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(短編ふう)忘れられない美術教師の言葉

校庭は、傾きかけた午後の陽で埃っぽいクリーム色をしている。
生徒たちは自分の椅子を持って教室へ引き上げ、見学にきていた家族たちも大方帰えり終えた。
役員の親と教師、運営の生徒たちが、残りの後片付けをしている。
運動会の片づけが凡そ終わろうとしていた。
朝礼台前でマイクの後始末をしていた生徒のひとりが遠くから名前を呼ばれた。呼んだ教師の指さす方を見上げて、了解の合図をして校舎の中に走っていく。
見上げた方の校舎の窓は、内側から貼られていた「赤白がんばれ」の画用紙もいつの間にかはがし終わっている。
東の端のプールの金網と、こちらの銀杏の枝から渡らされた万国旗の飾りが、時折、けだるそうにハタリ、ハタリと鳴る。
さっきまで賑やかに荒らされていた地面に、のったりとそれらの「影」が這っている。

高校時代に美術を教えくれた教師は、「影」の色合いにうるさかった。
「よく見なさい。君と彼の間に何がある?」
ぼくも交互にモデルを入れ替わった友人も、教師の指導の意味が分からず、戸惑いながら苦笑した。
後の文化際で、彼が指導した美術部の展示をみた。
その中に、陽の中の誰もいない渡り廊下を描いている絵があった。
廊下の屋根を支える細い鉄柱の「影」が美しかった。
「よく見なさい。ここに何がありますか?」
と、この時、教師に問われたら、なんと答えただろうか?

校舎の中へ走っていた生徒が、3階の窓から顔を出した。
窓の桟に結ばれていた万国旗の飾りをほどき始める。

「影」と答えたら、小突かれたろう。

一方の万国旗の列が、ふいの風にふんわりと一度浮いた後、ゆっくり地面に着地していった。
すぐにもう一列もゆらゆらと落ちていく。

空気。
ではだめでしょうか? 先生。
「影」は、空気の中を進んでいった太陽光がたどり着いた先にできます。

いえ。あるいは、音、というのはどうでしょうか?
音、も空気が運んできます。

オルセーは、誰もが言うように、それ自体が美しい美術館だ。
奥の丸い大時計とドーム型の天井が長距離列車の駅舎だった面影を残す。
ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」もここにある。
少し汗ばむ暖かい陽気にちがいない。
木の葉をなでる微風も心地よいし、乾いた喉に流し込むビールも美味しい。
アコーデオンやラッパの音に入り混じる人々の会話は、にぎやかな鳥たちのさえずりと同じに聞こえる。
ステップを踏む踊る男女の足元が埃っぽい砂煙を上げるのも気にはならない。

川瀬巴水の木版画「上野清水堂の雪」は画集の中にある。
開いたページに辺りの音を吸い込んでしまうほどに、シン、としている。
暗い空からこんこんと降る雪に朱色の上野清水堂が埋もれていく。
藍色の傘を差した女が、滑らないように注意しながら雪をかぶった石段を下りようとしている。
緑色の着物の袖が折からの冷たい風を巻き込んだようである。
一瞬、風に傘が鳴る。
手水舎には柄杓が忘れられたように置かれている。
こんな雪では、使う者はいない。

先生。
ぼくとモデルをしたSの間にも、級友たちのキャンバスにあてる筆の音や、床をこする上履きが鳴らすゴムの音、それに校庭から聞こえてくる体育授業の笛や遠くの街の音などがあったはずです。
初夏の陽に暖められた大気の中に、それらが混じり合っていたはずだと思います。
先生や級友たちとのあの時間そのものが、あったんだと思います。

「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」や「上野清水堂の雪」は、観る者を描き手が愛しんだかけがえのない時間そのものの中に連れて行ってしまうタイムマシンです。

低学年の児童たちは、教室での片づけを終えれば、早々に帰宅する。下駄箱付近に、ちらほらと小さい姿が見え始めた。
娘ももうすぐ出てくるだろう。
やわらかいクリーム色の陽に染まった校庭を小さな影法師と一緒に走ってくるに違いない。

「よくみろ。影は、もっと碧い。」

―了―

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