ブックガイド(121)「東京都同情塔」(九段理江)

第170回令和五年下期芥川賞受賞作である。
 ザハ・ハディドによる新国立競技場が中止にならずに建設された東京を舞台とする物語。(実際には建設費が高額すぎるために、隈研吾による新設計で作られた)
 女流建築家・牧名沙羅が挑むのはシンパシータワーと呼ばれるタワマン型の刑務所である。シンパシータワー?
 これは幸福研究家マサキ・セトが提唱する「ホモ・ミゼラビリス 同情されるべき人々」という受刑者に対する新しい認識に由来する。
 牧名沙羅と彼女に侍るホスト・拓人の二人の目線で綴られる文章は、二人が使うAIによる文章を交えながら淡々と進む。
 あざとい横文字言葉(コンサルタントが使いそうな)に対する醒めた気持ちや、滑稽なまでに「不適切な表現」に気を使うアイロニーが洪水のように氾濫し、この作品のテーマはアンビルト(建設されなかった建造物)ではなく、このAIをも含む現代日本の言語状況なのだろうなと思った。

 聖書に出てくる「バベルの塔」は、おごり高ぶる人類に対する罰として、建設に携わる作業員がバラバラな「言語」で話し始めたために崩壊してしまう。
 ああ、物語冒頭で、
 バベルの塔の再現。と書かれているではないか。
 ただし今回は、神の怒りではない。各々の勝手な感性で乱用された言葉は、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻すると。

 ここまで考えて私は、「ローマ帝国衰亡史」(ギボン)を意識した小林恭二の「ゼウスガーデン衰亡史」を思い出した。

 ラストシーン、牧名沙羅は塔を見上げて問い続ける。言葉による解答を求めつつ。饒舌な孤独。そんな言葉が頭に浮かんだ。牧名という名前が、あのスペイン発のマキナ(DJミックス音楽の一種らしい)という音楽ジャンルを思わせる。

 読み終わった後、アマゾンのレビューを拾い読みしたけど、高齢と思しき読者の「何が言いたいかわからない」との感想を観た。どうも内容やキャラの表面的な言動から、これを受刑者の人権やジェンダーの問題と絡めてしまう、「字義どおりにしか読めない」人であった。
 まさに独り言社会の一断面を観たなと思って苦笑い。
東京都同情塔

(追記)
作者の脳内を想像すると、まず、
「各々の勝手な感性で乱用された言葉が他人には理解不能な独り言になる。そして、ネット上のその独り言が世界を席巻する現状」があり、そこから、
「他人には理解不能な独り言の氾濫で崩れた建設途上のバベルの塔」を想起。
最終的に、「現代のバベルの塔を描いて、独り言社会になった21世紀の世界に対峙する主人公たちを描いてやろう」となったのだろう(あくまで想像だけど)
この「テーマ先行」で物語化するのは文学では珍しくない
逆に、面白そうなストーリーだけど、この物語の舞台や主人公のキャラで、いつも感じている~について書けるじゃないか。という具合に、エンタメの場合は、物語に内在するであろうテーマが後から出てくる。このあたり意識すると面白い。

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