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寝られなくても、たのしくなくてもいいや。


昨夜は睡眠の体勢に入ってからすぐに寝つけた。朝まで起きずにぐっすりと眠って、目覚めたときに「あ~!わたし寝たー!」と力がみなぎってくるなつかしい感覚があった。何日ぶりだろう。

昨年あたりからかな。睡眠第一、寝るの大好きだったわたしが、寝ることに苦戦する日が増えた。わたしが寝ようとすると、これから起こるかもしれないことへの恐怖や、過去にやらかしてしまったことへの恥ずかしさや悲しさなんかがむくむくと起き上がってきて、眠ることをじゃましてくる。寝たいのに、寝付くまで何時間もかかる。かと思えば、まだあたらしい朝がはじまる前に目が覚めてしまう。今まで知らなかった夜の音。夜の色。夜の空。眠れない夜は、こんなにもおそろしくて、心細くて、孤独なのか。はやく朝になってほしい、ずっと朝が来ないでほしい。矛盾した気持ちをひとりで行ったり来たりした。ほんとうに、焦った。

寝られなくなった頃、わたしは寝るためのあらゆる努力をした。朝日を浴びるだとか、何時間前までにお風呂に入るだとか、食べ物、飲み物、温度、ヨガだとか。いいと聞けばなんだって取り入れた。それでも、あまり改善しなかった。結局、もうお手上げです…と駆け込んだ病院でもらった薬に助けられて眠った夜もある。何も努力せずにすとんと眠れたころの自分がまばゆかった。

今は、この頃に比べるとずいぶん心の健康を取り戻したけれど、最近また、寝付けない日が続いた。眠れない日は、今もしんどい。でも、以前と違うのは、眠れない日も以前ほど焦らなくなったことだ。

ひとつのきっかけは、昨年病院で受けたカウンセリングでのこと。以前にもnoteに書いたことがあるのだけど、「何をしてもたのしくない」と嘆くわたしに、カウンセラーさんが、「別にたのしくなくてもいいですよね。たのしくなくちゃいけないってことはないですよね」と言ったのだった。

わたしは完璧主義というか思い込みの激しいところがあって、毎日たのしくなくちゃいけない。元気じゃなくちゃいけない。しっかり眠れてなきゃいけない。と、自分を縛り付けていた。だから、たのしいと思えなかったり充実していなかったりすると落ち込む。体のどこかが痛かったり肩こりがひどかったりして動けないと自分はだめだと思う。眠れないと、これはよくないことなんだと思って焦る。そんなことを毎日繰り返していた。

その思い込みをすこしずつ手放せるようになってきて、今はちょっと心身が軽くなった。眠れない日の焦りがやわらいだ。自分以外の人類は皆、たのしそうで、充実していて、元気で、よく眠れているのだと思っていたけど、友人に不調のことを話すと、「わたしは毎日薬飲んでピップエレキバン貼らないと肩こりと頭痛がやばい!」と笑いながら教えてくれたし、またある友人は「全然寝れなかった~今から仕事だ〜」と泣き顔の絵文字と一緒にSNSにつぶやいていた。

誰しも眠れない夜があって、痛みを抱えていて。完璧ではない毎日を受け入れながら暮らしているのかもしれない。今は、すぐには寝られない日もあるけど、寝られる日もある。あまり寝られなかった次の日は、それなりでがんばる。たのしくない日が何日かあったとしても、またその分笑える日があるだろうと思う。もし、どうしても耐えがたいと思うような事態、眠れない日がずっと続くような事態になったりしたら、また病院にだって薬にだって頼ってもいい。

そりゃ毎日健康ハッピー!で生きられたらどんなにいいかって思うけど。そんなの、わたしには最初から無理だったんだと思う。全然器用には生きられない。夫を見ていると、毎日たのしそうで、ケラケラ笑って、嫌なことはすぐに忘れて毎日ぐっすり眠って、うらやましいなあと思うこともあるけれど、きっとこの人はこの人なりに抱えて生きているし、この人が乗り越えてきたことの大きさをわたしは知っている。

すこしくらい、寝られない日があっても、たのしくない日があってもいいや。すこしくらいはね。必要以上に焦らなくていい。完璧な睡眠を、完璧な毎日を求めるのはやめようと思う。


おわり

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