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イタリア映画祭2024感想『C’è ancora domani 』

ゴールデンウィークの最終日にイタリア映画祭に行って参りました。
この前読んで感想を書いた『美しい夏』が映画化されていたので本当はそれを見に行きたかったのですが、上映時間に予定が合わず『C’è ancora domani (まだ明日がある)』という作品を見に行きました。なにやら本国イタリアでは2023年の興行収入トップだったとか。

会場の立て看板。
真ん中のきりっとした女性が主人公デリア。

途中までは物語の本筋に触れずに感想を書いていきますが、ネタバレ有りの見出し以降については未視聴の方は自己責任でお願いします🤲。
とても良い作品だったので、関西在住の方は先に映画を見てみるのをお勧めします。大阪では来週あるようなので。

ざっくり感想

一言で感想にすると、普通に面白くてびっくりしました。イタリア映画は時代背景の知識や文化的な興味がないとあまり面白くないと感じていたため友人を誘わずに来たのですが、随所に笑わせにくるシーンがあり、それが日本人のセンスからしても面白くて会場に笑い声が漏れていました。
予想される筋書きを裏切ったり、間を利用したり、おとぼけ要素を出したりするような日本のコントにも通じる笑いで面白かったです。

個人的に1番好みのコメディシーンは主人公含む奥様方の口喧嘩のシーンで、そこにおじいちゃんが「まあまあ、堪えて堪えて」と仲裁に入ろうとするのですが、そこに近くでサッカーをしていた子供たちの方からボールが転がってきます。
主人公がボールを拾って頭上に投げるとおじいちゃんが「ボールだ!(palla!)」と言って犬のように走っていき奥様方の口論が続く、というシーンがありました。

「男っていくつになってもボール遊びが好きなんでしょ?」といわんばかりのシーンですが、「ボールだ!」のカットは一瞬で、そのあとピントのボヤけた背景で杖をついていたはずのおじいちゃんが元気にサッカーをしているというテンポの良さ、くどくない感じが刺さりました(笑)。

ところでこの「男はサッカー」のような男女のステレオタイプは物語の本筋にも絡んできます。主人公デリアの夫は現代風に言うところの「モラハラ」「DV男」一昔前なら「亭主関白」にあたる人物で、主人公に感情移入していると心がきゅっとなりっぱなしでした。だからこそコメディパートでの感情の揺れ幅が大きくて楽しかったという側面はあると思います。

この男女のステレオタイプが出ているというのも説教くさくなくてすんなりと受け入れられましたね。途中の主人公の受難とコメディに揺さぶられて忘れがちですが、序盤のシーンでこの映画が第二次世界大戦直後の中部イタリアであることが明かされます。実はこの映画は現代イタリア史におけるある一大イベントの瞬間を描いており、物語の最後で忘れた頃にこの時代設定が活きてきて「はぁ〜ん」と心の中で関心してしまいました。

ちなみにタイトルの「明日がある」という台詞は終盤で出てくるのですが、漠然と生きてれば大丈夫だという意味ではなく、その「明日」である特定の日付に特別な意味があります。

これ以上物語のプロットに触れずに語るのは厳しいのでここからはネタバレ覚悟でお願いします。

ネタバレ注意:物語の構成について

映画なり漫画なり小説なりには多かれ少なかれ「伏線」というものが存在します。本映画にも伏線らしきものは用意されていたのですが、その張り方が雑なのか上手いのか、「もうすぐ何か起こる」ことがわかっても「何が起こるのか」わからず、また思ったよりもいきなり起こるということが多くて見ていて飽きませんでした。

具体的な話をする前に物語のあらすじを書いてしまいます。

主人公デリアは亭主関白な夫の暴言や暴力に耐えつつ家事も仕事も掛け持ちして長女・長男・次男の3人の子供を育てています。デリアには夫とは別に付き合いの長い男友達がおり、彼にいつも考え直してくれないかと持ち掛けられています。また、家族の写真を拾ってあげた恩のために米兵からいつでも助けになると言われ続けます。このように支配の日常を抜け出すチャンスはあれど、子供たち、特に娘のために毎日我慢の生活を送っていました。
そんなある日、娘が彼氏からプロポーズを持ち掛けられ、いわゆる成金の家の息子と結婚出来れば安泰だと一家は大喜びです。自分の夫と違って誠実そうな娘の彼氏にデリダも安心しています。娘はデリアに「お母さんのような暮らしは絶対に嫌」「お母さんもお父さんなんか捨てて出て行ってしまわないの?」と問いかけます。
しかし、一波乱はあれど婚約が決まった、というところで娘の彼氏の様子に陰りが見え始め、デリアは昔の夫の姿を重ねてしまいます。
デリアはなんやかんやあって娘の結婚を阻止し、自分も男友達がミラノへ出稼ぎに行くのに付いていくことで家を出ようと画策します。
しかしなんやかんやあってミラノへ行くことは失敗するのですが、そこで奥様仲間からタイトルの「まだ明日がある」と言われるのでした。

オカモトによるあらすじ

ここで「なんやかんや」とぼかしている部分が見どころなのですが、伏線の張り方の面白さが最もよく出ていたのが「娘の結婚を阻止する」ところです。
このように聞くと綿密に計画を練っているようすなんかが描写されているのかと思われるかもしれませんが、そんな様子は一切ありません。

娘の結婚相手のヤバさに気づいたところで夫と義父の会話を耳にします。
「あの家にとつげば俺たちも安泰だ。」
「店が成功しただけの田舎者だろう。お高くとまっても所詮は田舎者だ。」
「ただあの店さえあればみんな得する。」(文章はうろ覚え)
このシーンに続いて思わせぶりなデリアが映ったあと…

店が爆発します(唐突)。

ここで例の米兵が協力してくれたことがわかるのですが、それ以前については米兵の好意を断る様子しかなく、本当に唐突なのです。
「なるほどな~」という気持ちと「いやなんでやねん!」という気持ちがぶつかり合って反応に困りました。それが面白くてたまらなかったのですが。

最後のシーンでは男友達のミラノ行きに間に合わせようと頑張るのですが、いろいろ災難があり、奥様仲間に「まだ明日があるさ」と言われます(なぜ明日?)。
そして次の日も同様におめかししてなんとか夫の目をかいくぐって出かけるのですが、私はてっきり一日遅れでミラノへと追いかけるものだと思って見ていました。
おしゃれな女性たちの列に混ざって「書類はお持ちですか~」と叫ぶ誘導係について行き、何かの紙を受付で渡します。(勘のいい人はここで気づくのかも知れませんが、僕は空港かな?とか思っていました。)
デリアが玄関に落としてしまった紙を見て激怒した夫が追いかけてくるのですが、建物から出たところで不幸にも夫と鉢合わせてしまいます。
これはやばいか…と思いきや、なぜかデリアは周囲の女性と一緒に誇らしげに夫を見下ろし、夫は悔しそうに帰っていきます(???)。

その真相がエピローグでしっかりと明かされるのですが、実はこの日は1946年3月10日を描いているのでした。気になる方は「イタリア 1946年3月10日」で検索してみてください。

イタリア社会を知る手掛かりとして

僕はあまり映画を見ない人で、特に娯楽として映画館に行くことはほとんどありません。YouTubeとかで満足しています。
そのため、この映画鑑賞も普段文学を通して読んでいるイタリアの風俗や文化、社会などを視覚的に見ようという勉強的な側面が大きいものでした。ただ想像以上に面白くて2時間があっという間にすぎてしまいましたが。

特に感じた要素としては「ファシズム時代の名残」「男女の格差」「ローマ訛り」の三つです。

ファシズム時代の名残については個人的に最も興味のある部分なのですが、一番印象に残った会話が以下の通りです。

「ファシストの時はよかった。あのころは金回りがよかった。」
「でもそれで沢山金を貸したまま返って来ずに貧乏暮らしでしょう。」

庶民レベルではファシズム期を楽しかったと回想する声があるのはなんとなく知っていたのですが、それは実態のないものというか、日本のバブル期のような感じなのでしょうか。ツケが回ってくるところまでセットであるはずなのに良かった面だけ切り取って回想してしまうということなのでしょうか。

また、通りの塀に「サヴォイア共和国万歳!」と書かれた落書きが3回ほど映ります。これも印象的でした。
そもそも僕の知っている範囲では「サヴォイア共和国」は歴史上存在しません。サヴォイア公国(王国)なら存在するのですが、1800年代後半のイタリア統一の発端となった国ですね。サヴォイアから始まった統一の流れが他の南部からの運動とも合流してイタリア王国が成立しています。
戦後イタリアといえばナチスの占領からの解放をめざしたパルチザンが思い浮かびますが、おそらく「サヴォイア共和国万歳!」というのも本来のイタリアという国を取り返せというパルチザンのスローガンだったのでしょう。
しかし、この映画の題材は1946年の3月であり、パルチザンが終わってイタリア全土が解放された1945年4月から一年もたっていないのに古びた落書きがあるのみというのは意外でした。もっとナショナリスト的な人物や会話があってもいいのではと思いましたが、パルチザンという運動もあくまで一部の思想・知識人のものであり、その日その日を食いつなぐのに精いっぱいだった人々もたくさんいたということでしょうか。

「男女の格差」についてはこの物語のメインテーマの一つであり、すでに大分触れています。しかし随所に具体的な格差を描いたシーンもあったので紹介します。

まずデリアの夫が娘に「女は中等学校になど行かなくていい。専門学校をださせてやっただけ感謝しろ。」という場面。また、デリアの職場で働き始めた男性が「私は日当40リラしかもらっていないんですよ。」というシーン。戦時中から3年も働き続けているデリアの日当は30リラです。
このような現状をありありと認識させたうえで、最後はかなり爽快感があるものとなっています。

ローマ訛りについては作中ずっとでてきますが、
「Dove vado?(どこにいけばいいの?)」→「 Dov'ado?」のような訛りが聞き取れて少し感動しました。
ちなみにローマが舞台なのでローマ訛りと書いていますが、私にはどこの地方の方言・訛りがどういうものかという知識は全くありません。

また、言葉の問題としてお金持ちと貧乏の育ちの差が言葉にもでているのが面白い要素でした。僕は丁寧な言葉に「cortesamente」、汚い言葉には「cazzo」が頻繁に入っているのだけ聞き取れました。
その言葉の優劣をしっかり字幕日本語に表せているのはさすが岡本太郎先生といったところですね。

おわりに

普段映画をみることがなく、ましてや映画の感想文を書いたのは初めてですが、それでもかなりの文量を書き上げてしまいました。普段の読書感想文ではネタバレに配慮しているのでそれを解禁したのも大きいですが、それでも4000文字を超えたのは驚きです。

僕の中で最近の日本の映画といえばアニメ関連かジブリの印象しかないのですが、なにかいい邦画でもあればこれを機に見てみようかと思いました。
今度は友人を誘って。


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