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8月6日朝の京都散歩/東本願寺

8月6日、出張のため京都滞在。
昨晩夜中の1時ごろに寝て、朝が強いわけでもなく黙祷する8:15前には起きようと7:30ごろにアラームをセットしていたけど、6:37に目が覚めて朝の京都でも歩くかなと、泊まっている四条堀川の宿を出た。カフェでもないかなと探してみると近くに良いカフェあるのでそこを目指す。

東本願寺のお堀沿いを歩いていると突然こんな言葉が目に飛び込んできた。

『いのちは比べれば物となる」

心に沁み込んでくるような言葉でしばしその言葉の前で立ち止まった。
8月6日タイムラインには朝から広島への原子爆弾投下の話がたくさんあったからということもあるけど、この言葉を目にして、自分に対して問われているようだった。

『いのちは比べれば物となる』

自分はすぐに比べたくなる、競いたくなる、そして自分勝手になる。そんなことを思いながら散歩を続け、お堀の曲がり角を曲がるとるとまた言葉が書いてありそうな立て看板が出てきた。

『いのちは比べれば物となる』

と言う言葉よりも今の自分の心に沁みる言葉はあるのかなと言葉を欲してまっすぐ五条堀川から鴨川を目指す予定だったけど、京都を下る方向にお堀沿いを歩いた。

『人生は常に出会い直しを必要とする』

『いらぬ雨か恵の雨か私の都合で雨を言う』

なんと考えさせられる言葉なんだろうか。

前方をみるとまた言葉が続く。

『殺していい“いのち”殺されていい“いのち”などありません』

『思いをこえて生まれてきた私なのに何でも思いどおりにしようとする私』

『信心とは驚きうなずき目覚めることをいうのです』

言葉を追いかけ歩いているうちに吸い込まれるように東本願寺の正面玄関にたどり着いていた。東本願寺の空間デザインに誘導してもらったわけだけど、素晴らしい設計だなと思った。

どうやってこれだけの立派な木材など建築資材を集めたらのだろうと圧巻の東本願寺に敬意の気持ちを持ちつつ参拝をして、またお堀へ。

さらに言葉は続く。


『仏さまはいつでもどこでもあなたを案じてくださっています』

『在るがままで尊し』

『信心の人は、その心すでに浄土に居す』

『悲しみを知る心だけが他人に寄り添っていけるのです』

『「いのち」は私の思いをこえた深い願いをもっている』

『人間は一人の人との出会いから一つの言葉との出会いから生ききることが出来る』

『「大切な人」が一瞬にして「あんな奴」となる私』

『人と生まれた悲しみを知るとき人と生まれた喜びを感じる』

そして最後は


『南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう』

父方の亡き祖母も母方の亡き祖母も京都出身で、父方の亡き祖母は浄土真宗のお経を暗記して毎朝念仏していた。よく漢字ばっかりの長いお経を覚えられるなと思っていたけど、おばあちゃんはこんなことを毎日念仏していたのかなと想像した。

「言葉には言霊がある。」
言霊があるから大谷翔平選手の花巻東高校の寮には監督や選手が良いと思った言葉が壁にたくさん貼ってあると花巻東高校野球部佐々木監督がテレビで言われていたけど、朝から言霊のシャワーを浴びたような感情を揺さぶられる散歩になった。

蝉の鳴く朝の京都、横道外れた散歩道。

東本願寺のお堀から目的地のカフェに入ると世界地図が掲げてある素敵な空間だった。レコードから心地よくかすれた音で流れてくるBeatles。東本願寺での言葉で頭がいっぱいの中、これ以上何を聴かせてくるのか。Imagineでも流れてくるのか、今は受け取れきれない、あ、Imagineはジョンレノンだからビートルズのレコードには入っていないかなどと考えながらHeyJudeやWe Can Work it Outが流れてきて歌詞の意味を調べながら聴いた。

サンドイッチとコーヒーを注文しつつ、出会った言葉をノートに手書きで書いて反芻してみた。

そしてAM8:15前に店を出て東本願寺の前で広島を向いて手を合わせた。

8月6日、京都、東本願寺の言葉の数々、ビートルズ、朝のカフェ。この感覚を誰に発信したいのか、自分のためなのかもはっきり分からず、書き留めておきたいという思いで久々にnoteを開いている。多分以下の言葉は書き留めたい感覚と近い。

『人間の深い欲求それは本当の自分を知りたいと言うこと』

京都には親戚が住んでいて、大学時代は立命館(キャンパスは滋賀のBKCだけど四年は京都に在住)で色々とご縁が深い。

8月6日の京都の朝、良い時間だった。

今回京都に来れたのは『2100年、火星の懐石』と言う人類は2100年火星で何を食べるのだろうか?と考える食事会に浄酎を選んでいただけたのでそのイベントに参加させていただけるため。昨晩も未来を体感できるような創造性を掻き立てられるような場所を見れ、今晩も参加してくる。

78年前、自分がもしも今と同じ年代で生きていたら、スマホからの情報に頼らず、何を自分に問われていると感じ第二次世界大戦が世界中で勃発している広島で行動したんだろうか。

今の自分にはその行動に少し自信が持てない。だから東本願寺の言葉の数々が心に沁みたんだと思う。

今日出会った言葉が言葉に沁みないような生き方ができるようになりたい。








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