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「つまらない」と言われる勇気。


最近の自分がダメダメで、なにがダメダメかというと、「つまらない」という言葉を恐れている。noteでもそれ以外でも、自分の書いたものに対して「な~んだ、つまらないの!」と思われることが極端にこわくて、つまらないと思われるくらいなら出さないでおきたい、「ちょっと今忙しいんで」ってことにして家の中にひっそり隠れてスイカゲームをしていたい、そんなモードに入っている。言い訳はもう3つくらい思いついた。ださい。ダメダメだ。

わたしは知っている。上手になろうと思ったら書き続けるしかない。人に見てもらい続けるしかない。そして、それを仕事にするのなら、「おもしろくないね」「つまらないね」「これいまいちだね」って言われるこわさから逃げないで、ときには読者に届かない経験を積み重ねるしかない。過去だってそうやってちょっとずつ手がかりを掴みながら進んできたはず。

20代の頃はずっと会社員で、「思ったより読者に届かなかった」という苦い経験を何度もした。これはいけると手ごたえのあるものに限ってこけて、自分のセンスを疑い、同僚と自分を比べて悩んだり落ち込んだり人を妬んだりもした。でも思えば、わたしのいいところは、一度失敗したら同じこけ方を二度目はしないところだったと思う。こういうものは受け入れられる、こういうものは嫌われる、こういうのは面白くて、こういうのはつまらない。それを経験として蓄積して、次につなげられるところだと思う。


今年、noteとは関係ない分野で(望月の名ではなく)本を出すことになり、今準備を進めている。この機会が掴めたきっかけは、ざっくり言うとコンテストで賞をもらったことだった。それを機に出版の話につながった。正直だいぶ運もよかったと思う。

受賞して出版!だなんて書くとすごい人みたいだけど、実際は全然違う。落選のほうがよっぽど多い。今思えば本当につまらないものを、それでも恥ずかしがらずに人に見てもらっていたし、コンテストに応募していた。こっそり自分ひとりで完結するのではなくて、人に見てもらうようになって、応募するようになって、道が開けた。もしも過去のわたしが、つまらないと認定されることを恐れて世に出さなかったら、なんにも始まっていなかった。

「おもしろくないね」「つまらないね」「これいまいちだね」って言われることから逃げなかったから、その先に初めてひとつ、おもしろいものができたんだと思う。


なのに最近のわたしってば、何を勘違いしちゃってるんだろう。noteは一年前の何倍もの人に読んでもらえるようになって、もう一方の創作活動では自分にとって恐れ多い賞とチャンスをもらったことで、急に失敗しちゃいけないような気になって「つまらないって言われるのがこわい」だなんて。生意気だ!自分にはおもしろいもの、優れたものを生み出せる才能でもあると思っているんだろうか。調子に乗るのは100年早いわ。

わたしはまだまだ「つまらない」って言われなきゃいけない。落選しなきゃいけない。「くう…なぜこれが受け入れられないんだ…」って叩きのめされなきゃいけない。その勇気を持ち続けることこそが、わたしを新しい世界に連れて行ってくれるのだと思う。


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おわり

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