第二章〜挫折からの初就職。社会人になってまた挫折〜
学生時代に就職活動の一環で行った老人ホームでの実習では男性保育士が介護士となって多く働いてました。
当時、男性保育士は需要も多くなく、進路はおのずと介護士として働き目指す流れで私も老人ホームに就職をしていくこととなります。
夢だった保育士を諦めた私でしたが、
周りの人を笑顔にするというやりがいはあるものの、保育士を目指していた私は子供たちの笑顔をつくる仕事に携わりたいという気持ちは消えませんでした。
当時、
休みの日にはよく飲みに出かけていたのですが
夢を諦めた私に友人や知人は
興味本位からか『何故、諦めたのか?』とよく聞いてきました。
私は
『介護の実習に行ったら、こっちの方が自分に合ってると思ったんだよね!』と強がっていたのです。
弱音を吐いたりすると、
『私の周りから人がいなくなるんじゃないか?』
『幼い頃のようにまた寂しい思いをするんじゃないか?』
今にして思えばそんな気持ちが私にはあったのかもしれません。
だからか学生時代を振り返ると、
沢山の人に囲まれていないと常に不安でした。
しかし誰にも本音を言えない。
自分を偽って生きていくことで寂しさを紛らわしていたのだと思います。
本来のやりたい仕事ではない介護の道へ進み、ただただ与えられた仕事を淡々とこなす日々。
もちろん一生懸命頑張りました。
頑張りながらも心が疲弊してくのを感じていた矢先、施設のオーナーが声をかけてくれたのです。
私のやりがいを無理やりにも見つけている心の声を見透かされているようでした。
(目指していた保育の仕事ではなく、『営業?』)
オーナーは私の特性をよく見てくれていたのです。
言えない私の葛藤を感じとってくれたオーナーがそこにはいたのです。
オーナーは私の入所者のご家族への対応や同僚、
上司への接し方を見てグループ会社の営業を勧めて下さったのです。
私は心機一転、介護用品やそれに伴う家庭用の衛生機器の訪問営業の世界に、介護に就職してわずか半年で飛び込んだのです。
そこでは水を得た魚のようにハツラツと仕事をしてる私がいました。
私には介護現場での経験がありました。
たった半年でしたがこの経験がとても役に立ったのです。
高齢者のご家族の方ともよく接していたので、介護する側のニーズや思いが分かっていたのです。
ですから中々成果が出ない同僚をよそに、どんどん成果を出し、たった2年足らずで最年少で営業部の支店長に任命されたのでした。
当時は感覚でしかなかったのですが、お客様を笑顔にしたい。
その思いが私の成績に繋がったのかもしれません。
コミッションは売上に応じて高くなる仕組みで、
若干22歳の私の最高月収は180万を超えていたのです。
私は幼い頃から周りの目を気にして生きてきましたので、本音を言えない私が自然と身につけた自己防衛が他人と接する際に相手に合わせる、懐に入るという術でした。
しかし、いいことばかりではありませんでした。
周りは私よりも歳上の方ばかりですが、有頂天になっていた私は相手を敬うことができず、成績が出せない年配の部下を他の社員さんの前で激しく叱責したりしていたのです。
(いま思えば、マネージメントをまったく理解せず、自分ができる基準値を押し付けていたのだと思います)
自分の息子ぐらいの私に、大勢の目の前で叱責された社員さんは、当然のように辞めていきました。
私は自分の存在価値を高めるために人を攻撃し、その人が私の周りから離れていくと、言いようのない不安に駆られ、また他の誰かを攻撃するという悪循環にはまり、最低な上司像を地で行っている人間になっていました。
(上司にしたくないランキングあったとすれば1位だったと思います)
しかし、そんな私を注意してくれる人は誰もいませんでした。
いや、注意されていたとしても聞き入れなかった自分がそこにはいたかもしれません。
いつしか社内の雰囲気は悪くなり、退職者が後を絶たず支店の成績もどんどん下がっていきました。
常に心は焦っていました。
しかし私は心の苦しさや寂しさを誰にも打ち明ける事ができなかったのです。
部下がもっと頑張らないからだ。
私は精一杯やっている。
常に誰かのせいにしてイライラしている自分がいました。
(今は理解してますが原因他人主義はなにも生まないのです)
『お前はもうちょっと人の気持ちが分からないと人生失敗するぞ』
『支店長を任せたのは少し早すぎたな』
『私のミスだ』
ある日呼び出された私にそう言い放ったのは、介護施設のオーナーでした。
私を営業の世界へ導いてくださった恩人のオーナーから、私はそう言われてしまったのです。
そんな思いで頑張った私。
思い通りいかず寂しさでいっぱいだった私。
なのに、
私のことを認めて下さったオーナの信用を
失ってしまった私がそこにいたのです。
人生2度目の挫折でした。
私の友人達は私のことをどう思っていたのでしょう?
(おそらく若くして営業で成功して沢山の報酬をもらうエリートだと思っていたのではないのでしょうか。)
まさかその影で私が支店長失格の烙印を押されたとは想像もできなかったのではないでしょうか。
オーナーは敢えて私に苦言を呈して下さりました。
このときその苦言を素直に受け入れられる自分はおらずチャンスを私は掴む事ができなかったのです。
(これがもしかしたら私の変われるチャンスだったかもしれないのに・・・)
ここでも私は周りの目を気にして、本音を言うことができませんでした。
私の心は疲弊してました。
私の心はその居場所を探していたのです。
そんな時にネットワークビジネスのお誘いがあったのです。
よくある高校時代の友人からのお誘いでした。
これがきっかけで介護用品の営業を
見出された才能を生かすことなく辞めていくことになります。
次の話では
ネットワークビジネスで活躍していった話をしていきたいと思います。
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■プロローグ
■第一話 〜片親、DV。でも夢を追いかけた少年時代〜
■第二章 〜挫折からの初就職。社会人になってまた挫折〜
■第三章 〜いよいよネットワークビジネスの世界へ〜
■第四章 〜人生の転換期はいつも突然やってくる〜
■第五章 〜物事の真理。再度ネットワークビジネスにチャレンジして解ったこと〜
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