて仲良くなるパターンが確実なセットであればいいと思うのですが、なぜかわかりませんが世間には「ビジネスライク」「仕事の付き合いなんで」「会社の人間関係はここまで」みたいな謎の線引きがあるように感じていて。 そのラインをちょっとでも薄くしていったらもっと楽しくなるんちゃうかなあ、仲良くなるきっかけも増えて、友達にもなれて、双方ハッピーちゃうかなあ。。と思っています。そのビジネスモード・相手に興味を持ちにくい仕組みって、人間がちょっと生き物らしくない動きかなあと。

応援しあえる関係を育む、これの一歩目って「友達になること」だと思います。コミュニティの一番の醍醐味って応援しあえる関係性を育みやすいこと、なのではと最近ふと考えていました。応援しあえる関係性がほしくてコミュニティに属す、っていう人は少ないかもしれませんが、結果的に満足度が高いコミュニティにはそういった文化が流れているように思います。そしてそれはあからさまに「応援してね!」だけを主張して得られるものではなくって。一緒にいる・一緒にはなす・一緒に何か目標や本番にむかう、などのいろんなのものを共有してから、時間を共にしてから得られる、プレゼント・ギフトのようなものではないかと。そう、確実にお約束されている特典ではないように思います。

今年できた友達で、最年少は6歳の女の子です。最年長は75歳のおばあちゃん。仲良くなるスピードも、話す話題も、お互いの理解もそれぞれなので、ほんとうに楽しいです。でも私が何を言っても「応援してもらえそうだな」という感覚がほんのりあるのです。そしてその友達を起点にコミュニティ(人間関係)が広がる感覚もあります。まだ輪郭はぼやぼやですが、わたしはじぶんの人生ずーっと、いろんな友達を作り続けながら生きていきたいなって思っています。


コントロールできるものではない

さっき書いた「人はめっちゃ出入りする、変化する」のところです。まじでアメーバみたいやし、予測できひんし、こんなもの管理・マネジメントできるわけあるはずがなかろうって思っています。
これは私の個人の好みでしかないのですが、わたしはガントチャートやらWBSたるものがものすごく・・・苦手というか全然お友達じゃありません。笑 プロジェクトの指標にはなると思いますし、それでチェックしているそういう役割の方々には役立つでしかないと思うのですが・・。

こういう類のやつ。笑

それ通りに進むわけがない、こちらは人間です、コミュニティも生き物です、それに応じて呼吸するように色んなことが変わり得ますと。その上でどうする、どう助け合う?どう調整していく?を話し合って役割とかスピードとか方向とかいろんなものをバランスをとりたい。最終ゴールや成果だって調整しながら進む、歩む。 この過程がわたしは一番重きをおいていているみたいです。

なので計画通りに進まないことを何も感じないというか、もはや自然の営みだと思っています。笑 こちらの人間の計画としては、この辺で雨がふってほしいだの、晴れてほしいだの都合がありますが、お天気はその通りになってはくれません。そんな確証はもてないし、お天道様の気分ですし、そもそもお天気のように人間もコミュニティーもコントロールできるものではないってやっぱり思います。だって生き物なので。笑


生きているって表現しているのは、鼓動を感じる、命の息吹も感じる、性質も性格もコンディションも本当に様々だから。呼吸のペースが人によって、タイミングによっても全然違っていて、その人の存在・言葉がその場(そのコミュニティ)にもたらすインパクトがすごい、ということです。そしてコミュニティとしての場も「それ」を受け入れている状態であること。そういう状態を許さない、その状況を受け入れない、受け入れがたいっていう空気がそもそも流れてしまっていると、体感するのは難しいかもしれませんが。。
でも生き物である自分が「受け入れがたいっていう状況や言動。行動があったとき。それをその場に出す責任」があると思うのです。責任というとちょっと義務っぽくなるかもしれませんが、それがコミュニティで生きる・共にいるにはとっても大事だと思っています。自分の違和感、いかり、おそれ、いたみとか、弱みとか?なかなか外に出しづらいとされる、自分の内的なものも。感じているものを恐れずにその場に出す。するとそれが受け入れられる場なら、むしろ歓迎されるのです。

あるコミュニティで、自分がチェックインでちょっと落ち込んでいる、という話をぽろっとだしたら、その日の2時間のMTGは議題すっぽかしてメンバー全員がわたしの話を聴いてくれる、みたいなことが以前起こりました。衝撃でした。めちゃくちゃ心は軽くなり、晴れやかになり、元気になりました。みんなは話してくれてありがとうとまで言ってくれたのです。最初は意味がわからなかったのですが、そのままの自分であることを出すことで、歓迎される・喜ばれる・感謝されるってすごい世界線だなとわたしはコミュニティで体感し、学びました。それくらい、メンバーひとりひとりが自分の状況を持ち寄る、その場に出すエネルギーはすさまじい。想像よりも、本当にすさまじいと思うのです。

そういった自分の感じていることを共有しあいながら、回り道も抜け道も行き来しながら、それでも一緒に生きる・活かし合いながら生きるっていうのがこれからわたしが行きたい社会であり、社会もそういう道を歩んでいるのではないかなあと並走しながら思います。

その方が人間らしい。生き物らしい。

人間らしいことにしか興味がないわたしが、コミュニティを「人間」のようだ、と言わず「生き物」のようだっていっているのは、まだ人間ほどわかっていない自然へのリスペクトというか、そこの未知なる感覚も含んでいるように思っていまして。まだまだ自分は、自分たちは、自然から学ぶことが死ぬほどある気がしてなりません。たとえば土とか。土壌づくりっていうのかな、雑草とかああいう生命力もですし、お花とか木の適応力も、腐るということとか循環とか?昔から代々引き継がれていることがたーーくさんあるように思っていて。その地球っていう生命体に活かされている、集合体としての生き物としてとらえているのだと認識しています。

排泄物だって肥料になる、とかこのへんもですね!💩✨笑
変な言い方かもしれなせんが、ひとりひとりが適切に排泄したらみんなの肥しになる。これってすごいことではないかなと。使い方とか扱い方をちゃんと知っていればいいだけの話ですよねきっと◎


締めくくり

コミュニティって生き物なので。
コントロールできるものではないと思っています。そこに集う人々の自然の営みなのだと。
そこに集う人々とは私は「友達になりたい」と思います。

出逢い、関わり、仲良くなり。
そんな友達と人生を歩んでいけたら。日常を共有しあいながら生きていけたら。きっと人生の最期には心の底から笑って「幸せだったなあ」ってなっている確信があります。
いろいろと思い通りにいかなくて当たり前なんです。だって生き物なので。目の前の人も、あなた自身も、わたし自身も。

このあたりをダンスしながら、軽やかにしなやかに生きていきたい、2022年年末です。
2023年も楽しくnoteを綴っていきたいと思います◎
ここまで読んでくださった皆さま、Happy Merry Chritstmas&Happy New Yearです🎄🎅🎍🐇


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