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(短編ふう)神は飛行機雲に宿る。

良く晴れた空にまっすぐ飛行機雲が伸びている。
刷毛で履いたような薄い雲もたなびく。
飛行機は、白い雲を引きながら、それらの間を遊覧している。

パイロットの視界がうらやましい。

日課の散歩の途中、妻と見上げた。
薄い上着すらいらない5月の良い日和だ。

飛行機の高度の大気は冷えている。

消費された燃料が、エンジンから二酸化炭素や水蒸気となって放出される。
水蒸気は冷たい大気に触れてたちまち氷の粒になる。
翼に浮力を与えている気圧の差が後方に気流を生んでいる。
氷粒は気流に巻き込まれ、雲になってまっすぐな白い線を空にひいていく。

理科で習った。

仕組み自体の記憶はあいまいだが、とにかくそこに精緻な仕組みがある。
青空に引かれた白い直線の美しさと、それを発生させる排気口で起こる繊細な仕組みに〈神の手〉を感じてしまう。

神は細部に宿る。

この言葉を、誰が最初に言ったのか、実は不明らしい。

自分は、長い間、ずっと誤解していた。

冒険家の手記だと思っていた。
しかし、実家の本棚まで探っても記憶のページはみつからない。
なので、ざっくりな記憶になる。
どこの砂漠か記憶がないので、ある砂漠。
砂漠は過酷だ。
冒険家は、暑さと疲労で倒れてしまう。
ここまでか…。
砂に突っ伏した肌が焼ける。
だが、閉じかけた視界の先、ほんの手の届くところで、ー輪の小さな花が咲いているのをみつけた。
灼熱の陽光を浴び、砂にその影ができている。
誰ひとりいない。不毛の砂漠である。
そこに一輪の花があり、陽が射して、影ができている。
砂の一粒一粒にさえ影があるのに気づく。
冒険家は、そのことに〈神の手〉を感じてしまう。
神の御手は、こんなところにも届いている。
こんな小さなところまでも届いている。
感動が彼を奮い立たせた。
ついに彼は砂漠を踏破する。

神は細部に宿る、とは、その彼が手記した言葉だと思っていた。

ところが、実は、誰が言い始めた言葉か、不明らしい。
ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエの言葉として語られることが多い。
但し、アインシュタインやニーチェ、ル・コルビジェ(スイスの建築家)、ヴァールブルグ(ドイツの美術史家)、フローベル(フランスの小説家)、ジョン・ラスキン(イギリスの社会思想家)等も使った、とネットにある。

それほど、細部に神を感じる体験、は共通するのだ。

ミース・ファン・デル・ローエの建築は、彼が好んだもうひとつの言葉、「Less is More.(より少ないことはより豊かなこと)」をかたちにしている。

「二個の煉瓦を注意深く置くときに、建築が始まる。」
これもローエの言葉。

細部に至るまで丁寧に目を配る。優しく、取りこぼしのないように配慮する。そうして構築していくと、飾りを敢えて飾らなくなる。飾りは受け手の想像にゆだねられる。受け手の想像は無限だ。無限の装飾が広がる。

「何をされているところですか?」
と、通りかかった旅人が尋ねる。
尋ねられた職人は、バケツの中のモルタルをコテにとり、レンガの片面に塗ると、ズレないように丁寧に積む。
「見ればわかるだろ。レンガを積んでいる。」
とは、答えない。
手を休めて、腕で額の汗を拭いながら誇らし気に答える。
「教会を造っているところです。」
旅人はそこに高い尖塔を見ようとするかのように空を仰ぐ。
ふたりの時代に飛行機はまだない。
空に伸びた細長い雲は、むしろ白い龍神を思わせる。

近頃、晴れた日のさわやかな5月の風が心地よいと思いませんか?

―了―

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