猫の腎不全6_写真1_ぐう吉ラストショット_

腎不全の猫と長く生きるために(6)

10年皮下補液をしていても、まだ腎機能は維持できているぐう吉。それでも、18歳のぐう吉は人間の年齢にすれば90歳近く、最晩年になっているのは確かです。
この連載の最後は、いつか来るその日に、日々備えている。そんな私たち夫婦の覚悟を書いて締める予定でした。
ところが……….。

▲2019年7月20日12時09分。
大好きなベッドで撮った、この世での最後の写真になりました

突然のお別れ

穏やかに過ごしていたぐう吉でしたが、突如状態が急変し、あっという間にこの世から去ってしまいました。
具合が悪くなったのは7月19日(金)でした。この日私は勤務がなく、2日後に迫った参議院選挙の投票日に向けて、野党系候補者の応援に駆け回っていました。
昼までは、階段も自力で降りられ、変わりなく過ごしていたのです。外出するのに、特に不安はありませんでした。

この日、私もツレも帰宅は遅く、たまたま時間が合ったので、吉祥寺駅で待ち合わせ、一緒に帰宅。ぐう吉がいつもいる寝室に行ったところ、呼吸が速く、反応が鈍くなっていました。
すでにかかりつけの動物病院は診療を終えています。指定の救急病院に電話しましたが、急患が立て込み対応できないとのこと。近くにある救急病院が受け入れ可能だったので、初診で連れて行きました。

結果は心不全と肺水腫。酸素投与と利尿剤などで多少落ち着きましたが、当直の獣医さんからは、「急変もあり得るので、このまま入院を継続するのが望ましいでしょう。明日かかりつけの病院に転院してもらうこともできます」と言われました。ただ、土曜日は人員や業務の関係で、15時以降の引き取りになるとのこと……。
私はとても悩みましたが、結局入院はさせず、家に連れて帰ることにしました。そのまま息絶える可能性もあると思ったからです。病院嫌いのぐう吉を、病院で死なせたくはありません。

この時、「助かるなりゆきなら、連れて帰っても助かるだろう。病院で濃厚治療をしなければならないなら、もう見込みはないだろう」とはっきり思いました。そして、そのように考えて判断したことを、きちんと覚えておこう。そう考えたのでした。

翌日の朝かかりつけの病院に行き、心電図をとったところ、重症不整脈とわかりました。内服治療を選択していったん帰宅。この時点では反応も良く、しっかりしていたのですが、夕方になってまた、前日の夜並みに調子が悪くなりました。
電話でかかり付けの獣医さんと相談し、方針を決めました。転院しての集中治療も選択肢でしたが、内服を増やして、自宅で過ごす選択をしました。この時も、病院から連れ帰ったのと同じように、「助かるなりゆきなら、家にいても助かるだろう。病院で濃厚治療をしなければならないなら、もう見込みはないだろう」。そう思いました。

長年看護師として働いてきて、「ここまで悪くなったら助からない」というラインがあるように感じていたのですね。いわば勘のようなものが、この判断に繋がりました。
ぐう吉はその日のうちに苦労のない国へ。23時45分でした。急激に悪くなってから丸1日ほどで逝ってしまいました。夫婦そろって静かに見送れたのが、何より良かったと思います。


▲ぐう吉の遺骨(左)と、
2001年5月26日に旅立った先代ミルクの遺骨(右)。
真ん中にある猫のオブジェは、保護猫活動に力を尽くし、
亡くなったNさんという女性をイメージして作られた作品です。


▲ぐう吉の遺影。今年6月撮影の写真です。


▲ミルクの遺影。推定20歳の天寿を全う。
デジカメ以前なので写真が少なく、良い写真が残っていません。

悲しいけれども、悔いはない

慢性腎不全については、本当に良くコントロールできたと思います。ぐう吉は、7月6日の血液検査の結果は横ばいで、腎機能は悪いながらも維持できていました。しかし、年を重ねて、全身の機能低下は避けられません。心臓にトラブルがでたのも、自然の流れだと思います。

ぐう吉の死後、外注していた血液検査の結果が返り、心不全を評価するBNPという値が測定不能の高値であったことがわかりました。この結果から、心不全が極めて急速に進行したもの――例えば、急性心筋梗塞だったことが考えられます。

この結果を聞いて、自分の判断が妥当であったとわかり、さらに納得が深まりました。
あっけないと言えばあっけない最後。でも、本当に、寿命を越えて生きたと思います。
「ありがとう、大好きだよ」と送り出しました。

慢性腎不全でこの10年は皮下補液。去年の終わりからは網膜症で目も見えなくなっていました。ぐう吉が暮らしやすいよう生活を整え、暮らしてきた。そんな自負はあります。ぐう吉もがんばった。私たちもがんばった。わが家に来たから、ぐう吉は天寿を全うできたのだと思います。

そして、悔いなく見送るために、やっていて良かったと思う、意図的なことがひとつあります。それは、家に帰るとかならずぐう吉を抱きしめて、「ぐう吉、大好きだよ」と言ってきたこと。ぐう吉の目が見えなくなって以降、家に帰ったらこれを必ずやろうと決め、実行してきました。

ささやかなことではありますが、思い返して、とても気持ちが慰められています。
さらなる長寿を願いつつ、頭のどこかで覚悟は決めていた。こうしたあり方が、最近の私たちだったと言えるでしょう。


新しい猫と暮らし始めました

8月4日、私たち夫婦は、ぐう吉を偲びながらも、次の子を迎えました。ぐう吉の時と同じ保護猫団体から、推定3歳のサビ猫をもらい受け、「もふこ」と名付けました。

▲Webサイトで里親を募集していたもふこ。
西東京市内の高齢男性に餌付けされていました。
家が取り壊しになり、居場所がなくなったため保護されたそうです。


ぐう吉は、先代のミルクが天寿を全うしてから6日目にわが家にやってきました。今回は、それよりは日が経ちましたが、15日目にもふこが来ています。
大人の猫とは言え、まだ3歳と若い猫。十数年生きたら、私たちは70代になります。若い猫を飼うのはこれが最後になるかも知れません。

ぐう吉が元気なうちから、私たちは、「その時が来たら、すぐに次の子をもらい受けよう」と話し合っていました。動物の死は悲しいけれども、動物を飼うことの一部ですから。愛情を注いで、きちんと見送る。それが飼い主の努めだと、私たちは思えます。
ぐう吉が来た時38歳だった私たちも、18年一緒に暮らすうち、56歳になりました。写真を見ていくと、本当に年を重ねた。そう思います。

ぐう吉、本当に長い間、私たちと一緒にいてくれて、本当にありがとう。

そして最後に。
皆さま、ご愛読ありがとうございました。ぐう吉との日々を振り返りながら綴り、読んでいただいたことが、急な経過を受け入れる上でも、とても力になりました。深く御礼申し上げます。

この連載が、猫と暮らす上で何かヒントになることがあれば、こんなにうれしいことはありません。


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