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ショートショート 天使の翼

*はじめに
このショートショートはフィクションです。

僕は仕事帰りのいつもの道を
いつものように車で走っていた。

今日の日中は暑いくらいの陽気で
駐車場に停めていた車の空気が
ぬるくなっていた。

僕は窓を少しだけ開けて
外の風に当たりながら走らせる。

交差点で信号待ちとなり
すぐ隣にあるファーストフード店の
大きな看板を見上げた。

すると真っ白い大きな翼が
両手を重ねるように
看板の上にぶら下っていた。

羽の一枚一枚まで鮮明に見えて
作り物のようにはとても見えない。

大きな翼はゆるゆると左右に開き
中から金髪の裸の人が現れた。

均整のとれた身体に
遠目から見ても美しい顔立ち、
ブルーの瞳が輝いている。

するとその瞳は僕の目を捉え、
翼の人と僕は、
ほとんど同時にまばたきをした。

次の瞬間、

僕の助手席にその人は座っていた。
今度は真っ白なスーツを着ていた。

信号が青に変わり僕は車を走らせる。
隣に座るスーツの人は何も言わない。

少しだけ開けた窓の風で
金髪がサラサラとなびいていた。

僕はルームミラーで隣の人の顔を覗く。
すると目が合う。

ブルーの瞳は輝いていて、
僕はその輝きに見とれてしまう。

僕にはその人が女性なのか男性なのかも、
わからない。

『男性でも女性でもありません。
わたしは天使です。』

言葉ではない。
ルームミラーで覗くと黙ったままだ。
その声は僕の頭の中に直接聞こえた。

『あなたを迎えに来ました。
あ、しゃべらなくて結構です。
考えるだけでわたしに伝わります。』

『そうですね、びっくりするのは
分かります。でも大丈夫です。
見ての通り、わたしが天使なのは
ご理解いただけたと思いますし、
あなたを天国にお連れすることを
お約束します。』

『え、どうしてあなたなのかと
いわれましても、
わたしはあなたの担当としてずっと
見てきましたし、
あなたの声もずっと聞いてきました。』

『はい。そうですねえ。
天国に行く人というのは満たされた人
が多いです。満ち足りた人生を送り、
何の後悔もなく、そして天国に連れて
いかれる。なぜだか分かりますか?』

『いえいえ、そうではありません。
善と悪の選別ではないのです。
皆さんそこを勘違いなさる。
いいですか。
地獄というものはありません。』

『ええ、皆さん驚かれます。
では皆が天国にいくのかと。
そうでもないのです。
どういうことでしょう。』

『はい。まあそうですね。
そこしか行く場所がないですから。
ちなみにあなたは何回目か、
お分かりですか?』

『いえいえ、
そんなものじゃあないです。
何回も何回もやり直して、
そして頃合いになったときに
わたしが現れるのです。』

『あ、大丈夫です。
わたしと会話している間は、
時間は流れていません。
さっきから同じ場所を
走っているのに気づきませんか?』

『はい。申し上げにくいのですが、
あなたの残り時間はあと1日です。
つまり明日の今頃、わたしはあなたを
迎えに来ます。今日はその前触れです。
この会話の記憶は消させてもらいます。
少し話し過ぎました。
また後ほどお会いしましょう。

あ、言い忘れました。
先ほどはいいませんでしたが、
あなたは今回で73回目です。』

僕は仕事帰りのいつもの道を
いつものように車で走っていた。

僕は車の窓を少しだけ開けて
外の風に当たりながら走っていた。

交差点で信号待ちとなり
すぐ隣にあるファーストフード店の
大きな看板を眺めた。
見慣れた大きなロゴに灯りがともった。

家に帰り電気を点ける。
待っている人はいない。

テレビを眺めながら
コンビニで買った弁当を食べる。

お酒が飲めない僕は食事が終われば
特にすることもない。
布団を敷いて寝てしまう。

独りでいると眠れない夜もある。
そしていろいろと考えなくてよいことを
考えて、さらに眠れなくなる。

でも今日は今までで一番良く眠る事が
出来た。

夢の中に天使が現れて、
こんなことを言った。

『言い忘れました。
あなたの不安の感情は
わたしが預かりました。』

なんのことか、わからない。

次の朝。いつものように一日が始まる。
僕は会社に出社する。

いつもと同じ出勤風景なのに
初めて見た景色のように見えて、
風景の一瞬一瞬の輝きが
とても大切なものに思えた。

会社での事務的な会話の中でさえも、
僕を受け入れてくれる場所があるのだと
改めて感じることができたし、

あれだけ嫌だった目の前の仕事も、
自分の痕跡、足跡を残せる、
モニュメントなのだと思う事が出来た。
こんなことは初めてのことだ。

まるで昨日までの自分を全て洗い流して、
新しい自分で今日を迎えたように、
全てが新鮮で、すべてが素晴らしく思えた。

今日に限って、なぜこんなことを思うのか、
僕は不思議だった。

そして帰り道で信号機を待っているときに、
僕は昨日の事を思い出した。

助手席を見ると天使が座っていた。

『どうでしたか。
不安の感情がない一日は。』

『ええ、人生が全く違って見えたでしょう。
何回人生をやり直したところで、
不安の感情をコントロールできないと、
人生は困難なものになります。』

『ええ、わかります。でも多くの場合、
それさえ気づかないのです。』

『あなたは満たされた感情の中にいます。
あなたが求めて止まなかったものを、
手にしているのです。
いま、わたしのこの手をとれば、
あなたは天国に行く事が出来ます。』

僕は天使が差し出した左手を見つめた。

その手を左の手で握りしめたとき、
天使の白いスーツは大きな真っ白い翼となり
ゆるゆると左右に広がっていった。

天使の翼が羽ばたくとともに
僕の身体は宙に浮き、
空へと舞い上がって行った。

僕はようやく殻を脱いだのだ。
天使は僕を見て微笑んだ。

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