不登校だったとき

 次々に増える赤色の変なお守りと、親戚からの「いっぺんでええから祈祷を受けろ」ということば。いまになると何を見せられていたのだろうかとしか思えないのだが、親や親戚たちはたぶん真剣だった。

 中学生のときは不登校になって本格的な登校拒否となった。家から一歩も出ない日もあったが、これは学校が嫌いで行きたくなかったという明確な理由もあった。
 問題は高校に入った後のことで、学校に行かなくなった理由がなんとも言えないものだった。べつに学校が嫌いなわけでもなければ、クラスメイトとも仲良かったし、韓国学校だったので僕が当時彷徨っていたアイデンティティを落ち着かせられる場所でもあった。義務教育だった中学校と違い、高校は休みすぎると単位がもらえなければ進級もできない。なので頃合いを見計らっては高校に行っていたのだが、家にいる時間も多かった。これもまた不登校のひとつの姿である。

 学校に行く準備をして家をでて、天王寺で乗り換えずにそのまま奈良に行くとか、電車に乗り続けて本を読んでいるとか、本屋や図書館に籠ることも多かった。クラブチームでラグビーをしていたので、練習がある日は夕方からそっちに行ってなければ昼過ぎには家に帰っていた。
 なぜ学校に行かないのか?とよく尋ねられたし、申し訳ないことにこの質問に対する答えは持ち合わせていなかった。ただなんとなく、なんか行く気が起きなかったのである。

 でも今になって、あれはやはり精神面のものが大きかったのだろうと思うのである。
 当時の僕は部屋のあちこちに監視カメラや盗聴器があり、また自転車にも追跡機がついているとか、持ち物のどこかにも仕込まれているとか、常に何かに監視されているのだと思っていた。冷静に考えなくてもそんなはずはないのだが、当時の僕はかなり真剣で、気が付いていないだけでそうとう精神面でやられていたはずだった。
 ときどき夜に変な聞こえ、音のする屋根をひたすら叩くということもあった。飛んできた親は「なにも聞こえない」と言ったが、僕には確実に聞こえていた。いまなら統合失調症、という病名が付いたかもしれない。

 夜中に屋根を叩いたり、監視されているストレスでおかしくなり家のものを破壊しだしたあたりで、親がことの重大さに気が付いた。「これは憑いているのではないか」というわけである。

 大学四回生のときに、僕には強迫性障害とうつ症状の診断が下った。親は「根性が足りんだけや」としか言わなかった。そういう家である。高校生の頃の(おそらくは統合失調症状であった)ものを聞いても「なにかに憑かれた」という結論が出てしまったのである。これを言い出したのは当初より根性論を唱えたクリスチャンの父方の家ではなく、仏教や民間信仰に篤い母方の家だ。

 中高生のときは殆ど教会に行った記憶はないが、それでも仏教やシャーマンのやり方を押し付けられるのはいささか気分がよくない。信仰心が安定したと思われるいまなら「やってください」と目の前で偶像の儀礼を観察するが、当時はそれが嫌だった。すると変なお守りやなんか家の周りに供物を置きだし、盛り塩が部屋や家のなかに置かれた。

 当時の僕は「病識がない」ということになるのだろうか。なんとなく行くのが嫌だったというが、立ち止まらずにうろうろしたり本を読んでいるあいだだけが落ち着く時間だったのだろう。寝室で暴れるので寝るのも難しい。

 きっと母方の親戚たちはなにかに憑かれていると信じていろいろ策を打ってくれたのだろう。僕は当時もいまもそんなものは偶像に過ぎないというが、韓国出身のシャーマンが現れる直前まで話は進んだ。勘弁してほしい。

 このときの経験があって、中高時代ろくに通わなかった教会に戻った。といっても僕が行ったのは家からいちばん近かったカトリック教会である、プロテスタントとカトリックの違いはあまり意識されないだろうが、これはこれで大きな改宗になるのである。

 大学を卒業する段になって余計に強迫性障害が酷くなり、鬱で新卒入社した会社を半年ほどで退職することになった。あのあたりでちゃんとした精神科に繋がったので、いまもちゃんとは病識があるはずだ。

 あのときもらったお守りのひとつがじつはいまも財布に入っている。加持をもらおうとは微塵も思っていないが、自分が精神的な問題を抱えていているのだというのがわかるアイコンと化した。ときどき病識はなんだとか、思い出すためのきっかけである。

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