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インドネシアの空の旅事情

 インドネシア語を専攻していた学部生時代、教員たちから「よほどのことがない限りインドネシアの飛行機はガルーダ以外に乗るな」と言われていた。ガルーダとは彼の国のフラッグシップキャリア、ガルーダ・インドネシア航空のことであり、インドネシアでいちばんちゃんとした航空会社であると言われている。もっとも、そのガルーダですらEUへの乗り入れが禁止されていた時期もあるのだが、いまはもう改善されて安全になったと言ってもいいだろう。

 ローコストキャリアことLCCが空の旅の世界を席巻し人々の移動事情は大きく変化したが、東南アジアにおけるその走りはインドネシアのお隣マレーシアのエアアジアだ。赤色に纏われた機体にNow Everyone Can Flyと書かれているのが印象的である。
 「もう誰だって空を飛べる」。エアアジアが商敵と名指ししたのは既存キャリアであるマレーシア航空ではなく、マレーシアじゅうを縦横無尽に走り回っていた高速バスだった。バスのような値段で各地を結ぶ代わりに既存キャリアにあった機内サービスを廃止、もしくは追加料金を取ることで受けられるようにし、高速バス需要と戦った。ただ既存航空会社との棲み分けは完全に上手くいったわけではなく、エアアジアが就航したためにマレーシア航空が撤退した路線もあるし、そもそもマレーシアのように海を隔てて大きく国土がふたつにわかれているようなところで東西マレーシア便を「バスが相手なんです」というのはだいぶ無理がある。いずれにせよ東南アジアではここ20年ほどでLCCは大きく成長し、人々の移動手段として確立した。

天下のエアアジア

 そんなLCCはインドネシアでもライオン航空を切り口として格安航空会社が誕生した。これらも顧客を奪い合うのはガルーダ・インドネシア航空ではなくバス、そして東西5000km以上にわたる領域に存在する何万もの島々を結んでいたフェリーだった。飛行機ならバスで10時間かかる距離を1時間で結び、フェリーで3日かかるところを船で3時間で飛んでしまう。欠点はモノを積み込めないところなのだが人間が移動するだけならば問題ないわけで、格安航空会社の登場はインドネシアの人々の生活を大きく変化させた。ちなみに航海する距離がそこまで離れていなければインドネシアのバスは客ごとフェリーに乗り込む。

 ただまずかったのは、あまりにも安全基準がイイカゲンすぎることである。いや、基準はちゃんと設けられているのだが、マズいことに整備不良でも飛ばしてしまう。バスは故障や事故があればその場に停めて修理すればいいし船ならば脱出する猶予があるが、飛行機はそうはいかない。信じられないような事故も度々起きている。パイロットなど乗組員は酷使されて過労が当たり前だともいう。

 イイカゲンなのは安全だけではない。バスや船を動かすような感覚で飛行機を飛ばすので遅れるのは当たり前、早発や突然の欠航などもざらである。僕の友人は旅行先のロンボク島から留学していたジャワ島(この際これらの島がどこにあるかは気にしなくていいだろう)に戻る際、搭乗手続きを済ませて時間になったのでゲートに行くと「その便は一時間前に飛んだ」と告げられ、唖然としていると「次の便に乗ればいいよ」と続けられたのだという。搭乗券に記された便名や指定座席は何の意味をもつのだろうか。もちろん案内もろくにしない。

 バスや船と同じような値段で飛行機に乗れるので乗客たちもそれらを乗るような感覚で空港に来る。首都ジャカルタには初代大統領・副大統領コンビの名前を冠したスカルノ・ハッタ空港のほかに、独立戦争を闘った空軍の英雄の名が掲げられたハリム・プルダナクスマ空港がある。かつては後者がジャカルタの玄関だったらしいが、現在ではなんというか、バスターミナルのような雰囲気である。バスターミナルとの違いは英語表記がしっかりしていることだが、バスターミナル職員のような地上要員は英語ができるのかどうか怪しい。ハリム・プルダナクスマ空港にはガルーダが発着しないのでLCCのみ、つまり全体がバスターミナル風情である。

マカッサルのスルタン・ハサヌディン空港。ここを発着する旅客便も多くはLCCだ。

 さてガルーダ以外への搭乗を禁じられた我々であるが、そんなことを言われてもLCCに乗らざるを得ない。フルサービスキャリアはLCCとの棲み分けのため運賃は上がり、貧乏学生は簡単にガルーダに乗れなくなってしまった。もちろんガルーダは安全だしサービスもいいことを知っている。遅れてもせいぜい数時間で、ゲート変更などがあればアナウンスもされる。「そんなの当たり前じゃないか」と思わないでほしい、そこはインドネシアだ。我々の味方はLCCで、不安を抱えながらもライオン航空のサイトを開いていた。

 インドネシアの島々を移動するのにあたって何度もLCCを使った。なにせこれ以外の交通手段がバスかフェリーで、どちらも飛行機よりは遅ければ目的の町に着いてもどこに辿り着くのかわからなかったりする。そういう意味では空港というわかりやすいところに到着するのでそこ先の移動の予定を立てやすい。
 ところがインドネシアでは「着陸する空港を間違えた」というインシデントも起きている。なにもかも油断ならないインドネシア、しかし僕はこのイイカゲンさも好きなのである。

バティック航空の機内食。黄色のお米にインドネシアを感じる。

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