まんぼうは鳥か魚か
「おかあさん、だいすきよー」
「もう!おかあさん、だいすきじゃない!」
どちらも、イヤイヤ期真っ只中の3歳の次男が私に毎日のように言うセリフだ。
ニコニコしながら私を大好きだと言い、小さな手で頬を撫でてくれた3分後には、LEGOブロックを投げつけてきながら「もぉーーっ!おかあさん!だいすきじゃないよ!」と怒り狂っている。それが3歳児である。(我が家調べ)
しかし次男、どういうわけか「だいきらい」という言葉を使わない。めちゃくちゃ怒っているときでも「だいすきじゃない!」と言うのがちょっとツボ。
I don't like であり、I hate ではない。
彼は「きらい」という言葉を知らないわけではないはずだ。食事のときにはピーマンやらニンジンやらを指さして「これきらいだから!あっちいって!」と怒っているし。
まさか「きらい」って言うと私が傷つくと察して「すきじゃない」に変換しているのか…?
だとしたらアンタ、大失敗だぜ。
なぜなら母は「だいすきじゃない」でもじゅうぶん傷ついているからな…。瀕死やで。
とはいえ、やっぱり「だいきらい」よりは「だいすきじゃない」の方が当たりが優しいような気はする。
いや?
どうだろう?
もう10年以上前に失恋したときのことを思い出した。
当時の彼氏にフラれるときに「君のことは嫌いじゃないけど、今後も一緒に過ごして行きたいと思えなくなった」みたいなことを言われた。
嫌いではないけど、好きではなくなった。
私の頭の中ではそう変換された。
どうせ別れを告げるなら、嫌いになったと言ってくれぇぇぇーーーーボケェェェェ!!引きずっちまうじゃろがぁぁぁあ!!(実際3年ぐらい引きずった)
と思ったのだが、思い出せば私もそのさらに10年ぐらい前、当時の彼氏に別れを告げるとき「あなたのことは好きだけど、今は一緒にいるべきじゃないと思う」みたいなことを言ったのを思い出してしまった。
なんじゃそりゃ。
紛れもないクソ女の別れの理由である。
ああああああ謝罪してぇ。
許してくれ私も若かった。
ちゃんと10年後ブーメラン帰ってきて思いっきり直撃したから、もうそれでいいか。チャラってことにして。
はい。
いつものことながら、話が飛んだ。
だいたい、彼氏に言われるそれと、3歳の息子に言われるのは全く意味が違いますから。はい。
まあそんなイヤイヤ期な次男なんですが、めっちゃ可愛い期でもあり。(いや、こっちに余裕さえあれば子供って生まれたときからずっと可愛い期だとは思うのだけど、それがなかなかねぇ…)
たいへん可愛い時期で、日々忘れたくない可愛いエピソードも満載なのだけど、私の脳がポンコツでどんどん忘れてしまうんだ。
事実、長男が3歳だったころの記憶もほぼない。
次男が生まれたてで大変だったとはいえ。
もったいない
ああもったいない
もったいない
あんな可愛い時期を覚えてないなんて。
頭に外付けHDDが必要。
今日はそんな可愛いくて憎ったらしい盛りの3歳と2人でお風呂に入った。
お風呂に入る前、全裸になってぽんぽこのお腹を叩きながら彼は体重計に乗り、「なんキロってかいてるー?」と言うので、「15.5キロ!大きくなってるねー」と答えた。
すると嬉しそうに「じゃあもうすこしで100さいになっちゃうんじゃなーい?」と笑っていた。
体重何キロかという話をしてたのに、急に100歳になるのもまた3歳児。かわいいかよ。
お風呂でのエピソードを1つ思い出したので、備忘録として書いておきたい。
これはお風呂の壁に貼るタイプのひらがなパズル。
いろんな絵が描かれているものの中から「トリさんをあちゅめる!」と、いつも鳥が描かれたピースだけを集める3歳児。
その中に1つ鳥じゃないものが混ざっている。
「◯っくん、まんぼうは鳥じゃなくて、魚だよ」
そう何度か指摘したのだが、「え?これはトリだよ!だってハネがあるし!」と言ってきかない。
確かに羽に見えなくもないけど…でも魚なんだよ。
お風呂から出てYouTubeでまんぼうを検索し、海で泳いでいるまんぼうを見せたりしてみた。
しかし次の日もやはり、彼が集める鳥たちの中に、まんぼうは居た。また指摘する私に、「いいの!これはトリさんだから!」と、プンプンしていた。
何度もそのやりとりを繰り返すこと2〜3週間。ついに彼はまんぼうを仲間に入れなくなった。鳥だけを集めて、壁に貼っていたんだ。
あれっ?と思い、まんぼうを手渡して「これは?」と聞くと「これはトリじゃないの。トリみたいだけどサカナだよ」とのことだった。
彼の中でまんぼうは、「鳥みたいな魚」ということで決着がついだようだ。
でもなんか…
ちょっとショックだった。
良かれと思って、まんぼうは鳥じゃなくて魚だよと言い続けてきたのは私なわけだが、そんなのどうでも良かったんじゃないかなって。
まんぼうが魚だなんて、ほっといてもどうせいつか分かることなのに。3歳児が楽しく「トリさんをあつめる!」とキャッキャしているところに「これはトリじゃないよ」なんて、正論ぶちかまして、しらけさせてしまったなって。
合ってるかどうかとか、どうでも良かったのになって。なんだかちょっと罪悪感も感じた。
次男3歳。
長男5歳。
まだまだ、お勉強なんかより楽しく遊ぶのが何より大切な時期な気がする。自然な流れで何かを教えるのはいいけれど、違うと思うと言われたら、しつこく正解を教えようとせず「そうかもしれないねー」って乗っかるぐらいでいいのかもしれない。
そんな気持ちになった出来事だった。
子供たちの、自由で柔軟な脳に嫉妬している今日この頃である。
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