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[エッセイ]60年ぶりのサン テグジュペリ「人間の土地」文章の一節をさがして

60年ぶりにサン・テグジュペリの「人間の土地」を読み返した。
この小説の中の、文章の一節をさがしたかったからである。
 
少し前、このnoteにある漢詩を発表した。
そのとき、詩の感覚、表現が、以前どこかで見たような気がした。
それがサン・テグジュペリだった。
若いころ、たぶん十代の終わりころ、当時「星の王子さま」が出版され、かなり話題になった。
私も本を見てサン・テグジュペリが好きになり、そのあと「人間の土地」も読んでいた。
あらためて再読してみると、かなり読みにくい文体だとわかった。
単純にストーリーをたどっても、文章がわからない。
倍速の早めくりでは読めない。
一つの文章が思索を誘い、宇宙的方向に脱線していく。
表現が比喩的になったり、哲学的になっていく。
たとえばこんな文章がある──
 
病気や、けがや、匪賊や、なんと多くの脅威が近づきつつあることか! 
人間は姿の見えない射手の、地上における的なのだ。
 
立ち止まって、よくよく考えてみて、深い意味が見えてくる。
しかしこれこそがサン・テグジュペリの独特の魅力で、じっくりかみしめながら読めば、その味のある表現・思索を理解できる。
 
ところで問題の漢詩は、劉 禹錫 (りゅう うしゃく) の秋風引という詩で、
 
何処秋風到
蕭蕭送雁群
朝来入庭樹
孤客最先聞
 
秋風の歌
どこからか 秋風が吹いてきた
物寂しい音をたて 雁の群を送っていく
朝 この秋風が 庭の樹々を吹きすぎたのを
宿の客である私が 一番最初に聞きつけた
 
というものである。
秋風の最初の第一波を、私のセンサーが真っ先に探知したという表現にオリジナリティがあり、この詩のポイントである。
この、対象の捕らえ方が、はるか昔読んだサン・テグジュペリにも、同様にあったのを思い出したのだった。
今回、再読してそれらしき文章が見つかった。
多分、ここで間違いないだろうと思う。
それは本の40%ほど進んだページにあった。
航空会社の路線パイロットである私が、砂漠の中の中継基地で、やがて襲ってくる熱砂の嵐の予兆を感じる場面である。

──要約──
 ぼくのランプにカゲロウが突き当たり、緑の蝶が飛んでくる。
だれかが、遠くでぼくに話しかけているのだ。
ぼくは予告を受けた。ぼくは察知する。
(それ)は、もうすぐくるはずだ。
砂浜へ打ち上げられたわずかの漂流物が、沖に台風があばれていることを証拠立てる。
これらの昆虫がぼくに教える。熱砂の嵐が、遠い椰子の林からその緑の蝶を追い出した嵐が、近づきつつあると。
その飛沫がすでに、ぼくのところへ届いていた。
東の風が吹きだした。そのかすかな息吹きは、まだわずかにぼくに触れるだけだ。ぼくから20m後方では、天幕一つ揺るがなかったはずだ。
この天地の怒りを、一羽のカゲロウの羽ばたきに読み取った。
 
熱砂の嵐が襲いかかる直前の状況を、独特の文体で伝えるみごとな文章である。
この「人間の土地」では、サハラ砂漠に不時着し、水もなくさまよう遭難の部分が全編中圧巻である。
奇跡的に救出された時の、水と救出者にたいする文章はまさに感動的なもので、今回再読して感慨をあらたにした。
ちなみにこの表紙の絵、手書きの地図は尊敬する宮崎駿監督である。あのアニメの巨匠、飛行機好きの宮崎監督の描かれたものである。

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