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貧しかった大学時代から、ずっと。


短いエッセイをいくつか書きました。
日記のようなものです。
ひとつだけでもどうぞ。



■そろそろ夫に弟子入りするときか

泣きだしたくなるほどではないが、精神的なゆるい不調が続いている。今、手元にあるいろんなことを漠然とプレッシャーに感じて、あれもこれも不安。こんなときは最強メンタルを持つ夫に相談してみようと、「〇〇くん(夫)は、ここ数年会社で前よりも責任のある仕事や立場を任されるようになってきてるけど、そういうプレッシャーとかにはどうやって向き合ってるの?」とストレートに問うてみたところ、「え!俺、そもそも責任のある仕事や立場だと思ったこと全然ない!」と返って来てもはや異次元。この人に弟子入りして、本気で心配性を克服したい。


■貧しかった大学時代から、ずっと

近所に、どうか一生なくならないで欲しい、もし閉店するならその前にバイトとして潜り込んでレシピを教えてもらいたい、と思うほど好きな唐揚げ屋があり、そこの甘辛ダレにつけたごろんとでかい唐揚げを四つ、はあ〜たまらん…と頬張る瞬間が、わたしにとって至福である。カロリーが気になるのと、頻繁に食べてはおいしさのありがたみが減ると思い、月一回程度にとどめていて、それが今日だった。大学生の頃、訳あってわたしはちょっと貧しかった。自分にできることはまじめに勉強して授業料を免除してもらい、アルバイトをして少しでもお金を稼ぐことしかない。贅沢とはほど遠い暮らしの小さなご褒美が、大好きな店の唐揚げだった。今食べているお店とは違うけど、これまた本当においしくて、授業とアルバイトでへろへろに疲れた体に染みた。あの頃と何ひとつ変わっていない。就職してそれなりの収入が得られるようになってからも、結婚して二馬力になってからも、フリーランスになって人生最高月収を更新したときも、働けなくなって主婦って言いながらほとんどひきこもっていたときも、ずっと。好きな店の唐揚げをお腹いっぱい食べることがご褒美だと思える、そういう味覚で、金銭感覚で、暮らし続けている。心配性で、未来のことを考えてはすぐ心の地盤がぐらつくけど、幸せを感じる沸点が低いことは「まあこの先何かあってもなんとかやっていけるだろう。唐揚げで満足できるんだから」と思えるささやかな希望になっている。

■光る君へ

先日の放送の中で出てきた「書くことで己の悲しみを救った」という言葉。今、noteを通して令和の人がしていることを、1000年以上も前、平安時代を生きた人もまたしていたのかもしれないと思うと、ぐっときて、あまりにぐっときて、すぐにnoteのを書く画面をひらいた。


■上品な人になりたい

クレジットカードを入れた革のカードケースを、無くしてしまった。最後に使ったスーパーに行って問い合わせると、落とし物として届いていた。優しい世界…。脳内に『小さな世界』の大合唱が流れ始め、感動しながら受け取りの手つづきをしていたとき、「中身の確認のために中を見せていただきました」と言われる。恥。ケースがはちきれそうなくらいパンパンにレシートを入れていたのがすさまじく恥ずかしい。以前『「育ちがいい人」だけが知っていること』という本が流行ったとき、何ページかめくって、自分の品のなさを突きつけられるような気がして買わなかったことがあったのだけど、やっぱり読んだ方がいいだろうか。


■やっぱり弟子入り

選択に迷うことがあり、夫に「〇〇くんは、なにを生きがいにして生きているの?」と聞いたら、「生きがいとか考えてな〜い。生きがいとか考えてる時点で〇〇ちゃんは大変そうだね!」と一刀両断され、やはりわたしはこの人から学べることがまだまだあるように思う。


おわり


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