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短編)メルカ羅生門

ここのところ景気が悪く、しかし肥えるもの肥けり。

下人は色褪せたスラックスを黒スプレーで染めるに風の強いベランダでは多分事故るので、お近くのメルカ羅生門で風をしのぎ作業をとおもい、ちょうど風もなく通りの人には見えぬところ、いみじう出っ張りに、クリーニングを終えたスラックスを引っ掛けけり。

しかし、何やら騒々しくある部屋の奥へと駆ける、数人の男たち。その影を追うと、突き当りに人の囲いがある。

なにが始まるんです?、と、囲いする人の肩越しに覗き込むと、風呂敷をひろげた老人の姿があった。商いであった。
DTMやライブで使われるプロ仕様のハイクオリティな音響機材が置いてある。しかし、どれもこれも値段がおかしい。半値以下であり、さらに早口なるままに男が値切ろうとしている。

これはなんたる鬼の所業と思いきや、老人は快諾し、そそくさと購入者は持ち去る。これは如何に。

血気のある男たちに囲まれ、老人は虐められているのではないだろうか、候、ちょいお待ちよ。

下人は、先ほどUADのオーディオインターフェースを4分の1の値段で買い叩いた者の肩を後ろから掴み呼び止めた。

なんだお前は、と男は驚いたが、すぐさま事情を聞けるほどには落ち着いていた。

聞けば、あの老人は終活として、破格の値段でプロフェッショナルの機材を売り飛ばしておるそうな。あんたも運がいい、買うなら今だ、気付いている奴もそう多くはない、と、男は卑しい笑みを残し、踵を返すとまたそそくさと去って行った。逞しい野郎だ。

持つ者と持たざる者、諸行無常とVirtual Insanity 。使い捨ての労働者の中には、己がライフステージに対する意識が軽薄で、もはや取り返しがつかず夢に抱かれて失する者が300万人はいると、合成労働省の調査で明らかになっている。
貴族階級の煌びやかな世界とは言わずとも、辛うじて、その美座の下支えとして仕官するにあたり、家賃の4ヴァイのギターを持つことは現代の歌舞伎者の習わしとなっている。もちろん、ヴァイはスティーブヴァイである。

あの老人から片っ端から機材を買い叩き、転売すれば儲けにもなる。下人は考えたが、ふと胸のなかに、ざわ…ざわ…とテキストが流れた。

ひょっとしてあれは、まさか未来の自分の姿ではないのかと、胸が苦しくなったのだ。下人は決してしてはならぬ想像をした。
現代はルッキイズムの極み、若さ、アンチエイジングはインフレインフェルノ、炎の魔神と化している。決して、醜く老いぼれた者に微笑まぬ女神たち、諸行無常、エーメン、アゲ言葉でなんとでも言える。色褪せた者がせめて技術を持って世に出ようと躍起になるのはせんかたなし。
先程の逞しい野郎の見習うべきであると、下人はうまく己を正当化し、せめて老人から買い受けたものは線香の煙を通してから使おうと心に決めた。が、すでに売り切れていた。
老人の行方は誰も知らない。

完)メルカ羅生門



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