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春の終わり、夏の始まり 23

初めて公園で写真を撮ってから、唯史の写真への興味は深まっていった。
義之はそれを見逃さず、構図の決め方、光のとらえ方、被写体との距離の取り方など、写真の基礎を少しずつ教えた。

梅雨の晴れ間を狙って、唯史と義之はカメラを持って色々な場所を訪れていた。
特に、寺社の静寂と荘厳に魅力を感じた唯史は、その美しさを写真に収めることに夢中になっていた。

「唯史、ここの光がいい感じになってる」
義之が指摘すると、唯史はモニターをのぞき、シャッターを切る。

寺の石段に映る光と影、苔むした石仏。
そこに咲く、一輪の花。
それらが織りなす和の美しさを、唯史は一枚一枚ていねいに撮影していった。
義之は、そんな唯史の様子をカメラに収めていた。

撮影を重ねるごとに、唯史の技術は確実に上がっていた。
カメラを持って出かけた日の夜は、リビングで義之のノートパソコンを使い、その日撮った写真をチェックする。
その時間も、楽しいひとときとなっていた。

6月下旬の、夜。
夜、いつものように義之と唯史はリビングでくつろいでいた。
世界遺産を紹介する番組を見ながら、二人で缶ビールを飲み、タバコに火を点ける。
この頃唯史は、すっかりスモーカーに戻っていた。

「いつか、世界遺産とか撮りに行きたいなぁ」
目を輝かせながら、唯史はビールをあおる。
その表情は、以前の唯史からは考えられないくらい、生き生きとしていた。

そういえば、心に重くのしかかっていた痛みが、今はずっと軽くなっていることを、唯史は感じていた。
義之のおかげやな、と隣に座る精悍な顔を見上げ、灰を落とす。

「義之、これまであちこちで写真撮ってきたやん?多分そのおかげなんやろうけど、離婚やらいろいろ落ちこんでたのが、今かなりマシになってる。前より毎日が楽しいねん」
「それは良かった」
義之もまた、缶ビールをあおり、言葉を続ける。
「写真は『癒し』になるからな。人は何かを表現する方法を見つけたら、心の傷も癒されるから」
義之は、優しい眼差しを唯史に向け、深く煙を吸い込んだ。

公園や寺社で写真を撮るうち、唯史は自然の中の美しさや、一瞬の移り変わりをとらえることに夢中になっていた。
それが自分の内面に平和をもたらしたのか、と唯史は考える。
また義之とともに過ごす時間も、唯史にいとっては大切な支えとなっていた。

唯史は煙草を消し、まっすぐに義之の目を見る。
「ありがとう、義之」
「どうした、急にあらたまって」
一瞬驚いた義之だったが、おどけた様子でタバコを消した。

「いや、俺がここまで立ち直れたんは、間違いなく義之のおかげやん」
「いや俺はカメラを貸して、ちょっとだけ撮り方を説明しただけやん」
義之は、唯史の黒髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。

「何すんねん」
笑いながら抗議する唯史。
そんな唯史を見ながら、義之はふと真面目な表情になった。

「唯史、ちょっと遠出せぇへんか?」
「遠出?どっか行きたいとこでもあるん?」
唯史は、首をかしげる。
その様子に、昔の美少年の面影がよみがえっていた。

「和歌山の、那智勝浦なちかつうら。あそこは海も山もあって、見どころが多いねん。それこそ、さっき唯史が言うてた『世界遺産』もあるしな」
優しい微笑みを浮かべながら、義之は提案した。
「世界遺産…あ、那智大社、青岸渡寺せいがんとじ、那智の滝……!」
唯史の目が、ぱっと輝く。

「7月あたまの週末でどうやろか?どうせやったら、1泊で行こうや。洞窟の中に温泉がある旅館、あそこに泊まろう」
「うわ、それめっちゃいい!でも今から予約取れるん?」
義之は、スマートフォンで予約が可能か確認する。
「お、1室だけ空いてた。しかも太平洋側で喫煙可」
「それ最高」
さっそく、スマートフォンで予約手続きを進める義之。

「移動は車でええな。俺の車、軽四けいよんやけど、二人で行く分には問題ないやろ」
予約を終えた義之が、今度は地図アプリを開く。
「あ、俺も運転するし」
ワクワクした様子で、唯史は煙草を1本取り出し、火を点ける。

「行きは十津川とつかわ周って、熊野本宮に行ってもいいし。帰りは海沿いの42号線で、橋杭岩はしぐいいわとか串本くしもと大島とかもええなぁ」
地図アプリを拡大したり縮小したりしながら、義之はルートを確認している。

「義之、南紀行ったことあるん?」
「5年前くらいかな。アシスタント時代に行ったことあるよ。唯史は?」
「多分小学生くらいの時に、家族旅行で行った気がする。那智の滝、何となく記憶にあるねん」
「そっか。ま、行ってみようや」

その日、夜が更けるまで唯史と義之は計画を立てていた。
それは、二人にとって何よりも楽しい時間となった。

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