青天の霹靂を起こしてみた

夫に今後の私の人生についてぽろっと話してみた。きれいな砂浜のある海の近くに住みたい。このままこの家で死ぬまで毎日同じことをしていたくない。

夫にとっては青天の霹靂のような話だったと思う。今の生活が私にとって穏やかで幸せなものだと信じていたはず。

「それは話し合いが必要だね。」と夫は言った。

たぶん夫はローンの支払い、家の売却、老後の資金、新しく住む場所の選別、仕事のこと等をものすごく考えるだろう。話し合うために。

でも私がしたい話し合いは、夫は何をやりたいのか、老後に向けてどう生きたいのか、本当に今の日々を繰り返し過ごす生き方でいいのか。


しばらくしてキャンプの話になった。焚き火ができるグッズや、お湯を沸かしてコーヒーを飲めるグッズもあると夫が話すのを聞いて、私は焚き火もコーヒーもいらないと思った。

でもそれは夫のしたいキャンプをただ否定する言い方だと思い、「どんなキャンプがしたいの?」と聞いてみた。すると「湖のそばで、夕方焚き火を始めて、夜に星を眺めて、朝靄の中温かいものを飲んで帰るようなキャンプがしたい」と話してくれた。「私は昼に森林の中、椅子を置いて川の流れを3時間ほど見て帰る日帰りキャンプがしたい」と言った。

「じゃあ全然違うね。」と夫は言った。

私はすかさず、「うん、面白いね。」と言った。夫は夫婦が違うことを望むのは悪いことだと何となく思ってしまっている。夫婦は全然違う好みでも価値観でもいい。もちろんそれが変わっていってもいい。合わせる必要はない。

夫は私の希望に沿うようにできる限りのことをしようとするだろう。人が怖くて誰にも会いたがらない私をしっかり守って今まで過ごしてきてくれた。欲しいものも行きたい場所も一度も反対しなかった。息子たちには理不尽なほど厳しかったけれど、私が最後の選択を息子に委ねると決めたら、夫もそれに賛成してくれた。

私も夫に依存して甘えていた。夫が全てやってくれることに慣れてしまっていた。今までどれほどの時間を私のために使ってくれたのだろう。私のためにするいろんなことが自分のやりたいことだと夫は思っていたと思う。でも気づかなかっただけで本当はきちんと夫自身がしたいことがあったはずなのだ。

私が家事育児を当たり前のように、みんなが快適な生活を送っていけるよう自分のやりたいことに気づかないまま過ごしてきた。そしてそれがおかしい事だと気づいた私が今度は夫に尋ねる番なのだ。

今まで毎日愚痴りながら続けていく仕事が、ストレス解消が必要な毎日が、そのままでいいのか聞いてみる役目なのだと思う。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?