VORTEX ヴォルテックスを観て

おはようございます
明けましておめでとうございます
年明けてからずっと寝込んでいたので、世界がずっと先にいってしまったような感覚があります
人間は起伏のない日常に境目を作るのが上手いですね
たった数日で世の中から取り残された気がします

映画を観ました
感想を書いておこうと思います
少し前なので忘れているところもあると思います

ここからはネタバレを含みます

映画を観終わった時、正直あんまり良くなかったなと思いました
ストーリーはシンプルで、老夫婦の片方がアルツハイマーを発症したことで穏やかな生活が破滅に向かっていくというものです
先週、地元の人間と話した時、彼の祖母がアルツハイマーになったという話を聞いていましたし、別の人も祖父がアルツハイマーになったことで祖父母2人で暮らしていた生活が滅茶苦茶になっているという話を聞いたばっかりだったので、ありきたりな話だったなという感情があったからです
むしろ、地元の人々の話は自分が幼い頃に学校からの帰り道にニコニコと挨拶してくれていた人が今は何も分からなくなって、真夜中に糞尿まみれで立ちつくしているという話を聞いていた分、映画は美化されているなという風にさえ最初は思っていました
記憶を維持できない人間に対して、初めは持っていた尊敬が持てなくなって、昔は好きだったのに大切な人だったのに、早く死んで欲しいとさえ思うようになるという薄暗い熱みたいなものは映画の中にはなくて、始まりの悲しさだけが流れているように思えました

ストーリーがあまりにもリアルだったから現実とずっと比較してしまったのだなと気がついたのはしばらく経ってからでした
映画は146分ありました
どこかで見た記事に、音楽も映画もユーザーは始まってすぐに続きを体験するか判断する時代になってきているから、ストーリーが序盤から大きく動くと書いてあった記憶があります
でも、この映画はずっとゆっくり物語が展開していきます
3分くらい老人がご飯を咀嚼し続けるシーンがあったような記憶さえあります
誰も話さず何も起きずノーカットで日常が描かれるシーンが印象的でした
この人たちは生きていると強く思ったから、自分の人生や知人の人生が何度もよぎったのでしょう

フランスの映画は日本人にはあわないと人から言われたことがあります
言われたのはずいぶん昔だったから、今だと主語が大きい!と思うのでしょうけれど、当時はブラッド・ピット好きだった母の影響で映画といえばアメリカ!みたいに思っていたので、そういうものなんだなくらいに感じていました
なんとなくあの時の言葉が蘇りました
ヴォルテックスはフランスの映画みたいです
冒頭、スタッフロールから映画が始まって、変わった演出だなと思っていましたが、その代わりにエンドロールがありませんでした
最後は静かに老夫婦が暮らしていた部屋の写真が切り替わっていき、人がいなくなり全てが片付けられた部屋のカットで映画は突然終わります
作中で死は突然訪れて、あれほどもがいていた人も死体安置所で黙って横たわって人々と対面することになります
残された人に希望はなく、ただ爽やかな別れのみがあります

何事も終わり良ければすべて良しという言葉があります
僕もそうだなと思っていましたけれど、終わりが良くなければ全て良くないのでしょうか
イコールではありませんけど、頑張って生きてきた人間の最期は寂しいものではないといいなと思います
死にたいと口にはすれど、孤独に死んでいきたいわけではないというのは勝手で困りますね

作中では主人公である老夫婦は老夫婦であるところからスタートしています
これまでの人生の片鱗を至るところに感じさせながらも若かった頃について明確に深い描写があるのは葬式の中のスライドショーのわずか数分でした
目の前の人にこれまでの人生があり、誰かを愛して誰かに愛されてきたという事実を僕は正しく認識できていないのかもしれないなと思いました
当たり前なんですけど、80年という人間の年齢が24時間を365日繰り返して、それを80回やってきたという事実の重さを深刻に受け止めきれていないなと感じます
受け止めたら潰れてしまう自信があるからかもしれません

人生観や死生観、芸術が日常の中にあるか、映画という概念に対する美学の違いが、日本で育った自分がこの映画を見た時に感じる違和感であったり、特別感に繋がっているのでしょうか
振り返って良い映画だったなと思います
人生ってなんなのだろうなと、見た日から正解のない疑問と暮らしています

感想を書いている途中で眠ってしまったので、途中から別の人間が引き継いだみたいな文章になってしまいました
小説を書く人は自分の連続性をどのように捉えているのか気になります

では、また

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