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#6 言葉を頼れない人たち(後編)〈1話完結ストーリー〉

前編はこちら

「おにいちゃんのところに行キマショウ」
幼稚園の帰り、すました顔でカイが言った。これから、リクの学童へ迎えに行くのだ。
棒読みのようにたどたどしいが、カイがこんな文章でしゃべることは珍しい。すました顔がかわいらしくて、アユミは思わず微笑んだ。

「カイくん、大きくなりましたねぇ」
学童に着くと、顔なじみのスタッフの女性が声をかけてきた。
「来年は、小学校かな?」
女性はカイにも声をかけるが、カイはちらっと見て、その辺をくるくる歩き回るばかりだ。

「そうなんですよ」
代わりに答えながら、そろそろこういう反応は奇異に見られるのかもしれない、とアユミは思う。3歳くらいの子なら微笑ましいが、就学前の子どもとしては、ずいぶん頼りない。

「来年小学校だよ。それで、この学童に入るんだ」
帰り支度をすませ、やってきたリクが言った。
「そう。楽しみね。皆でお世話しないとね」
スタッフの女性が応じると、リクは満足げに頷いた。

「リク、日曜日遊ぼうな」
学童仲間のアキトが、後ろから声をかけてきた。リクはいつもこうやって学童で、休日に遊ぶ約束をしてくる。


「ほんとうは、カイともっとしゃべれればいいなと思うんだ」
帰宅して、リクは急にそんなことを言った。
アユミは言葉を探したが、さえぎるようにリクは続けた。
「カイが、しゃべるの得意じゃないことはわかってるよ」

カイは話すのが得意じゃないんだ、とアユミはずっと、リクにそう言い聞かせてきた。アユミ自身、いまだによくわからないのだ。医師も「広汎性発達障害」や「自閉傾向」などのワードは口にするものの、それらはどこか濁して伝えられ、わかりやすいはっきりした診断名にはならなかった。

「でも今のままだと、学校や学童でいじめられないかなって心配だよ」
そうだな、とアユミは応じた。

実際のところ、小学校は支援級になるだろう。この前の小児科でも、そう勧められた。
学童はどうなるだろうか。
リクと同じ、この学童に通うことは難しいだろう。友達と会話でコミュニケーションを取って遊ぶということが、ほとんどできないのだから。
学校から徒歩では行けないような場所に「放課後デイサービス」というものがあり、障害を持つ子どもが利用できる。でもそれを利用してまでパートタイムの仕事を続けるのか、アユミは悩んでいる。

「おれはね、カイにも親友ができてほしいんだ。アキトみたいなさ」
リクは、そんなことも言った。
家族の存在は大きいが、すべてを与えてやれるわけではない。
小学校で多くの友人を得て成長したリクには、よくわかっているのだ。

リクにはまだ、多くを話していない。
でも既にいろいろなことを感じて、弟を案じている。


アユミは、カイの障害にまつわる用語を、できるだけ検索しないようにしていた。
1度でも検索すると途端に、ニュースサイトにもSNSにもそれに関するものが次々表示されるようになる。
ためになるものもあるが、ネガティブで生々しいものも多い。ついタップすると、ますますそんな情報に取り囲まれることになる。エコーチェンバー。
そこにあるのは、別の誰かの情報だ。カイのことを書いているわけではないのだ。

検索したくないワードが、またひとつ増えた。
「きょうだい児」。
障害児をきょうだいに持つ、困難の中で成長した子どもを指す言葉だ。

リクもそんな風に、困難を抱えていくのだろうか。
ネガティブに振れた未来を、アユミは考えたくはない。


2人は、Nintendo Switchの「マリオカート」を始めた。
2人一緒のチームになって戦うのが、最近のお気に入りだ。
カイはゲームの操作を覚えるのが、驚くほど早い。言葉の習得とは大違いだ。

キャーキャー言いながら、テレビ画面に向かって2人はプレーする。
カイの動かすキャラが、檻のようなものに閉じ込められた。
「おにいちゃん、タスケテー」
よし待ってろ、と言いながらリクはリモコンを操作する。

リクはアユミをちらっと見て言った。
「カイさ、おれとチームのときは『おにいちゃんタスケテ』で、それ以外のときは『だれかタスケテ』って言うんだよ」
ちゃんとわかってるんだよ、と誇らしげに言う。

2人の「赤」チームが、対戦に勝った。
「赤、かちー!青、まけーーー!!」
カイはソファの上で、飛びはねてはしゃぐ。


カイもリクも、かわいそうな子どもなんかじゃない。

非言語コミュニケーション・モンスターのヒデキがついている。
皆で、何があっても楽しくやっていくんだ。ケラケラ笑いながら。

そんな風に、アユミは決めている。


おわり

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