嫌いなことに対して努力は不可能
私は絶望的に料理ができないのにも関わらず、健康や節約のために料理を試みることがあります。先ほども料理を試みたのですが、とにかく信じられないくらいに不味い。現在も料理をした後に出来上がった生成物が台所に放置されていますが、これを片付けるのも極めて億劫に感じています。
このような話をすると、「努力が足りない」と思われる方もいるかもしれません。事実、料理に対する努力が足りないことは確かです。しかし、人には得手不得手があるもので、そもそも嫌いなことは努力する気にすらならないわけです。私にとっては、料理は大嫌いでストレスなのです。
「努力をするにも才能が必要」という話がありますが、これは本当ですね。だからこそ、私が得意なことを苦手にしている人がいたとしても、その人たちに対して「努力が足りない」とは思わないようになったのです。きれいごとなしに無理なものは無理ですからね……
気まぐれにも料理をしたことで、苦手なことは得意な人に任せて、私は自身の得意なことに専念すべきだと再認識しました。
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