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入試頻出の『伊勢物語 東下り』を、深江芦舟《蔦の細道図屏風》を見ながら振り返りました @東京国立博物館

東京国立博物館(トーハク)の本館2階の7室……屏風の部屋……のラインナップが、ガラッと代わりました。こちらの部屋は、12月3日までの会期で開催されている特別展『やまと絵-受け継がれる王朝の美-』の関連展示です。

特別展が主に平安〜安土桃山時代までの作品を展示しているのに対して、こちらの特集『近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-』では、主に江戸時代に活躍した絵師たちの作品が見られます。

そして、本館7室……屏風の部屋……には、深江芦舟《つたの細道図屏風》、そして俵屋宗達が描いたと伝わる《桜山吹図屏風》、筆者不詳の《柳橋りゅうきょう水車すいしゃ図屏風》の3点が展示されています。

どれも素晴らしい作品なのですが、今回は深江芦舟《つたの細道図屏風》について、noteしていきたいと思います。

じつは昨年もこの時期に展示されていて、下記のようなnoteを書いていました。ところが、改めて原文を読み直してみたり、俵万智さんの『恋する伊勢物語』を読んでみたりすると、昨年書いたものとは異なるストーリーというか情景が頭に浮かんできました。今回どう感じたのか、改めて読み解いていきたいと思います。

『伊勢物語』といえば、何段にも渡って話が続く短編集のような物語。前述した俵万智さんの本を読んでいて思ったのが……これは在原ありわらの業平なりひらだけの話をしているわけではないんだろうな……ということ。

各段は「昔、男ありける」から、毎回「くどいように始まる」と俵万智さんは書いていましたが、なぜ“くどい”ほど「昔、男ありける」から始めるかと言えば、それは毎回異なる男の恋について話しているからだろうなと思ったしだいです。まぁ違うかもしれませんけど……。

ただし、一般的には「恋に疲れた男(在原業平)が、東に下っていく話」だとされています……つまり、センチメンタル・ジャーニー(感傷旅行)と言われているのですが……それでは同じ男としては、がっかりな気がしていました。そんな失恋も、旅へ出るきっかけの一つだったのかもしれませんが、ここはもっと前向きな動機で旅に出たことにしましょうよ……と。

それで思い出したのが、欧州人は大学を卒業して仕事に就く前に行く「グランド・ツアー」についてです。世界へ旅に出て、学校の学問では学べない実地のテストを受けるわけです。その「グランド・ツアー」へ、平安時代の貴族である、在原ありわらの業平なりひらなのか『伊勢物語』の昔男たちは出かけたのではないか?……と、いうものです。

実際、『伊勢物語』を読んでいても、特段「旅」それ自体に注目している様子はありません。各地の風景や女性と出合い……出会い……それらから受け取った思いを、歌に詠んでいくというのんびりとした雰囲気です。また、特に第九段の冒頭では「もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。」とあります……友だち1〜2人と一緒に行ったと……。もし傷心旅行だとしたら、そんな他人の失恋に付き合ってあげる男友だちって、いますかね? それよりも当時の若い貴族が、京とは異なる世界を見るために、旅に出ていた……とした方が自然ではないかなと。

そして話をそろそろ深江芦舟が描いた《蔦の細道図屏風》に戻すと……同作は、伊勢物語の中でも、学校の教科書にも載っている可能性が高く、入試などにも多く出題されてきた「第九段」の「東下りあずまくだり」を画題にしたものです。

むかし、男ありけり。
その男、身をえうなき役立たずものに思ひなして、「京にはあらじ。あづまの方に住むべき国もとめに」とて往き行くけり。
もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくてまどひいきけり。
三河の国八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋といひける。
その沢のほとりの木のかげにおり居て、涸れ飯ひけり。
その沢に、燕子花いとおもしろく咲たり。
それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句のかみにすゐて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。

その男は、自分は価値のない人間だと悲観して「もう京を出て、東日本で、暮らしやすそうな場所を探そう」と、友だち2〜3人と一緒に旅に出たのでした。
誰もが初めての旅だったので、道を知る者もなく戸惑いながらの旅でした。それでもワイワイ楽しく歩いていくと、三河国(愛知県)の八橋やつはしという場所に着いたのです。そこは燕子花かきつばたが美しく咲き誇る湿地帯。そんなきれいな情景を見ながら、みんなで並んで腰掛けながら、干し米餉=かれいいを頬張っていました。すると一人が……「『かきつばた』という文字を頭にすえた、歌を詠もうじゃないか」と提案しました。そこで一堂が「おぉいいねぇ……ちょっと待ってろよぉ……」といって詠んだのが……

 からころも唐衣
 きつゝなれにし
 つましあれば
 はるばる来ぬる
 たびをしぞ思ふ 

「着慣れた唐衣のように、慣れ親しんだ妻のことを思うと、遠くまで来たものだと、しみじみとなっています」と言ったところでしょうか。これを聞いた仲間たちが、それぞれ京へ残してきた想い人を思い出して、みな食べていた干し米餉=かれいいの上に涙を落としてしまいました。塩味が加わって、ほどよく美味しくなったかもしれませんね。

一行は、さらに駿河するが国(静岡県)に入っていきます。

行き行きて駿河の国にいたりぬ。
宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は いと暗う細きに、蔦かへでは茂り、もの心ぼそく、すゞろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。
「かゝる道はいかでか いまする」といふを見れば 見し人なりけり。
京に、その人の御もとにとて、ふみかきてつく。

深江芦舟《蔦の細道図屏風》

宇津の山を進もうとすると、蔦や楓が茂った薄暗く狭い道になり、なんとも気分が鬱々としてきました。

深江芦舟《蔦の細道図屏風》

そうして気持ちをそわそわさせながら進むと、向こうから修行僧がやってきます。修行僧が「高貴な方々が揃って、こんな道をどこまで行かれるのですか?」と、ニヤリと笑いながら訊ねてきました。不審に思って顔を覗き込むと、なんと知り合いです。驚かせるなよ……こんなところで会えるとは、うれしいものだねぇ……と懐かしみながら、また一首が思い浮かびました。修行僧に一首を託して、京にいる妻に届けてもらうことにしました。

 駿河なる宇津の山辺のうつゝにも
 夢にも人に逢はぬなりけり

「鬱蒼とした宇津の山の中で、現実(うつつ)でも夢でも、あの人に会わなかったなぁ……彼女は私のことを、もう忘れてしまったのか……寂しいものだ」といった感じでしょうか。平安貴族の感情は分かりませんが、「私のことを忘れないでくださいね」と、女性に甘えている感じですかね。

深江芦舟《蔦の細道図屏風》

『伊勢物語 第九段』の、まさにこのシーンを深江芦舟が描いたのが、《蔦の細道図屏風》です。宇津の山に入るところなのか、既に歌を詠んで修行僧に託した後なのかは分かりません。よく見ると、修行僧の背中が見えるような気がしますが……とすると、その僧を見送っているのでしょうか。

ちなみにトーハクの解説パネルには、「登場人物はみな後姿で、暗い細道を前に恋人を思い出す男の寂寥感を強く表現しています」と記してありますが……まぁこれも一つの解釈なのでしょう。わたしは、「いい歌が詠めたし、妻にも便りを送れたし、さぁ次の場所へ行ってみようじゃないか! 次はどんな景色が広がっているかな?」と、充実しているように思えます。

ということで一行は、宇津の山(宇津ノ谷峠)を抜けて、安倍川をわたり、駿府に入った頃でしょうか……。

富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いとしろう降れり。
 時しらぬ山は富士の嶺いつとてか
 鹿の子まだらに雪の降るらむ

その山は、こゝにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。

富士山がきれいに見えてきました。まだ5月末だというのに、真っ白な雪が降っています……。

……って、宇津の山では秋だと思っていたのに、すっかり歳も明けて5月の末の話になってしまっているんでしょうか……

とにかく……その富士を見ると、山肌が子鹿の背の模様のように、まだらに白くなっています。いったい今を何月だと思っているんだい? 富士山は季節と関係ないんだなぁ……。
それにしても、なんて大きな山だろう。例えれば、比叡山を20ばかり重ねたくらいはありそうです。形は塩尻……海水から塩をとる時に作る砂の山……のようです。

一行は、一気に東京都の台東区まで進みます。その武蔵国と下総国の境には、角田河(隅田川)という、とても大きな川が流れているんです。

なほゆきゆきて武蔵の国と下つ総の国との中に、いとおほきなる河あり。それを角田河といふ。
その河のほとりにむれゐて、思ひやれば かぎりなく遠くも来にけるかなと わびあへるに、渡守「はや舟に乗れ。日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。
さる折りしも、白き鳥の嘴と脚とあかき鴫のおほきさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、

その川を渡し船で渡ろうと人が集まっています。こうして大きな川を渡るたびに、京から遠くへ来たものだと……また離れるのだなあと寂しさが込み上げてきます。
そんなふうに感傷に浸っているのに、渡し守が「早く船に乗れ、もう日が暮れちまうぞぉ!」と、無粋な声を張り上げています。その声に急かされながら舟に乗り込むと、周りの人も何か寂しそうな雰囲気にも思えます。
ちょうどその時、白いくちばしと赤い足の、シギよりも大きな鳥が水面で遊びながら魚を捕食しています。
京では見たことがない鳥なので、その鳥が何かを渡し守に尋ねると、「あれは都鳥」という名前だと教えてくれました。そこで一首……

 名にしおはゞいざこと問はむ都鳥
 わが思ふ人はありやなしやと

「都の鳥というくらいだから、きっと京の都の事情にも詳しいことでしょう。では聞いてみようじゃないですか、わたしの恋人が元気で居てくれているのかを」という感じでしょうか。この恋人が、男の妻なのか、それとも別の人なのかは分かりませんが、なんとも良い歌ではありませんか。一緒に舟に乗った人たちが、この一首を聞いて、こぞって泣いたのでした……。

ちなみにこの歌にちなんで、名付けられた東京の台東区と墨田区に架かる橋が言問橋ことといばしで、橋をまっすぐと進んだ先にある東武線の駅が業平橋なりひらばし駅……だったのですが、今は東京スカイツリー駅という残念な名前に変わってしまいました……。

ということで『伊勢物語』の第九段を振り返ってみました。

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