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2023年3月19日 快晴の高野山へ その1 壇上伽藍・中門から西塔

3月19日。
うりぼうさんと、高野山に行ってきました。

うりぼうさんが「お堂を回すやつ、やってみたい」と前におっしゃっていたので…
まずは、壇上伽藍だんじょうがらんへ向かいます。

壇上伽藍は、高野山山内の「入口」あたりに位置します。
大門から少し進んだ所です。

壇上伽藍は、弘法大師空海が、高野山で最初に造営に取り掛かった場所です。
高野山では、奥の院と並ぶ「二大聖地」となっています。

壇上伽藍は、曼荼羅まんだらの世界観を表しています。
高野山の「本堂」ともいえる「金堂こんどう」を始め、根本大塔こんぽんだいとう、国宝不動堂など、大小19の諸堂が建立されています。

壇上伽藍にも駐車場はありますが、この日はお彼岸の期間中、しかも日曜日ということもあり、満車でした。

とはいえ、計画した段階で、中の橋の大きな駐車場に停めることにしていました。
中の橋の駐車場は広いので、安心して車を停めることができます。

駐車場からは、バス移動です。
日曜日は、バスの本数も多いので、少し待つとバスがやってきます。

中の橋駐車場から、壇上伽藍までバスで移動する場合は、少し注意が必要です。
「高野山駅前行き」のバスに乗ると、「千手院橋バス停」からはルートが外れてしまいます。

なので、中の橋駐車場(奥の院前バス停)から壇上伽藍に行く場合は「大門南駐車場行き」のバスに乗る必要があります。

もっとも、千手院橋バス停から壇上伽藍までは、歩いてもそれほど距離はありません。
徒歩5分程度です。

詳しく知りたい方は、こちらをご参照ください。

さて、バスは「金堂こんどう前バス停」に到着。
いよいよ、壇上伽藍です。

バスを降りると、まず目に飛び込んでくるのが「中門ちゅうもん」です。
鮮やかな朱塗りが目を引きます。

中門は、天保14年(1843年)に火災により焼失しました。
その後、長らく再建されませんでしたが…
高野山開創1200年記念大法会の記念事業として、平成26年(2014年)に中門を再建、翌27年(2015年)4月2日に落慶らっけい法要が執り行われました。

中門には、東西南北を守護する「四天王」が安置されています。
北を守護する多聞天たもんてん、東を守護する持国天じこくてん。多聞天と持国天は、焼失を免れたそうで、当時の仏像が安置されています。

再建にあたって、南を守護する増長天ぞうちょうてん、西を守護する広目天こうもくてんの像が新たにつくられました。
この2像を手掛けたのは、現代の大仏師・松本明慶みょうけい氏です。

こちらは、持国天。
作ったのは、慶派の仏師だと伝わっています。
(慶派:快慶・運慶を主とする仏師集団)

中門をくぐると、正面に見えるのが「金堂こんどう」です。
現在の建物は、7代目の再建です。

本尊阿閦如来あしゅくにょらい(また、薬師如来とも)は、近代の彫刻家・高村光雲こううんの作です。

普段は秘仏となっていますが、私は平成27年(2015年)に開催された「高野山開創1200年」の御開帳で参拝しました。

金堂前より、中門。

さていよいよ、うりぼうさんリクエストの「お堂を回すやつ」です。
うりぼうさんは、以前放送された「ブラタモリ」の高野山の回で、「お堂を回す」ということに、とても興味をひかれたんだとか。

お堂を回す…
私は一発でわかりました(笑)
もっとも、私もブラタモリの高野山の回は、きっちり見ていたのですが。

どどん。
これが、「お堂を回すやつ」、つまり「六角経蔵ろっかくきょうぞう」です。

おわかりいただけますでしょうか。
経蔵の下部分に、「取手」がつけられています。

この取手を押して、経蔵を回転させるのです。
1周回せば、一切経いっさいきょうを一通り唱えた功徳を得ることができる、とされています。

ちなみに、お堂全体が回るわけではありません。
回るのは、取手のついた「リング部分」だけとなっています。

壇上伽藍だんじょうがらんはとても広大です。
さらに境内を進みます。

登天とうてんの松」と、金堂。

登天の松とは…

壇上伽藍の北側に位置する明王院の僧、如法(にょほう)上人が、久安5年(1149年)にこの松より弥勒菩薩の浄土へと昇天されたそうです。
ちょうどその折、斎食の用意をしていた弟子の小如法は、師匠が登天するのを見て、あわててその後を追って昇天されたそうです。

その時、小如法の手には杓子が握られており、昇天の途中にこの杓子が落ちてきたそうです。
当時はこの松の周辺には芝が生い茂り、そこへ杓子が墜ちてきたことから〈杓子の芝(しゃくしのしば)〉と呼ばれるようになりました。

金剛峯寺公式HPより

なるほど、この松にはそんな由来があったのか。
長らく高野山を訪れていますが、この由来は初めて知りました。

こちらは「御社みやしろ」の鳥居です。
御社には、高野山の地主神である「丹生明神」と「高野明神」をメインに、十二王子・百二十伴神がまつられています。

弘法大師空海は、高野山を開くにあたって…
まず、土地の地主神を大切にした、と伝わっています。

また、このことは、神仏習合思想の大きな原動力にもなりました。
以来、修行者らを護り導くとされる四社明神への信仰は、大変大切にされています。

狛犬さんが凛々しい。

鳥居をくぐると、「山王院さんのういん」があります。
御社の拝殿として、建立されました。

現在の建物は文禄3年(1594年)に再建されたものです。
このお堂では、高野山の重要行事が執り行われます。

山王院(左)と、御社。
御社は、木の向こうに隠れています。

さて、御社から少し奥に、「西塔さいとう」が建てられているのですが…

うりぼうさんが「これは気になります…!」と言って、撮った写真がこちら。
火災の多い高野山では、消火栓は必須です。

ちなみに私は、この消火栓に着目したことはありませんでした。
さすがうりぼうさん…。

西塔は、壇上伽藍の端の方に位置します。

鮮やかな朱塗りの「根本大塔」に比べ、西塔は落ち着いたたたずまいです。ゆえに、あまり人がいません。

この静かな感じが、私はけっこう好きなんですけどね。

西塔には、金剛界大日如来と胎蔵界四仏が祀られています。
また西塔は、弘法大師空海が入定にゅうじょうされた後に建立されました。

現在の建物は、天保5年(1834年)に再建された、擬宝珠ぎぼし高欄《こうらん》付多宝塔で、高さは27.27メートルです。

さて、記事が長くなりました。
続きます。
まだまだ、続きます。

当分「高野山シリーズ」になる予定です。

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