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ハイカムシカ文庫(本館)

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これまで投稿した、自身や知人、知人の知人の体験話をもとにした(短編ふう)の棚です。短編ふうは、最初の計画と違い、ほぼ実際の出来事をなぞったエッセイ的なものもあれば、ほぼ創作に近く… もっと読む
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記事一覧

(短編ふう)視線、感じる。

(短編ふう)視線、感じる。

人手不足なのか、仕上げた本人が白い厨房姿でテーブルまで運んだ。

「きた、きた。」
「明太濃厚カルボナーラ大盛の方、…」
料理人は、向かい合って座る二人を見比べる。
「あたし、です。」
窓側に座って店内を向いた女性が、軽く左手を上げた。
幼顔の美人だ。

トン、と小さな振動があり、薄緑の格子模様が入ったテーブルクロスの上に置かれる。
女性が胸の前で軽く音のない拍手をして迎えたので、誇らしさを感じた

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(短編ふう)本日にて、閉店。

(短編ふう)本日にて、閉店。

頼んだ甘辛ナス炒めはいっこうに来る気配がなかった。
厚いグラスジョッキの生ビールはとうに飲み干している。

店内は、満席。
週末買い出し先の定番の一つにしている大船ヨーカドーと空中廊下でつながった別館にある中華料理店である。
別館の一階は昔、三越のギフトセンターだったと思うが今はBOOKOFF。
二階は、以前はもっと多くの食べ物屋が揃ったレストラン街だったが、今は100円ショップがスペースをとって

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(短編ふう)三人のキャサリン

(短編ふう)三人のキャサリン

東京都美術館で、肖像画《キャサリン・チェイス・プラット》を観た。

101.9×76.7cm。油彩・カンヴァス。
1890年、ジョン・シンガー・サージェント作。ウスター美術館所蔵。

未完成だというが、自然を律する数式のような美しさである。

キャサリン・チェイス・プラットは、椅子の背に肘を掛け、半身をやや傾けてあずけている。鼻筋の通った横顔をみせて、凛と前方を見ている。身に着けたドレスに、あたり

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(短編ふう)アラフォー占い師

(短編ふう)アラフォー占い師

〈痕跡を消す夢〉をみた、と男は言った。

「お待ちしていました。」
彼女は男を見上げ、いつも通りのセリフをゆっくりと言った。
そうすると客は皆、そろってハッとしたように固まるのだ。
男も一瞬動揺を見せた。
しかし、すぐに小さな苦笑に変わった。
占い師の、見えすいた常套手段だと気づいたらしい。
ばれてしまったので、ひとまず彼女も苦笑して返す。

一年前、彼女はこの仕事についた。

アクティビストの主

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(短編ふう)痕跡は消せるか?

(短編ふう)痕跡は消せるか?

〈大〉の方へレバーを押した。
これで全て終わりだ。
痕跡は一切残していない。
はず、だ。
排水口へ液体が渦を巻いて吸い込まれていくのをじっくりと観察する。
流れ切った後、透明な水がゆっくりと再び溜まっていく。
そこに何もまぎれている様子はない。
全てはすっかり流れ切ったようだ。
給水タンクの上の手洗いも確かめる。頭を垂れる姿に突き出た蛇口から水が補給され続けている。濁りのない水だ。
盥部分にも痕跡

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(短編ふう)嫁と姑と平たい餃子

(短編ふう)嫁と姑と平たい餃子

母は、嫁の言葉に耳たぶを真っ赤にしていた。
「アレをつくったの? ご、ご両親に?…」
「はい。…?」

一時期、帰省時に母と料理をするのが妻のブームだった。

最初のきっかけはコロッケだった。
「コロッケ、家で作るのね。」
帰りの車の中で、一緒につくったコロッケをいれたタッパを膝の上に抱えながら、妻はやや興奮気味に言っていた。妻の実家では、コロッケはきまって親しい総菜屋で買っていたらしい。

姑に

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(短編ふう)新婚6日目のプレゼント

(短編ふう)新婚6日目のプレゼント

6日目ぐらいだった。
帰宅すると、妻からプレゼントを渡された。

いわゆる授かり婚で、それまでお互い実家生活だったので、新しくアパートを借りて一緒に暮らすようになったものの、大きくはかわらない生活リズムの中にいた。休日に内輪で式を挙げた以外、ハネムーンに行くこともなかった。
妻もまだ、普通に仕事を続けていた。
半年後には子供が生まれるわけなので、結婚指輪こそそろえたものの、婚約指輪をプレゼントでき

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(短編ふう)花曇りのち春雨

(短編ふう)花曇りのち春雨

長い入院から帰ってきた妻が、いつもの時間に玄関で靴を履く音がした。
退院後、幸い日に日に日常が戻り、妻は体力回復の為に午前十時の散歩を日課にし始めた。
もうすぐ雨が落ちてきそうな花曇りだ。
雨になりそうだから今日はよさないか、と促したが、妻は日課を変えようとしない。
在宅勤務で手元の作業をしているばかりだったので、一緒に歩くことにした。

薄い雲に陽は遮られているものの、空気には春のぬくもりがある

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(短編ふう)酔いどれ美人

(短編ふう)酔いどれ美人

寒い。

花冷えする夜だった。
下りの最終電車を送り出した後、構内に残る人の退去を促すようにホーム全体を消灯する。バチン、バチンとホームの灯りが消えていく。

時間が逆回転するようにバチン、バチンとホームの灯りが点いていく。
夜の底に煌々と照らされて、空っぽな舞台のようになったホームを見回る。
ホームの灯りを受けて、側道の桜並木がうっすらと色づいた。
下りホームの端のベンチで、彼女は酔いつぶれてい

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(短編ふう)傘とミルクチョコ

(短編ふう)傘とミルクチョコ

歴史に詳しくないので曖昧に書きとどめる。
その「傘」の前に立ったのは、もうずいぶん前のことである。

7月から9月の終わりまで、つまり、初夏から秋の始まりまで、その田舎町に居た。
この町を有名な観光地にしている17世紀の作家が、美しい少年と比べたその夏の中で3カ月を過ごしたことになる。
小さな町で、端から端まで、30分も歩けば横断できた。
交通も不便で、週末に湧いて出る観光客は、いったいどうやって

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(短編ふう)忘れられない美術教師の言葉

(短編ふう)忘れられない美術教師の言葉

校庭は、傾きかけた午後の陽で埃っぽいクリーム色をしている。
生徒たちは自分の椅子を持って教室へ引き上げ、見学にきていた家族たちも大方帰えり終えた。
役員の親と教師、運営の生徒たちが、残りの後片付けをしている。
運動会の片づけが凡そ終わろうとしていた。
朝礼台前でマイクの後始末をしていた生徒のひとりが遠くから名前を呼ばれた。呼んだ教師の指さす方を見上げて、了解の合図をして校舎の中に走っていく。
見上

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(短編ふう)猫空

(短編ふう)猫空

山の上の冴えた空気を吸って、よいお茶はできる。

床が透明になったゴンドラに揺られ、鬱蒼とした森の中を上った先に、その茶館はあった。
市を一望する山の上。
市の人たちは、この辺りを「猫の空」と呼ぶ。由来は知らない。

一式のお茶を運んできてくれた彼女は、大学で日本語を専攻しているといったが、その日本語は、かなりたどたどしかった。
とても太っている。
彼女は丸みのある手は、年齢より幼くみえた。
茶館

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(短編ふう)ぽっぽ運送

(短編ふう)ぽっぽ運送

「へーい。ねぇーちゃん」
「?」
晴天。
今日も早番でパート出勤した。
ねぇちゃん、と言われる歳でもないんだけどね、と思いつつ、まだ、ガランとした事務所を見回して、カウンターへ立つ。
チンピラ風の小柄な優男が不在通知らしい紙切れを宙でひらひらさせていた。
「少々お待ちください」
いつの荷物かしらん。日が経ってしまっているとあっちの倉庫にいってしまっているので見つかるか不安だ。。。。

「あ~。今。

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(短編ふう)ハイヒール

(短編ふう)ハイヒール

冬の冷えた青空へ向かって、ピンの細いハイヒールが地下鉄の出口を昇っていく。

ハイヒールは、ぼくの中でひとりの先輩につながっている。

最初に配属された営業所で面倒をみてくれた先輩だ。
ガッツリした体格で濃い髭剃りあとが目立つ。
パンチパーマの強面だった。
ところが、優しい人柄で、Iちゃん、Iちゃん、と親しまれていた。
小型のメモ帳を胸ポケットに入れて、ささいなことさえ始終メモにとっていた。
用件

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