お坊さんの井戸端会議

浄土真宗 本願寺派 若手僧侶5人による日々のお味わいブログ。隂山晃淳(大阪府) 岩田明…

お坊さんの井戸端会議

浄土真宗 本願寺派 若手僧侶5人による日々のお味わいブログ。隂山晃淳(大阪府) 岩田明子(愛知県) 木山響心(長崎県) 佐々木史哉(福岡県) 那須野あつ子(滋賀県)。

最近の記事

仏教の領域

こんばんは 今週は佐々木です。 心身の体調が、上下しやすい気候になりつつありますが、いかがおすごしでしょうか。 最近、23歳女性より、こんな質問をもらいました。 「僧侶って、誰でもなれるんですか?」 何を背景にしてこのような疑問を持ったかはわかりません。 が、興味を持たれているようで嬉しかったです。 質問への答えとしては、事務的な煩わしさは多少ありながらも、誰でも僧侶になれます。 くらいが妥当かなと思いながら答えましたが、 それでその人が僧侶になりたいと喜び

    • うぐいすにほれぼれ

      うぐいすの鳴く声が聞こえる季節です。 「ホーホケキョ、ホーホケキョ…法を聞けよ、法を聞けよ」 と、小さないのちまでもが私におみのりを勧めているんだと、豊かな世界を示してくださった先人がいらっしゃいます。 「お前のことでいっぱいになってはたらき通しの如来様がいらっしゃるんだよ、どうかそのことに気付いてくれよ」と無数のいのちが私にお念仏をすすめてくださいます。 お同行のお宅でお参りをする機会が度々ありますが、仏様の話で頷く人もおり、懐かしい方を思っては寂しさに涙される人もあ

      • 善いこと、悪いこと

        日中の強い日差しと、夜の肌寒さ。気温差にやられてしまった週末でした。 皆さま、いかがお過ごしでしょうか。 今週は岩田が担当です。 「善いことしたと思ってたのに先生やお母さんに怒られたんだ。悪いことだったのかな。どっち?」 そう呟いたのは小学生の男の子でした。 「善悪の判断を私に聞くとは、相手を間違えてるよ」と内心腰が引けつつ、彼の話を聞いていました。 聞けば聞くほど、善悪の見方って立場によって入れ替わるものだなぁと感じ入り、どっちだなんて答えが出ません。 目の前の彼をひ

        • 生きている

          皆様、こんばんは。 陰山です。 娘は、息子(兄)が生まれた時に頂いたブランケットのおまけのぬいぐるみ、熊のウアちゃんを大切にしています。 夜はベッドで一緒におやすみ、朝は一緒に起きおはよう、一緒に朝ご飯を食べ、小学校に行く時にはリビングでブランケットを掛けて寝かして、「ウアちゃん、いってきます!」と家を出ていきます。 洋裁が得意なばあばに頼んで、ウアちゃん専用の服まで作ってもらっています。 先日は、ウアちゃんと手を繋いで「アハハハ」と笑いながらクルクルと回っていまし

          鯛か鰆か

          こんにちは、那須野です。 今日は月曜日なんですね、1日遅れの更新となりました。。 私は今、愛知へ向かう電車に乗っています。 普段は京都大阪へ出かける事が多い私にとっては、いつもとは違う方向、違う景色。 ゴールデンウィークだから旅行でしょうか、Googleマップではなく紙の地図を広げる人は、私の旅気分を盛り上げてくれます。 トレッキングポールをお持ちのご婦人は、どちらの山へ行かれるのでしょう。 しかし、この狭い島国の中を、多くの方があっちへこっちへと移動しているのですね。

          忙しさにかまけて。

          半袖の人を見ることも少なくないような季節になりました。 今週は、佐々木です。私は福岡の中でも、大分県中津市に近い場所に生まれたのですが、そこに「しゃーしい」という方言があります。 うちの祖母や母がよく使っておりました。 私の世代の人はあまり使わなかったイメージがあります。 何かにつけて「あーしゃーしいなぁーもう」  「これやってよ」「いやしゃーしいよ今は」 僕が騒いでると「しゃーしいっちゃもう」。 おおよそ、「うるさい」「面倒」「煩わしい」という意味で使われます

          忙しさにかまけて。

          お釈迦さまは脇から生まれたの?

          春です。 野辺へ出てみれば、鶯が鳴きヒバリが囀り、足元には蓮華、タンポポの花盛り。 心地よい季節がやってきたと思えば、いつの間にか日中は暑いと思わず口にするほど、季節が進んでしまいました。九州の人間が縁あって4日間ほど関西におりましたが、例年より遅く咲いてくれた桜は、例年の倍、私の目を喜ばせ、心を踊らせてくれました。 無数のいのちが誕生するこの豊かな季節に、今から2500年前にご誕生くださったお釈迦さまのお誕生日をお祝いします。先日4月8日ははなまつりでした。 お釈迦さ

          お釈迦さまは脇から生まれたの?

          根性がどうであっても

          画像は、種から大切に育てられること10年、3日で散った山芍薬の花です。 スマホで撮影して、拡大して細部を見る。肉眼では見落としてしまう瞬間が切り取られ、花は終わっても鮮明な画像は手元に残る。便利で有難いです。 でも、仏様がご覧になったら…。 この花は、葉は、茎は、そして土の中にある10年かけて花を咲かせるまでに育った根茎は、仏様の目にはどれほど美しく映るのだろうか。そんなことを考えた花の終わりでした。 皆さまいかがお過ごしでしょうか。今週は岩田が担当です。 ここ数年で急

          根性がどうであっても

          ミチタル

          皆さま、こんばんは。 今週は陰山です。 表白集(表白とは仏前において、法会の趣旨などを仏と参詣の方々に報告し、仏徳を讃嘆すること)を見ていると、「我ら今幸いに久遠深重の因縁によって、真実浄信の幸せに目覚め…」と書かれていました。 なぜ真実浄信ということが幸せなのでしょうか? 「幸せ」という語を辞書で見てみると、「よい巡り合わせ」「不満がなく、望ましい状態のこと」などと出てきます。 自分の頭で考えてみると、私の欲望が満たされることを幸せというように思います。 様々なこと

          おいちゃん、ありがとう

          こんにちは、那須野です。 こたつから抜け出せない日々が、まだ終わりません。 暑さ寒さも彼岸まで、とは言いますが、お彼岸中に降雪の滋賀です。 個人的には、怒涛の3月でした。 自坊彼岸会でのご法話、地域の博物館での展覧会から始まり、長男の卒業式、次男の卒業式、長男の受験、勤め先の彼岸会、初めて正式に講師に呼ばれたご法話のご縁、多くは初めてのことばかり。 そしてそのほとんどは阿弥陀様のご縁でした。 慌ただしい日常の中、ある日次男は言いました。 「明日僕、どこまで歩けるか行って

          おいちゃん、ありがとう

          死なないといけない

          少しずつ暖かくなって、春の陽気を垣間見る時期になりましたね。今週は佐々木です。 一水四見 という言葉が存在します。 たくさんではないですが、仏典にも登場する言葉です。 認識の仕方によって、認識の対象は様々に存在する、という意味です。 一つの水でも、見方によって四通り以上あるんだよという意味です。 同じ水を見ても、 天人には宝石の池に。 人間には飲み水に。 餓鬼には血に。 魚には住処に見えるようなものだ、という意味です。 人間世界であれば想像が付きますね。 飲

          死なないといけない

          死にたくないなあ

          誰しも死について考えたことが一度はあるんじゃなかろうかと思います。 私は5歳の時に、兄から生まれてきたものは皆死ぬと風呂場で教わりました。小さい子は、大人もそうかもしれませんが、虫などの小さな生き物のいのちを面白がって奪ったりします。私もそんな子供だったので、その姿を見た兄が心配したんでしょう。 「お前は今日も虫を殺しよったけどな、お前も死ぬぞ。お前だけじゃない。兄ちゃんも父ちゃんも母ちゃんも、じいちゃんもばあちゃんも皆死ぬ。お前も必ず死ぬ」 と、風呂場で、教わりました

          仏様になりたい

          ご門徒様宅にお参りに伺いますと、素朴な質問や、亡き人との思い出話を聞かせていただくことがあります。日常から離れた時間が流れるような、有難い瞬間です。 その中で、大切なこと、次回住職(父)からも伝えて貰いたいことは共有しています。 「○○さん、こんなことを話してくださった。こんなこと思っておられたんだね」と。 時々、住職は「そんなこと俺にひとっっ言も言ったことないのに」「なんで俺に聞かないんだ」と悔しがります。 どうやら、住職よりはものが言いやすいようで…。今後もそういう者であ

          お葬式から考える

          皆さま、こんばんは。 今週は陰山です。 年末から父の入院に始まり、生まれて間もない赤ちゃんのお葬式、いつも私を元気付けてくださった90歳の御門徒さんのお葬式と続き、老病死、様々なご縁に遇わせて頂きました。 赤ちゃんのおじい様がおっしゃっていました。 「順番が違う」 その時、私の頭の中には「老少不定」という言葉が浮かびました。 老いも若きも、いつ命を終えていくのか定まっていない、ということです。 蓮如上人が残してくださった「白骨の御文章」、いつもお聞かせ頂いている言葉です。

          はたらきとはからいのあいだ

          このブログが始まった当初から表メンバーには「気が向いたら書きますわ」と言うてたはずが、気がつけば半年に1回、規則正しく書かされる羽目にせていただいております。今回は裏メンバーの吉尾がお送りします。 私が所属する真宗高田派、その本山である三重の専修寺では、先月の1月9日から16日までの8日間、親鸞聖人のご命日の法要である「報恩講」が勤まりました。写真は、その専修寺の夜の境内の竹あかりです。つつがなく報恩講のご縁に遇わせていただける有り難さを感じる一方で、戦争や災害が相次ぐ中、

          はたらきとはからいのあいだ

          てんてこまいのひぐらしで

          こんばんは、今週は那須野です。 前々回の記事でコロナからインフルでてんてこまいと書きましたが、 あの時はインフルA、この度はインフルBからのノロからの中耳炎と、てんてこまいシーズン2の我が家です。 シーズン2もご盛況の中無事終わり、シーズン3より春が来てほしいこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょう? さて、そんな我が家は、長男の受験という初めてのイベントを迎えることになりました。 なんと嫌な言葉でしょう、受験。 この言葉が好きな人が居るのでしょうか、受験。 人を蹴落として自分

          てんてこまいのひぐらしで