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「今宵、餃子があるバーで。」第3話 視線の先


『Bar ミカヅキ』で出てくるおつまみは餃子だけ。店にはマスター選りすぐりのお取り寄せ餃子がストックされている。お手製の餃子は食べたことがない。

「私は占い師になりたいの」

そんなマスターとBar ミカヅキは、常連にとってありがたい存在で落ち着く場所だけど、マスターにとってのそういう人や居場所はあるのだろうかと時々思う。気にはなるけど、「私のことを知る覚悟はあるのかしら?」と話が大げさになりそうだから、いつも聞くのをやめている。

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みんな、何かしら抱えているわ。
自分がコントロールできることだけに集中できればいいけれど、そうもいかないものよね。人の感情や家族、仕事、お金、健康、老後・・・気になりだしたら止まらないことばかり。
お店にもそういうモードの日があるのよ。来る人来る人、なんだか悩ましい雰囲気で、つぶやきのような独り言のようなそれぞれのお悩みがお店全体にも広がって「ああ、生きていくのって大変ね」ってなっちゃうような日。

そんな日の餃子は、安兵衛よ。ぜったい。

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高知から届く安兵衛の餃子は、皮と具が別々に包装されているの。

今日は、お客さん全員で包んで、みんなで食べるわよ。

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“ 包むとき頭の中は餃子だけ <季語なし>
― Barミカヅキ マスター 心の俳句より

餃子を包んでいると、人はただ包むことしか考えられないわ。モヤモヤした気分に必要なのは、強い刺激でもなければなぐさめの言葉でも、ましてや同情でもない。没頭よ、没頭なのよ! 目の前の一つだけとつながるの!

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何より安兵衛の皮は、絹のように滑らかで薄くて小さいわ。適当には包めない。美味しい餃子が食べたいなら、大事に扱わないと。ちゃんと目の前の餃子と向き合うの。考えても仕方ないことを、きっと忘れさせてくれるわ。

「私、包めない」という人には「見てればいいのよ」って言うけど、みんなの様子を見ているうちにやりたくなっちゃうから不思議。人が没頭している姿って、まわりを動かす力があるって聞くけど本当よね。
自分で包んだ餃子は格別なんだから。

そうそう、安兵衛の餃子は焦げ目をしっかりつけるのがポイント。そして安兵衛特製のタレでいただくの。カリカリジュワ~で絶品よ。

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こうなるともう、カウンターは餃子の話題で持ちきりよ。誰の包み方が上手いとか、餡はたくさん入れる方がいいねとか。心なしか、みんなの表情が柔らかくなってくるわ。私はお客さんのこの顔を見るのが一番好き。餃子を包む前の所在なさげな表情とは全然違うの。ちゃんと今この時間を楽しんでる顔。

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そうそう、安兵衛の餃子は賞味期限が短いから注意が必要よ。でも大丈夫。みんなで包む必要がなければ、私が包めばいいもの。私にだって、没頭する時間が必要よ。

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いつでも、食べに来て。包みに来たっていいのよ。
またね、おやすみなさい。





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