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洋楽タイトル考

 もう随分前のことで、ラジオの音楽番組で聞いたのか音楽雑誌で読んだのか記憶が定かではないのだが、そこで語られていたのは、日本のレコード会社の担当者が洋楽のタイトルを日本語に置き換える際、何を拠り所とするか、ということだった。挙げられていたのは、1)原題、2)歌詞、3)曲調、の3点である。僕自身の理解に基づいてこれらの3点を少し説明するなら、次のようになる。
 1)は当り前のよう見える。が、ことはさほど単純ではない。多くの場合、原題を直訳したのでは、こなれた日本語にはならない。意訳をするしかないのだが、原題の持ち味やニュアンスをうまく残さねばならない。だから、意訳にあたっては、歌詞のチェックが欠かせない。但し、この1)の場合は、歌詞はあくまでも原題意訳の為の材料である。
 これに対して2)では、歌詞が邦題と直結する。原題を一旦横に置き、歌詞を解釈した上で、その内容に相応しい日本語タイトルを創り出す。従ってこのケースでは、邦題は元のタイトルとは意味の上では別物となる。
 最後の3)は、曲が与えるイメージから邦題を決める、というやり方である。これは、インストゥルメンタルの曲に多々見受けられるが、歌詞があってもこの方法が採用されることがある。
 たかが歌のタイトルと侮ってはいけない。インパクトがありアピール度の高いタイトルやセンスの良さが光るタイトルは、間違いなくその曲のヒットに貢献する。考えてみれば、レコード会社の担当者達は、年間何百枚とリリースされる洋楽シングルに、次々と日本語のタイトルを与えねばならなかったはずだ。担当者の力量、特に語彙力や言葉のセンスが問われる仕事である。更には、閃きも必要だったろう。僕が洋楽に親しんだ1960年代70年代には、そんな担当者達が捻り出した傑作タイトルが多かったように思う。
 それらの秀でた邦題を含め、当時の洋楽のタイトルなら、100を超える数を、僕は容易に思い出せる。そうした邦題の幾つかを、前述の3ッのカテゴリーに当てはめてみると、これがなかなか楽しい作業であることに気付く。ならば、と思い立ったのが、この 「洋楽タイトル考」 である。僕としては、カテゴリーをもう少し増やして、日本語タイトルを次の6ッに分類してみたい。すなわち
A.原題をそのままカタカナ表記して邦題とする。                B.原題を直訳して邦題とする。                        C.原題に添うが、意訳して邦題とする。                    D.原題からはかけ離れるが、歌詞の内容から邦題を創り出す。          E.原題とも歌詞とも関係はないが、曲のイメージを邦題とする。         F.根拠不明、出所不明、あるいはその他。
 以下、各項の冒頭に列挙する対象曲については、曲名-邦題及び原題/アーティスト名/日本でのヒット年、の順に記している。また、この考察では、インストゥルメンタルの曲は取り上げていない。

<分類A>
A-1. イエスタデイ/Yesterday ザ・ビートルズ 1965年            A-2. サティスファクション/(I Can’t Get No) Satisfaction ザ・ローリング・     ストーンズ 1965年

  統計がないので正確に言うことはできないものの、洋楽シングルの2/3程度には、元々のタイトルをそのままカタカナで表記した邦題が付けられているのではないだろうか。これはある意味無難ではあるが、地名とか人名は別として安易過ぎる方法である。とは言え、大半は洋楽と言うことで、原題のカタカナ表記にさして違和感を覚えないのも事実だ。もっとも、単語の羅列にしか見えなかったり、必ずしも正確にカタカナ表記ができないが故に意味が曖昧になるタイトルも散見される。が、中にはごく稀に、原題のカタカナ表記の方が邦題として相応しいケース、もっと言うなら、カタカナ表記のタイトルでなければならないケースもある。上に掲げた余りにも有名な2曲が、その好例である。
 A-1は、「イエスタデイ」 とのカタカナ表記がタイトルでなければならない。この曲はあくまでも 「イエスタデイ」 であって、「昨日(きのう)」 でも 「昨日(きのう)に戻りたい」 でもないのは明らかだ。「イエスタデイ」 以外に名付けようのない曲なのである。
 ビートルズの曲では、これ以外に 「ヘルプ!」(“Help!” 1965年)を挙げておきたい。この曲は、「助けて!」であってはならない。
 A-2も同様に、タイトルとしては 「サティスファクション」 という英語のカタカナ表記しかない。「満足」 「不満」 「いら立ちの日々」 と日本語は浮かんでくるが、「サティスファクション」 に優るものはない。インパクトが違うのである。
 逆に、原題通りのカタカナ表記にすべきだったのに、冴えない日本語をタイトルにしてしまった例もある。エルトン・ジョン1971年のヒット「僕の歌は君の歌」(“Your Song”)。このセンスに欠ける日本語訳はいただけない。この曲はあくまでも 「ユア・ソング」 であるべきだった。
 さて、「必ずしも正確にカタカナ表記ができないが故に意味が曖昧になるタイトル」 と上で書いたが、この項の最後にその例を一つ挙げておきたい。
 紅一点の女性ドラマーがリード・ボーカルでもあったハニーカムズの 「ハヴ・アイ・ザ・ライト」(“Have I The Right?” 1965年)。通常の日本人は、このカタカナ表記を見て 「私は灯りを持っていますか?」 と解釈してしまうだろう。中学高校時代を通して、僕もずっとそう思っていた。我々は”R”と”L”の区別ができないのである。

<分類B>
B-1. 黒くぬれ/Paint It Black ザ・ローリング・ストーンズ 1966年        B-2. 愛なき世界/A World Without Love ピーター&ゴードン 1965年      B-3. ノックは3回/Knock Three Times ドーン 1971年            B-4. 恋人と別れる50の方法/50 Ways To Leave Your Lover ポール・サイモン 1976年                                  B-5. 雨を見たかい/Have You Ever Seen The Rain? クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル 1971年

 直訳の邦題は、思いの他少ないようである。この考察の冒頭で述べたように、直訳では、耳に馴染まない日本語、すわりの悪い日本語になることが多いからだろう。それでも中には、直訳が邦題としてピタッとはまっている曲もある。例えば上掲の5曲。若干の違和感があるB-5を除いて、直訳がすんなりと邦題として収まっている。
 B-1の 「黒くぬれ」 という直訳日本語の破壊力はどうだ! この攻撃的な楽曲の邦題としてこの直訳はまさに相応しいだけでなく、ローリング・ストーンズというバンドのイメージとも重なり合う。さらに、5音節の命令形であることが、この邦題に力強さを与えている。実に効果的だ。ローリング・ストーンズには、この 「黒くぬれ」の前にも、「19回目の神経衰弱」(“19th Nervous Breakdown” 1966年)というヒットがあるが、この邦題も成功した直訳の一つに数えられるだろう。
 邦題としてはこの直訳しかないと思わせるのが、B-2 「愛なき世界」 である。こちらは7音節。日本語では、5音節と7音節の言葉に安定感がある。この安定感、言い換えるなら、すわりの良さは、タイトル設定にあたって満たすべき条件の一つだろう。だから、「愛なき世界」 という直訳は、意味の上からも音声的にも、洋楽邦題の一つの理想形と言えるかもしれない。
 B-3 「ノックは3回」 は、動詞の命令形を主語に置き換えたところがミソ。ちょっとした発想の転換である。
 直訳が長くても邦題として納得できる例が、B-4である。原題の8音節に対して、「恋人と別れる50の方法」 は17音節。が、冗長感はない。五七五でうまくまとめられ、リズムがあるからだ。ポール・サイモンには、この曲のヒットから遡ること4年、1972年に 「母と子の絆」(“Mother And Child Reunion”)がある。”Reunion”(再会、再結集)を「絆」とやや意訳しているものの、直訳の部類に入れてもよい邦題だろう。この邦題、僕は気に入っている。
 B-5に若干の違和感あり、と書いた。「雨を見たかい」 は、日本語の台詞としてはどこか不自然だからだ。特定の雨や特殊な雨のニュアンスを持たせたいなら、「その雨」 ないしは 「あの雨」 とせねばならない。この曲の歌詞を読んでみると、作者のジョン・フォガティは、”the rain” を象徴的な意味で使っているらしいことが見てとれる。ここは、「その雨を見たか?」 とでもすべきだったのではないだろうか。

<分類C>
C-1. 抱きしめたい/I Wanna Hold Your Hand ザ・ビートルズ 1964年      C-2. 素顔のままで/Just The Way You Are ビリー・ジョエル 1978年      C-3. ダンス天国/Land Of 1000 Dances ウィルソン・ピケット/ザ・ウォーカー・ブラザーズ 1966年                               C-4. 胸いっぱいの愛を/Whole Lotta Love レッド・ツェッぺリン 1969年    C-5. あの娘にご用心/A Must To Avoid ハーマンズ・ハーミッツ                   C-6. 気になる男/A Man Of Many Faces クリスティー 1971年         C-7. 夢に消えるジュリア/Julia Dream ピンク・フロイド 1971年

 このCと次のDに分類される邦題には、これは妙訳だ! と唸らされるものが多々ある。ここでは上記の7曲について、個々に考察してみたい。

C-1. 抱きしめたい/I Wanna Hold Your Hand
 これは実に大胆な意訳だ。”Hold your hand”を”hold you”に変えてしまった。挑戦的でもある。あの時代、まだおおっぴらには口にできなかった台詞を邦題として起用したのだから。「抱きしめたい」。ビートルズの日本での初シングルである。リリースは1964年2月。当時、イギリスに続いてアメリカでも爆発的な人気を獲得しつつあったビートルズは、強烈で挑発的な日本語がタイトルとなったこの曲で、日本デビューをした。「抱きしめたい」 という邦題には、レコード会社の担当者の自信・期待・思惑・戦略等多くの要素が詰まっていたのである。因みに、日本ではビートルズのシングル盤は独自リリースも含め、この年1964年13枚、翌65年には14枚と、驚異的な枚数が発売されている。

C-2. 素顔のままで/Just The Way You Are
 「君は君のままで、今の君のままでいて欲しい。普段着の君に僕は癒され、そしてそんな君を愛し続けるだろう」 と歌われるこの曲。だから、”Just the way you are” はまさに 「素顔のままで」 なのだ。これは、英語の教科書からは学べない優れた意訳だ、と僕は思っている。

C-3. ダンス天国/Land Of 1000 Dances
 この邦題はまさに閃きの産物ではないか。”Land of 1000 dances”を 「幾千のダンスの地」 などと直訳したのでは、余りにもぎこちない。ここはどうしても意訳が必要だ。担当者は頭を捻った。「ダンスが溢れる地」 しっくりこないなあ。「街をダンスで埋めつくせ!」 ちょっと違うなあ。で、天啓のように閃いたのが 「ダンス天国」 だった。担当者が原題の持つニュアンスを伝えて余りあるこの邦題に辿り着いたのは、こんな経緯だったのではないか、と僕は勝手に想像している。

C-4. 胸いっぱいの愛を/Whole Lotta Love
 ヤード・バーズの三代目ギタリストだったジミー・ペイジが、よりハードで前衛的なサウンドを求めて、1968年に新たに立ち上げたのがレッド・ツェッぺリンである。「胸いっぱいの愛を」 は、彼らの2枚目のアルバム 「レッド・ツェッペリンII」 からシングル・カットされた。度肝を抜く唱法、意表を衝くアレンジ、ぶれない大音響の演奏。ペイジが目指した新たなロックを象徴するような曲だ。だから、邦題の 「胸いっぱいの愛を」 は、意訳として的を射ているものの、曲のイメージと比して軟弱な印象すら与える。ただ、曲の終盤で、ロバート・プラントが咆哮する 「ラーーーーーーーブ」 は、胸いっぱいの愛の強烈な発露と聞こえなくもない。

C-5. あの娘にご用心/A Must To Avoid 
 この曲のおかげで僕は、”must”が名詞でもあることを知った。「必見」 「必需」 あるいは 「必需品」 との意味である。男の子達に魅力を振り撒いて虜にしていくあの娘には近付かない方がいい。”She’s a must to avoid” と”must”が名詞として使われている。どちらかと言うと、ロウ・ティーン受けのするイメージがあったハーマンズ・ハーミッツには、この意訳 「あの娘にご用心」 はぴったりだった。 

C-6. 気になる男/A Man Of Many Faces 
 “A Man Of Many Faces”を 「気になる男」 と意訳したセンス! 僕が英語の教師なら、最高点を与えるところだ。歌詞を読んでみると、「自分の中にはいろいろな表情(=性格)を持つ男がいるんだ」 と、やや内省的な内容のように解釈できる。「気になる男」 という日本語が持つニュアンスとはやや異なるようにも思えるが、それでもこれは、唸らされるタイトルではないだろうか。

C-7. 夢に消えるジュリア/Julia Dream 
 原題の”Julia”と”dream”を、「消える」 という動詞で効果的に繋いだ。この曲で、”Julia, dream, dreamboat queen”と歌われるジュリアは、少なくとも歌詞中ではどこにも消えてゆかない。が、夢とは消えるもの。この曲では、電子音を駆使した幽玄なサウンドが、はかなげなボ―カルのバックで常に流れている。そしてエンディングで、それが幻想的にフェイド・アウトしていくのだ。ジュリアも曲も 「消える」 のである。

<分類D>
D-1. 恋の一言/Something Stupid ナンシー&フランク・シナトラ 1967年     D-2. 明日なき世界/Eve Of Destruction バリー・マクガイアー 1965年     D-3. 朝日のない町/We’ve Gotta Get Out Of This Place ジ・アニマルズ 1965年                                Ⅾ-4. 恋はリズムにのせて/Music To Watch Girls By アンディ・ウィリアムズ 1967年                                  D-5. 黒い炎/Get It On チェイス 1971年                    D-6. 孤独の太陽/In My Room ザ・ウォーカー・ブラザーズ 1966年           D-7. 夜明けのない朝/I Woke Up This Morning テン・イヤーズ・アフター 1969年

 この項で検討したかった邦題は、実は上の7曲だけではない。僕のリストには、10を超える曲が候補として挙がっていたのだが、敢えてこれら7曲に絞り込んだ。

D-1. 恋の一言/Something Stupid 
 「恋の・・」 や 「愛の・・」 を冠せられた洋楽の邦題は数限りなくあるが、無理なくタイトルとして収まっているものは、さほど多くはない。そんな中で、この 「恋の一言」 は、この歌が言わんとするところを、まさに一言で伝えるかのような好タイトルである。一度歌詞に目を通してみて欲しい。「月並みな言葉で雰囲気を壊したくないけど、それでも言わせてくれ、”I love you”と」。”Something stupid”=”I love you”、つまりは 「恋の一言」 なのである。ナンシーもフランクも、この邦題を”stupid”とは決して言うまい。

D-2. 明日なき世界/Eve Of Destruction 
 これは、「世界は殺し合いや憎しみや矛盾に満ちているのに、君は関係ないと言うのか? 我々は破滅の前夜にいるわけじゃないと言い張るのか?」 と問う、P.F.スローン作のプロテスト・ソングである。だから、「明日なき世界」 はうまく歌詞の内容を捉えていると言えるだろう。高い評価を与えうる邦題の一つである。

D-3. 朝日のない町/We’ve Gotta Get Out Of This Place 
 アニマルズには、このシングルがリリースされる1年前に、「朝日のあたる家」(“A House Of The Rising Sun”)の世界的な大ヒットがある。だから担当者は、この新しいシングルの邦題にも、何とか「朝日」を入れたかった。日本のレコード会社がよく使った手法、タイトルのシリーズ化である。担当者は当然歌詞をチェックする。その歌詞中に、朝日ではないが、太陽が出てくるフレーズがある。”We’ve gotta get out of this place, where the sun refused to shine”。担当者はここに目をつけた。「太陽にすら見捨てられたようなこんな町からは、もう出て行こうぜ」。太陽が輝かない町、希望が見い出せない町。担当者の頭の中で言葉が繋がる。朝日が使えるじゃないか、希望の象徴として。こうして邦題 「朝日のない町」 が誕生したのだろうと、僕は推測している。

D-4. 恋はリズムにのせて/Music To Watch Girls By 
 アンディ・ウィリアムズには珍しいアップ・テンポのリズミカルな曲である。ビートの効いたブラスとドラムスのアメリアッチ風イントロが印象的だ。この曲調やアレンジから、「リズムにのる」というワードを、担当者はまず思いついたのではないか。リズムは、原題で使われている”music”にも通じるものがある。あとは歌詞の検討だ。「彼らは彼女らを見つめ、彼女らはその彼らを見つめ返し、その彼女らを彼らがまた見つめる。あちこちで出会いがあり、話がはずみ、恋の花が咲く。恋が世界を動かす。恋人達の吐息がメロディになる」。歌詞はこのように、恋を天真爛漫なまでに礼賛している。これでもう、邦題は決りだ。「恋はリズムにのせて」。1967年の春の陽光の下で、このシングルはリリースされたのである。

D-5. 黒い炎/Get It On 
 歌詞は、「君とやりたい」 と繰返す。しかも、夜も朝も、だ。メラメラと炎のように燃え盛る情欲。4本のトランペットが奏でる重層的で攻撃的なサウンドにのって、黒っぽいボーカルが疾走する。日本のレコード会社は、邦題を原題のままの「ゲット・イット・オン」としたかったようだが、同じ年1971年の初めにリリースされヒットした、T-レックスの「ゲット・イット・オン」(“Get It On”)との混同を避ける必要があった。だから、この 「黒い炎」 は苦肉の策の産物だったのかもしれない。

D-6. 孤独の太陽/In My Room 
 自室で(“in my room”)で一人、去って行った妻を虚しく待ちわびている男の悲嘆と孤独を、スコット・ウォーカーが声量豊かな低音で歌いあげる。だから、邦題中の「孤独」 は理解できる。が、歌詞のどこを探しても 「太陽」 は出てこない。この 「太陽」 が何を象徴するのかは不明でも、担当者の意図なら推し量れる。こ曲以前にウォーカー・ブラザーズには、「太陽はもう輝かない」(“The Sun Ain’t Gonna Shine Anymore”)のヒットがある。担当者の頭にあったのは、「太陽」 のシリーズ化ではなかったか。かくて、「孤独の太陽」 なる不可解な日本語タイトルが出来上がってしまったのである。

D-7. 夜明けのない朝/I Woke Up This Morning 
 1960年代後半、ロック・ミュージックの分野では、新たな潮流が支配的になりつつあった。既存の音楽の変革、あるいはそこからの脱却、またそこに収まり切らぬ創造的なサウンド等々。潮流の方向性は様々だったが、共通のワードは 「前衛」 だったと言えよう。当時、その路線上にあったロックは、ニュー・ロックとかアート・ロックと呼ばれた。テン・イヤーズ・アフターも、その傾向にあったグループの一つだった。テン・イヤーズ・アフターというグループ名自体が既に大いに前衛的であったが故に、”I woke up this morning” なる面白みに欠けるタイトルが付けられたブルージーでハードなこの曲に、担当者は何とか前衛性を象徴するような邦題を持ってきたかったに違いない。そして捻り出したのが、「夜明けのない朝」 という何とも哲学的な禅問答のような邦題だった。もっとも、歌われている内容たるや、何のことはない、「今朝オレが目覚めた時、オレの彼女はいなくなっていた」 との平凡極まりないものなのだが。あの頃我々は、歌詞などわからぬままに、日本語タイトルだけで前衛性を感じたつもりになっていたのかもしれない。

 この項を終えるにあたって、C,Dあるいは両者にまたがる分野の候補曲リストに挙がってはいたが、考察の対象としなかった曲を下記しておく。
-この胸のときめきを/You Don’t Have To Say You Love Me ダスティ・スプリングフィールド=1966年 エルビス・プレスリー=1971年        -長い夜/25 or 6 to 4 シカゴ 1970年                 -愛のプレリュード/We’ve Only Just Begun ザ・カーペンターズ 1970年  -傷心の日々/How Can You Mend A Broken Heart? ザ・ビー・ジーズ 1971年                                  -孤独の旅路/A Heart Of Gold ニール・ヤング 1972年           -うつろな愛/You’re So Vain カーリー・サイモン 1973年         -呪われた夜/One Of These Nights ジ・イーグルズ 1976年 

<分類E>
E-1. 霧の中の二人/As The Years Go By マッシュ・マッカーン 1970年   E-2. 暁の空中戦/Snoopy vs The Red Baron ザ・ロイヤル・ガーズメン 1967年                                 E-3. そよ風の誘惑/Have You Ever Been Mellow? オリビア・ニュートン=ジョン 1975年                             E-4. 天使のささやき/When Will I See You Again? ザ・スリー・ディグリーズ 1974年

 英語の歌を聞いて、その歌詞の全てを聞き取れる日本人はごく稀だろう。洋楽ファンであっても、結局のところ何を歌っているのかわからぬままに聞いていることが多い。だから日本では、曲調・歌声・演奏から想起されるイメージを基に、原題とも歌詞とも全く関係のない日本語タイトルを付ける、という手法が成立する。更に言うなら、アーティスト自身が持つ雰囲気が要素として加わることもある。
 この手法によって名付けられた曲名の典型的な例が、E-1.「霧の中の二人」である。この曲は、原題(“As The Years Go By”)が示唆するように、子供が若者となり、さらに大人になっていくにつれ、”I love you”の意味合いも変っていくことを歌っている。歌詞中に霧は一切出てこない。が、この曲では、オルガンが深みのあるサウンドで終始リードを取る。確かにそのオルガンの響きは、あたりを幻想的に覆っていく霧を連想させる。日本人が唯一聞き取れるであろう”I love you forever”に続いて、オルガンの間奏が始まるのだが、これで、我々の頭の中では、霧の中で”I love you”と囁き合ってある二人のイメージが固まってしまうのだ。邦題を 「霧の中の二人」 とした担当者の思惑は、まさにここにあったのだろう。
 E-2.「暁の空中戦」には、当時のポップス・ファンのほとんどが騙されたのではないだろうか。軍隊式の掛け声と軍の行進を思わせるドラミングで始まるこの曲は、途中で戦闘機の飛来音や機銃掃射音が効果音としてかぶせられる。英語が聞き取れない日本のポップス・ファンは邦題と曲調から、戦闘機同士の空中戦を歌ったシリアスな曲だ、と解釈してしまう。しかも、原題(“Snoopy vs The Red Baron”)中の”The Red Baron”は実在の人物なのだ。彼は実名をマンフレッド・フォン・リヒトホーフェン(Manfred von Richthofen、1892-1918)と言い、第一次大戦でドイツの撃墜王として恐れられた軍人である。この事実も、前述の解釈を後押しする。が、ここでは原題にある ”Snoopy”は無視されているのである。実際はこの歌は、人気漫画に登場する犬のスヌーピーを第一次大戦にタイム・スリップさせて、ザ・レッド・バロンと戦わせる、という他愛のない創作歌なのだ。英語ではこの種の歌を ”novelty song”と言うらしい。日本で言うなら、「およげたいやきくん」(歌:子門真人 1976年)のようなものか。この曲、確かに空中戦がテーマではある。しかし、「暁の空中戦」との日本語タイトルは、楽曲が与えるイメージから創り出されたとしか思えない。因みに、「暁」に相当する単語も歌詞中には見当たらない。”In the clear blue sky over Germany”とのフレーズがあるにはあるのだが。騙された一人である僕は、真相を知った今でも、曲の雰囲気にぴったりの「暁の空中戦」という邦題を気に入っている。
 尚、このロイヤル・ガーズメンは、この後、やはりスヌーピーが登場する 「帰ってきた撃墜王」(“The Return Of The Red Baron”)というタイトルのシングルをリリースしており、我々は二度騙されることになるのである。
 E-3とE-4は、聴覚的な要素に加えて、アーティスト自身のイメージが邦題に影響を与えた例だ。
 美人と言うよりもかわい子ちゃん(あるいはぶりっ子?)と呼ぶ方が似合うオリビア・ニュートン=ジョンの、1975年のシングル「そよ風の誘惑」(E-3)。原題(“Have You Ever Been Mellow?”)はおろか歌詞のどこを探しても、「そよ風」 も 「誘惑」 も見つからない。この邦題は明らかに、曲の爽やかさ、彼女の容姿・声そして唱法から、担当者が創り上げたものだ。日本では、前作の 「愛の告白」(“I Honestly Love You”)を凌ぐヒットとなり、そのルックスとも相俟ってオリビア・ニュートン=ジョンの人気を定着させた。1975年5月、緑のそよ風に誘われるように、この曲がラジオから繰返し流れていたのを、今も覚えている。
 スリー・ディグリーズは、1970年代半ばに活躍した黒人女性三人のグループである。いわば、ダイアナ・ロス&シュープリームスの70年代版なのだが、スリー・ディグリーズの楽曲は、60年代の「モータウン・サウンド」「ソウル・ミュージック」 と比べると、スタイルもアレンジも格段に洗練されたものになっていた。彼女らは、日本では 「天使の歌声」 のグループともてはやされ、高い人気を誇ったものだった。だから、黒人女性独特の高音で情感たっぷりに歌われるこのE-4.”When Will I See You Again?”の邦題を 「天使のささやき」 とする必然性のようなものがあった、と言うと言い過ぎだろうか。勿論、原題及び歌詞との関連性は一切ない。

<分類F>
F-1. にくい貴方/These Boots Are Made For Walkin’ ナンシー・シナトラ 1966年                                 F-2. 恋のかけひき/Don’t Pull Your Love Out ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ 1971年                                                                  F-3. 悲しき天使/Those Were The Days メリー・ホプキン 1969年     F-4. 愛の花咲くとき/A Man Without Love エンゲルベルト・フンパーディンク 1968年

 ここに挙げた4曲の内、最初の2曲は、邦題がどこから来たのか判然としないものである。
 高音から低音へと下降していくベース・ギターのイントロが意表を衝くF-1.「にくい貴方」。この邦題が、原題(“These Boots Are Made For Walkin’”)の意訳でないことは明らかだ。ここは歌詞をあたってみるしかない。ところが、その歌詞が何を言わんとしているのか、僕にはどうも理解し難い。が、少なくとも「にくい貴方」を示唆するような単語やフレーズはないように見える。歌詞からはこの邦題の根拠が見出せないのである。だから、分類としては根拠不明とせざるを得ない。ナンシー・シナトラは、この曲に次いで同じく1966年に 「冷たい愛情」(“How Does That Grab You, Darlin’”)をリリースしているが、この邦題も僕には根拠不明である。どなたか、これらの邦題の出所をつきとめていただけないだろうか。
 F-2の 「恋のかけひき」(“Don’t Pull Your Love Out”)の歌詞なら、僕でもある程度把握できる。これは、去って行こうとする恋人にどうか行かないでくれ、と懇願している男の歌で、この男には、かけひきする余裕など全くない。それがなぜ 「恋のかけひき」 になるのか? こちらも、どなたかに解き明かしていただきたいものだ。
 以上の2曲と比べると、F-3とF-4は性格を異にする。
 ビートルズが設立したアップル・レコードからデビューしたメリー・ホプキンは、F-3 「悲しき天使」 で、「あの頃は良かったわね、楽しいことがいっぱいあったわ」 と歌う。原題 “Those Were The Days”(「あの頃はいい時代だった」 の意)のニュアンス通り、過ぎ去った日々を懐かしく思い起こす歌である。じゃあ、なぜ 「悲しき天使」 なのだろう? で、少し調べてみると、この曲、元は1930年代のロシアで作られたフォーク・ソングだった、とある。と言うことは、元歌のロシア語のタイトルが 「悲しき天使」 だった可能性がありそうだ。ロシア語がわかる協力者がいればいいのだが・・・・・。
 一方、F-4の元歌は、イタリア人女性歌手アンナ・イデンティチ(Anna Identici)が歌った”Quando M’innamoro”というタイトルのカンツォーネである。このイタリア語タイトルを直訳するなら、「私が恋するとき」 となるのだが、この曲に英語の歌詞を付けて、エンゲルベルト・フンパーディンクが歌ったのが、「愛の花咲くとき」 である。日本では、1968年の夏にそこそこのヒットとなっている。ただ、フンパーディンク版で歌われるのは、失恋した男(“A Man Without Love”)の心境だ。だから、日本語タイトルは歌詞の内容と明らかに矛盾する。にもかかわらず、なぜこのタイトルにしたのか? 実は、この同じ1968年に、前述のアンナ・イデンティチ版が 「愛の花咲くとき」 の邦題で先行リリースされている。イタリア語のタイトルを見ても、こちらはまさに 「愛の花咲くとき」 を歌ったのであろうことが想像できる。つまり、先行発売されていたオリジナル・バージョンの邦題に忖度して、「愛の花咲くとき」 をいじらなかったということなのだろう。もっとも、希望に満ちあふれるようなスケールの大きいこの歌の主人公が失恋した男であることを読み取った日本人は、ほとんどいなかったに違いない。勿論、僕も含めてだが。
 同じエンゲルベルト・フンパーディンクの1971年の大ヒット 「太陽は燃えている」(“Love Me With All Your Heart”)も、似たようなケースだ。豊かな声量で燃えるような愛が歌い上げられてはいるが、「太陽」 や 「燃える」 に相当する言葉は、歌詞として使用されていない。この曲、元々は1950年代後半にキューバで発表されたもので、スペイン語のタイトルは “Cuando Caliente El Sol”(「太陽が熱い時」 の意)である。その当時、「太陽は燃えている」 の日本語タイトルでレコード・リリースがあったようで、1971年時点でもこの邦題が継続使用された訳である。もっとも、この場合は、タイトルと歌詞に矛盾はないのだが。

 僕の洋楽タイトルの考察は以上であるが、番外編的に付け加えておきたいのが、僕が洋楽史上最悪と見做している邦題についてである。その最悪の邦題とは、「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」(“A Hard Day’s Night” ザビートルズ 1964年)である。どの角度から見ても、これはひどい。たとえ当時の状況に鑑みて100歩譲ったとしても、これはどうにも受入れ難い邦題だ。
 ビートルズの初主演映画 ”A Hard Day’s Night” が公開されたのが1964年。「スクリーンで4人に遂に会えるぜ。そう、ビートルズがやって来るんだ、 凄いじゃないか、ヤア!ヤア!ヤア!」。映画の宣伝文句として留めるなら、ぎりぎりの線でまだ許せる。が、「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」 をタイトルにしてしまうなどと言う発想は、一体どこから出て来るんだ!? いくら何でもはしゃぎ過ぎじゃないのか。おかげで、日本では映画にもLPにもシングルにも、この奇天烈な邦題が永遠に残ることになってしまった。どう責任を取るんだ?!
 ここまで口をきわめて非難すると、当時の担当者に訊き返されるかもしれない。「じゃあお前なら、どんな邦題にするんだ?」 と。そんな愚問に答える義務はないのだが、アイデアがないのだろうと勘繰られるのもしゃくなので、一言言っておく。邦題創作の原点に立ち返るなら、答は 「ア・ハード・デイズ・ナイト」 以外にはあり得ない。

以上

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