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「仮説」とか「固説」とか「陰謀論」とか

ビジネスでは仮説の重要性が語られることが多い。

闇雲に手当たり次第手をつけるのではなく、「ここがポイントなのではないか?」と当たりをつけてから取り掛かる方が仕事は効率的に進む。
だから、若手に対して、「どんな仮説をもっている?」と問いかけて、まず仮説を意識させることは大事な作法だったりする。

しかし、仮説ということの取り扱いは思っているほど簡単ではない。
仮説というのは、文字通り「仮の」説だ。
つまり、まだ不確かだけれども一旦こういうことだとして考えてみよう、という仮置きのもの。
だから、違うことが発見できれば、その仮説は速やかに破棄して、また新たな説に立脚して世界を見直さなくてはならない。
仮説とは、捨て去ることが前提にあるのだ。

ふむ。
そんなことは百も承知だ。

しかし、いつしか仮説を「捨ててはならない存在」として固定化していってはいないか?
豊富な知識があるために、「こうでなくてはならない!これが正しい!」と思ってしまうことはないだろうか?

仮説を検証することすら怠り、その仮説がいつしか固定化した状態を、「固説」と命名してみよう。

仮説であれば、新たな事実を発見するたびに世の中の見方は変わっていくが、固説を持ってしまうと世の中は変わらない。もしその説に反する新たな事実が見つかった場合、その事実の方が間違っている、と考え始めるのだ。

その先に待ち受けているのは、「陰謀論」と言われるような、捻じ曲がった世界観だ。
陰謀論者は多くの固説を抱えている状態と言える。抱えている固説のどれかが否定されてしまえば、ドミノ倒しでその世界は破綻してしまう。
だからこそ、全てを固説化していくのだ。

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