俳句「逝く春」

蜜蜂の骸抱きて春爛漫

 若い頃から、なぜか春に死のイメージを重ねてしまう。学生の頃、仲間たちとつくった同人誌にも「葬春」と題した15編の三行詩を書いている。
   虚音
春の死臭のする部屋で
彼女を抱けば
冬の白骨の折れる音がする 
 と、いうようないま読めば、イメージだけで作った、それこそ「虚」の詩ばかりだが、虚勢や屈折のある若い頃でなければ書けないものだとも思う。
 いまはもう虚勢も屈折もないが、それでも何かしら「とり残されるもの」に意識が向いてしまうところは、昔と変わらない。

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